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十年前。私は恋をした。
黒い髪が風に揺れ、同じく黒い瞳が真っ直ぐと私を見る。
リフォルド公爵家の一人息子、アレクサンダー様の誕生日に招待されたときのことだ。
正確には私のことなんて見ていなかったかもしれないけど、私は私を見てくれたと思いたかった。
しがない伯爵令嬢の私がアレクサンダー様とお近づきになれるわけもなく。お父様にも無理だと言われた。
十年経つまでは。
アレクサンダー様からしたら会ったことがあるとは言い難い私を、婚約者に迎えたいと申し出てくれた。
──夢なら覚めないで。
そう願わずにはいられない。
迷うことなく私はアレクサンダー様の申し出を受け入れた。その場で泣いてしまうほど嬉しくて、みっともない姿を見せてしまったことは自覚している。
笑顔を浮かべることのないアレクサンダー様は淡々と事務的に、全ての日程を決めていく。
式は三日後。急なことなので誰も呼ばずに二人だけで行う。誓いを立てたら式は終わり。
アレクサンダー様は爵位を継ぎ、日々が忙しい。私がワガママを言って立場ではないので了承した。
そして三日後。祝福してくれる人のいない結婚式を迎えた。
アレクサンダー様から贈られたウェディングドレスは、みすぼらしくはないけど簡素。
一番驚いたのは神父様がいないこと。アレクサンダー様は奥で私を待ってくれている。
転ばないようにゆっくりと進み辿り着く。
宝石も付いていない金属を丸くしただけのような指輪をはめてくれた。ヴェールを上げることなく、私から手を離したアレクサンダー様は無言で立ち去る。
慌てて後を追うと既に馬車に乗り込んでいた。声をかけようとすると、御者に手を引かれ私の馬車は後ろだと。
着替えることもなく、ドレスのまま押し込まれた。派手さがない分、普段使いのドレスだと言い張ることは難しくはない。
何がなんだかわからないまま馬車は、アレクサンダー様の乗った馬車を追いかける。
──今日のは本当に結婚式だったのだろうか?
嬉しさに舞い上がっていた三日前とは違い冷静になれた。
アレクサンダー様が忙しいのは周知の事実。色々とやることが山積みなのだから今日しか予定が組めなかったのだろう。
でも、最初から今日だと決めていたのであれば、もっと早くに結婚を……申し出てくれても良かったのでは?友達は無理でも、家族や親戚は呼べたのではないだろうか。
そしてこの指輪。私は目利きではないけど、とても貴族が付けるような代物ではない。
あれはまるで子供の“ごっこ遊び”
馬車は激しく揺れる。まるでわざと、そうしているかのように。
ずっと好きだった人と結婚をしたはずなのに、私の心は不安に押し潰されそうだった。