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アレクサンダー様と結婚……この部屋に閉じ込められて何日が経ったのか。
食事はいつも変わらずパン一つ。
たまにオリビア様の慈悲だとスープが付くときもあるけど、虫の死骸やゴミが浮いていて、とても飲めない。
残したらお皿を下げに来たローラがアレクサンダー様に報告。
私如きがオリビア様の優しさを無下にするだけではなく、料理人に対して申し訳なく思わないのかと怒られる。
その後ろにはオリビア様が常にいた。
泣いたら喜ばせるだけ。耐えて我慢すれば、私に睨まれたとアレクサンダー様に泣きつく。
「この……!!いい加減にしろ!!」
私が愛した人は、こんなにもすぐカッとなり暴力を振るう人だったのか。
恋をしたあの日。私の目には聡明で凛々しい姿が映っていた。
少なくとも。愛に溺れて人格を見失うような人には思えなかったのに。
それとも単に、こっちがアレクサンダー様の本当の姿。
──バカだなぁ、私。
アレクサンダー様に蹴られている最中、つい自分に嫌気がさして小さく笑ってしまう。
見る目がなさすぎるよ。
絶望を超える苦しみを味わうとわかっていたら、アレクサンダー様に恋はしなかった。
パーティーにも行かなかっただろう。
「何を笑っている!!」
髪を引っ張られ、鬼の形相で睨むアレクサンダー様からは私への殺意に溢れている。
死ぬことに恐怖はない。死んでしまえば解放される。
「ダメよ、アレク!顔は傷が目立つわ。やるなら服で隠れるとこじゃないと」
「あ、あぁ。そうだったな」
冷静さを取り戻したアレクサンダー様は深呼吸で気持ちを整える。
「奥様はなんてお優しいのでしょう!」
大袈裟は芝居がかった演技。
本当に優しい人は嘘をつかない。
暴力を止めてくれる。目立つから顔はやめろなんて、絶対に言わない。
「いいか。私の妻はオリビアたった一人。お前はお飾りの公爵夫人だ」
今の私はお飾りにさえなっていない。
囚人のように白い服だけを着せられ、満足な食事もなく。使用人からは完全に見下されている。
妻としての役目はオリビア様が果たす。跡取りもオリビア様が生むそうだ。
私は公の場に、呼ばれたときだけ顔を出せばいい。
誘いのあるお茶会は全て断りの返事をしている。私は極度の恥ずかしがり屋で、あまり人前には出られないからと。
確かに私は昔からあまりパーティーや人が多く集まる場所は得意ではない。
親しい令嬢がいるわけでもなく、マナーとして伯爵令嬢に招待状は送られてくる。
弟、といっても血は繋がっていない。
お母様を病気で亡くし、お父様が再婚した女性の息子。平民なので初めての顔合わせで親子揃って私の顔色を伺っていたのをよく覚えている。
貴族というだけで怖いイメージが定着していたのだろう。
平民が急に貴族の仲間入りするのは緊張と不安に襲われるのも無理はない。
お父様だって新しい恋をして、好きになる権利はある。その相手がたまたま平民だっただけ。
家族になる人を血筋だけで嫌悪したり、理不尽に叱責するつもりもない。
血が繋がらないとはいえ弟が出来るのは嬉しかった。
貴族らしい挨拶より、馴染んでもらえるようにフランクな挨拶で二人の両手を包んだ。
弟のロックスもすぐ懐いてくれたけど、貴族社会に慣れるのは時間がかかった。
伯爵家に泥を塗らないようにと勉強に明け暮れる日々。
再婚してすぐは噂の的だったけど、何も問題を起こさず慎ましく生活を送っていると知ると、人々の関心は薄れていく。
ロックスが一緒に行けるパーティーには参加して、女性だけのお茶会は心細さがあり勇気を出せないでいる。
公爵夫人になったのだからそんな甘えは許されないと避難の声が殺到することはなかった。
アレクサンダー様の人柄は良く、私の社交を断ることは愛妻家として株を上げている。
──あれ?そういえば。
アレクサンダー様の誕生日。あの日、ロックスは風邪を引いた。
寝込んでいてパーティーには参加していない。
かなり大規模な誕生日パーティーになることはわかりきっていた。
私には一人で行く勇気はないはずなのに……。
ぼんやりとした頭で考える。
十年前。アレクサンダー様に恋をする前。
「あ……そうか」
霧が晴れるかのように。記憶の扉が開いた。
私がアレクサンダー様を好きになった理由。
それは………。
部屋から誰もいなくなり一人になると、安心が押し寄せてきた。
こんなにも一人が心地良く思えるのは初めて。
理不尽も暴力もないからだ。
アレクサンダー様の機嫌を損ねれば食事は運ばれてこない。一食なのか一日なのか。
せめて窓があれば時間の流れがわかるのにな。
ここは窓のない角部屋。一瞬だけ部屋の外に出たとき、廊下を確認したから間違いない。
左は完全な行き止まり。アレクサンダー様も右に歩いて行った。出口はそっち。
知ったところで、この部屋から出る術はない。
食事を運んで来るときローラは男性の使用人を二人待機させるようになり、一歩足りとも部屋から出られなくなった。
完全な暗闇ではないとはいえ、薄暗い空間に閉じ込められて時間の感覚は狂う。
空腹を紛らわせようと楽しかった思い出を浮かべるのが私の日課となった。