12
朝がきた。
部屋から連れ出されて、軽い食事を摂っては流行遅れのドレスに着替えさせられる。
言葉を投げかけられても無反応な私に興味を示すことのないアレクサンダー様は、出掛ける直前までずっとオリビアを隣に置く。
準備が整い出発するだけとなると、今生の別れかのように二人は強く抱き合う。
「寂しいわアレク。浮気なんてしないでね」
「するわけないだろう?私にはオリビアだけだ」
熱い口付け。激しくてお互いの愛を確かめるかのように。
オリビアの笑顔を目にすると昨夜の出来事がフラッシュバックする。
終わったことだと割り切ってしまえばいいのに、体に染み付いた恐怖はそんな簡単には取り除けない。
「まぁ!ジュリアンさん。泣いてるの?」
言われて気が付いた。
これが悲しみではなく恐怖の涙であることは私しか知らない。
他の人は皆、二人の愛を見せつけられたことによる嫉妬と悲しみで被害者ぶっていると私を非難する。
「オリビア。行ってくるよ」
「気を付けてね、アレク」
馬車に乗り込んだ。やはり別々ではない。
向かい合う形で座る。
アレクサンダー様はずっと窓の外を眺めていた。一瞬でも私を見ることのないように。
男性と密室。体に残る不快な感触が蘇る。
また泣いてしまわないように耐えるしか私には出来ない。
楽しかった記憶があれば大丈夫。
この時間が過ぎればロックスに会えるかもしれない。
その希望だけが私を繋いでくれる。
サイラード公爵の屋敷は大きくて広い。
敷地内にパーティー会場があり、リフォルド家よりも財があると聞く。
既に多くの馬車が到着していた。
玄関で招待状を確認してから中に通される。
パーティーまでまだ時間はあるのに、会場には人が多い。
人の中心にいるのはフィスト・サイラード様。
知的な印象を与える眼鏡。こちらに気付いたのか穏やかな雰囲気で歩み寄って来た。
アレクサンダー様は一歩前に出て、手を差し出す。自己紹介のために口を開くも、フィスト様はそれを無視して私の前に立つ。
「初めまして。フィスト・サイラードです。聞いていた通り、可愛らしい人ですね」
「え?あ、はい。ありがとうございます……?」
会場がザワつく。
夫婦で招待されてる場合、挨拶は普通夫からである。
当主なのだから。
それを無視するということは、サイラード家はアレクサンダー様を当主と思っていないと公言したようなもの。
アレクサンダー様は掴まれなかった手を引っ込めた。かろうじて作った笑顔からは不機嫌さが感じられる。
「好きになるのもよくわかる」
フィスト様が呟いた内容はよく聞こえなかった。
聞き返すのも失礼な気がして、貴族の嗜みでもある笑顔で乗り切る。
「そろそろパーティーも始まると思うので、楽しんでいって下さい」
「は、はい。ありがとうございます」
アレクサンダー様を一瞥することなく、他の招待客の元へ行ってしまう。
周りのザワつきは収まらない。
天下のサイラードを敵に回したのではないかと憶測までもが飛ぶ。
恥をかかされたことにアレクサンダー様は確かに怒っていた。
他の人にはわからないように苛立つ。
奥歯を噛み締めてフィスト様を睨み付ける。
しばらくして、ヴォラン・サイラード公爵が姿を現した。
深紅の瞳を隠す群青色の長い前髪。背はロックスよりも高くて、笑顔を絶やさない。
落ち着いた声は心地良くて、私と同じ歳なのが信じられないくらいにいつも冷静。
見間違えるはずがない。私がランを。
堂々と挨拶をして、貴族らしく振る舞う姿はランではなかった。
ラン……ヴォラン様は私を見ては変わらない笑顔を向けてくれた。