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26【フェイ】

 「ま、待て。どうしてこんな……!!」


 会話が出来るように軽く痛めつけた男は、訳も分からず許しを乞う。


 ヴォラン様に命じられた騎士に後を尾けられたが撒くなんて簡単。この辺りは俺にとっての庭。


 裏路地を活用し騎士を振り切った。


 貴族令嬢に手を出した男を見つけることはもっと造作もない。


 裕福ではないゴロツキに範囲を絞り、ここ最近で羽振りが良くなった男を捜せばいいだけ。


 あからさまに口にすることはなくても、良い仕事で臨時収入が入ったと自慢しているのは、昼間っから酒場で飲んだくれているこの界隈では有名なゴロツキ。


 周りはどんな仕事か気になり、酒に酔わせて口を割らせようとしていた。


 余計なことを喋られる前に酒場から連れ出し、店の地下へと連れて行く。


 「お前だろう?今、話題になっている詐欺師アレクサンダーの愛人、オリビアに金で雇われた男は」

 「な、何のことだ。知らねぇな。そんな女」

 「おい。俺が誰だかわかった上で、そんな嘘をついているのか?」


 俺はこの国の人間ではない。


 南にある小さな国の生まれ。両親と妹の四人暮らし。


 俺に備わっている奇妙な能力は生まれつき。


 それが気味の悪いものだと知ったのは俺自身がまだ無知だった幼少期。


 両親の話。周りの話。色んなことを聞いて、弟の本当の父親はどうして一緒に暮らさないのか、なんて口にしたらダメだったとわからなかったんだ。


 その日を境に家庭崩壊。


 父は酒に溺れ母を殴るようになった。その母は原因を作った俺を恨み、暴言を吐き暴力を振るう。


 子供ながらに直感した。殺されると。


 幼い弟を施設に預けて、俺は宛もなく商人の馬車に乗せてもらい、ただひたすらどこか遠くに逃げた。


 一緒に連れて行けなかったのは弟を逆恨みして殺してしまいそうだったから。


 壊したのは俺が余計なことを言ったからだと、現実を受け入れ認められなかったからだ。


 誰かのせいにして、誰かに罪を擦り付けることで心の枷を少しでも軽くした。


 僅かな金で行ける場所は限られ、辿り着いたのがこの国。


 金のない俺が飢えて死ぬまでの時間なんてあっという間。


 痛みで死ぬはずだった未来が空腹に変わっただけ。


 死にかけているときでも、人の声は耳に入る。真実を見抜いてしまう。


 路地裏でひっそりとゴミみたいに死んでいくことが随分と相応しいと思っていた。


 死にたくないから家を出たのに、いざ死ぬとなると何も怖くない。


 受け入れた、まさにその瞬間。


 彼女が現れた。俺を見つけてくれた。


 ボロボロに汚れた俺に躊躇いなく触れては、一緒に来ていた弟であろう男の子と病院に運んでくれて。


 行き交う人々の会話から貴族令嬢であることは察しがついた。


 「ずっと優しかったんだ」

 「へ……?」


 ゴロツキの顔を蹴り飛ばし、もう一度だけ聞いた。


 「あんな大金見せられたら誰だって引き受けるにきまってらぁ!!」


 逆ギレして開き直った。


 まぁ、ゴロツキなんてみんなこんなものだ。


 金が人を狂わせると最初に言った人物は素晴らしい。まさにその通り。


 完全な犯罪に手を染めてまでも金を手に入れようとする。


 「貴族に手を出したら、どっちにしろお前は終わりだ。幽閉されて一生苦しむより、ひと思いに殺してやろう」


 俺が手を下さなくても、ヴォラン様かロックス様か。どちらかが殺すだろう。


 要は早いか遅いかの違い。


 死に怯えて生きるくらいなら、いっそのこと……。


 平民が行方を眩ましたところで誰も気にも留めない。


 お貴族様と違ってそこまで大事にされていないからだ。


 だからこそ、ジュリアン様の存在はひと際大きく輝く。


 ピクリとも動かなくなったゴロツキを従業員に任せて、俺は自室に籠った。


 いつものようにソファーに寝転がり、白いだけの天井を見つめる。


 記憶したものは死ぬまで忘れない。




『大丈夫?』




 そう言って顔を覗き込んでくれた少女が天使に見えたのが、つい昨日のことのように覚えている。


 優しくされたことが嬉しかったのか、分不相応にも一目惚れをしてしまったんだ。


 この恋が俺を苦しめることはなかった。


 好きでいるだけで、想いを伝えることもなければ、周りにバレるなんてミスもしない。


 あの方は俺にとって手の届かない高嶺の花。


 遠くから見て、幸せを願うだけで良かったんだ。


 その姿を見ることはなくても、いくらでも話を聞ける。


 それだけで充分。


 人は噂話が好きだ。平民は目にしたお貴族様の情報を酒の肴にすることが多い。


 使用人として屋敷に潜り込まなくても俺はただ、平民やお貴族様が集う酒場で飲むだけ。


 会話さえ聞ければ嫌でも情報は手に入る。


 得た情報は軽々しく口にしない。俺が学んだこと。


 情報屋なんて職を選んだのは、他人の秘密を一人で抱え込むのが嫌だったからなのか。俺にはわからない。


 「申し訳ありません。ジュリアン様」


 心に恐怖を植え付けてしまった。


 情報屋なんて結局は情報がなければ商売として成り立たない。


 イレギュラーに対処しきれず傷をつけてしまった。


 ──何のための情報屋だ!


 わかっている。情報を求め買いに来た客のために俺が存在していることくらい。


 特別な感情があるからと、特定の人物の情報だけを集めるなんて真似はしなかった。


 俺だけはわかっていたのに。アレクサンダー・リフォルドに愛人がいたことを。


 ヴォラン様とロックス様が俺の元に訪れたあの日。

 吐き出したかった真実を冷静に伝えられた自分が少しだけ誇らしかった。


 ──俺より冷静じゃなかったのが、目の前に二人もいたからだろうけど。


 後悔と懺悔。時々、死にたくなりながらも俺は生きていくんだ。


 謝るべきだとしても今はもう見知らぬ男と会いたくないはず。


 心のトラウマが呼び起こされる可能性のほうが高い。


 ──あの日の礼だってまだ言えていないのに。


 ま、どっちにしろ一回しか会ったことのない赤の他人。

 多くの人と接してきた彼女が俺のことを覚えているわけがない。


 期待に胸を膨らませておくなんて無駄なこと、俺らしくないな。


 過去の思い出と割り切り、忘れることのない記憶と共に未来に行くしかないんだ。


 死が怖いと、認めてしまったのだから。


 そうやって。諦めるだけの人生を送る俺の元に、ヴォラン様と共に彼女が笑顔で訪れるのは、もう少し先の未来。

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