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それは、突然だった。
もう無理だと全てを諦めて台に乗り、手をかけた瞬間。
楽になりたくて、ただ解放されたくて。
死ぬことで願いが叶うなら、迷わず命は捨てられた。
大きな音と共に扉が開く。
差し込まれた光に目を細めた。
薄れた視界に、ぼんやりと複数の人影が映る。
足音を立てて入ってきた人達は私の腕を乱暴に掴みどこかに連れて行く。
外に出られたことを喜ぶよりも、私は困惑していた。
何事だろうと。
──ついに処刑が決まったのだろうか?
死に場所が変わる。私にはその認識しかない。
どうやって殺されるのだろう。
私が遺書を書いたことを確認する人はいなかった。ということは、事故に見せかけて殺すのが一番怪しまれない。
私がここで受けた仕打ちを記したところで、それが世に出ることは絶対にないと言い切れる。
公爵家の醜聞をわざわざ晒す当主はいない。
ここ最近は一欠片のパンも与えられなかったので体力はなく、歩く速さに体はついていかない。
足がもつれて倒れると、舌打ちが聞こえた後に早く立てと命令が飛んでくる。
この声はローラ。
誰も手を貸してくれるつもりはないらしく、もたもたしている私に嫌味ばかりを言う。
極力、体力を使わないようにタオルにくるまって動かない時間が増えたせいか、筋肉は落ちて立ち上がるのも一苦労。
「ノロマ」や「グズ」といった悪口を浴びせられても心は痛まない。
傷つけられることに慣れきってしまったのだ。
やっとの思いで到着したのはお風呂だった。
無理やり服を脱がされ突き飛ばされる。数人の使用人が乱暴に髪と体を洗っていく。
力任せなので髪は抜けて、皮膚は擦れば擦るほど赤くなる。
「まぁ、こんなもんでしょ。奥様の美しさには到底敵わないけど」
お風呂の後は素早く着替えさせられ、髪と肌の手入れ。軽くではあるものの、化粧もされた。
「奥様に感謝しな。ドレスを一着、買うよう旦那様にお願いしてくれたんだからね」
流行の終わったドレスをリメイクしたシンプルな作りと言えば聞こえはいい。
ウエディングドレス同様、簡素で平民のためのドレス。
「あら、ジュリアンさん。とてもお似合いよ」
以前とは別の高級なドレス。
アレクサンダー様は何でも買ってくれんだ。ドレスや宝石、アクセサリー。珍しいお菓子まで、全て。
体面があるから人の多い場所に出掛けられず、ストレスを溜めないための心遣い。
きっと。優しく微笑んで、愛おしく名前を呼ぶ。
だってアレクサンダー様は、オリビア様を愛しているから。
「貴様!!オリビアが褒めてくれているのに無視するとはどういう了見だ!!」
今のは嫌味だ。褒めてはいない。
心の見下しを隠すことなくぶつけてくる。
それをわかっていながら感謝するようにと命令をするアレクサンダーーは残酷ではなく非道。
「いいのよ、アレク。私は気にしていないから」
悲しそうに笑えば全員分の殺意と怒りが体に突き刺さる。
「貴様のような恥知らずの女と書類の上だけでも夫婦でいるなんて、虫唾が走る!!」
「それなら……離婚をしたらいいではありませんか」
つい、言ってしまった。
「まぁ!酷いわ、ジュリアンさん!離婚するってことは貴族にとっては不名誉なことなのよ!?それなのに……アレクにそんなこと。アレクが可哀想だわ」
離婚。
口にするのは簡単だけど、行動に起こす人はいない。
愛を誓い合った者が道を違え、手を取り合い同じ未来を歩むはずった夫婦が別々となる。
それは、他の人からも信用や信頼を失くすということで、どちらか一方がこの世を去り、死別しない限りは新しい相手を迎えることは許されない。
愛人のために離婚したとなれば、アレクサンダー様だけではなくリフォルド家そのものに損害をもたらす。
愛に溺れた公爵は一瞬にして引きずり下ろされる。
「オリビア。そんなにも私のことを。やはり君は最高の素晴らしい女性だ。君以外、私のパートナーに考えられない」
美しい夫婦愛に私以外の人は感激した。
私という悪役がいることで、二人の愛はより輝く。
見つめ合い、キスをする。
オリビア様がアレクサンダー様の背中に手を回して抱きつく。
悲しくはない。私はアレクサンダー様に憎まれ、オリビア様に敵意を向けられている。
何かをした覚えはないのに。
単に私のことが気に食わないだけなら、最初から関わりを持たなければ良かったんだ。
「いいか。今日これから。貴様の弟が訪ねて来る。余計なことを言ってみろ。しがない伯爵家を潰すくらい、訳ないからな」
成人して家を継ぐ前に、もっと色んなことを勉強したいからと隣国に留学していたロックスが私に会いに……。
手紙のやり取りは頻繁にしていたけど、家族の誕生日くらいしか帰ってくることはなく、家族なのに会う時間は少ない。
頑張っているロックスの邪魔をしたくないから、「寂しい」と声に出せないのは辛かったりする。
結婚のことは手紙に書いたから祝福するために帰って来てくれたのだろうか。
本来なら嬉しいはずなのに、複雑な気分。
幸せではないのに、幸せだと嘘をつかなくてはならない。
本当のことを言えばアレクサンダー様は本気で実家を潰してしまう。
その力は充分にある。
逆らったら、私のせいで大切な家族が傷つく。
殺されてしまうかもしれない未来が怖くて、私は真実を偽るしかなかった。