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Ⅰ.四節

 家に到着するや否や、縦伊志(たていし)は早速おもてなしを強要してきた。

 無礼でけしからん傲慢な態度だが、この寛容な俺の心が免じてやることにしてやる。


 縦伊志は今回で二度目の訪問。しかし先日はあんなことがあったので、是非とも姿を消す際は事前に報告してほしい。

 なんせ心臓に悪いからな。


 そんな懸念がよぎる中、俺は前回同様に麦茶をグラスに注いだ。

 仕方なく言葉通り、もてなしをしようとする俺は懐が深いだろう。


 だが、その寛大な心持ちも今では利用されるだけのデフォルトスキルになってしまった。ほんと、いつか口で負かしてやりたいこの女。


 俺が準備完了をしたときに、縦伊志はすでにちゃぶ台の前で、綺麗な長い髪を下ろしながらご丁寧に座布団まで敷いて待機しているようだ。

 こうも実家かのように肩の荷を下ろして、居座っているのはいいが。

 まだ二回目ではあるので、少しはぎこちなさや気遣いぶる可愛らしい仕草を見せてほしかったものだ。肝が据わりすぎて逆に怖い。

 なんせ初対面であの口の利きようである。常人じゃ到底無理な話だ。


 麦茶を提供し、任務を遂行しきった俺。

 そういや犯人を映した録画の確認をしていなかったっけ。

 そうしてスマホを入れていたポケットから取り出す。


 実はあの時、犯人からの着信により録画が強制終了したのを思い出したが、序盤の公衆電話に入る瞬間はバッチリ捉えていたはずである。


「どれどれ……あれ? おかしいな。どうして映ってないんだ」

 俺は何度も録画の一部始終を再生していた。間違いがないか、フォルダアプリを再起動しては確認を繰り返した。


 それなのに捉えた犯人の、いや、捉えていたはずだった、と言い表すのが正しいか。その姿形がどこにも動画内に見当たらないのである。

 内容はただ薄暗い夜の公園で、ポツンと(たたず)む公衆電話が映された映像だった。


「やっぱり……矯正力(きょうせいりょく)が」

 事情をあらかじめ知っているかのような縦伊志。

 なにか裏があるに違いないと確信した。


「キョウセイリョク? なんのことだ」

「根本的には私にも理解が及んでいないの。けれど、この世の原理というやつかしら」

「さっぱりわからん。犯人とこれは何か関係があるのか?」

「ある、と言ったらあるわ」


「はっきりして欲しいものなのだが。もうそろそろ犯人について教えてくれてもいい頃合いなんじゃねぇの?」

「仕方ないわね」

 流石に今回ばかりは模範解答をすぐに教えてくれるらしい。


「教えるわ。けれど。犯人の正体を教える前にひとつ。質問いいかしら」

 素直にガックリした。じれったい極まりない。

「い、いいぞ」

 今回も渋々首肯し、穏便に事を運ぼうとすることに必死だ。

 ここで断りを入れると面倒ごとになるのはわかっているからで。


「あくまで仮定の話よ。もし、あなたがタイムリープをするとしたら、世界を()じ曲げることは可能かしら」


 出会った当初も、こんなけったいな質問を持ちかけてきたっけ。

本当にこいつの質問は、妄想癖が好きそうなコンテンツばかり。きっと家でオカルト書でも読み漁っては、こうやって人様に迷惑をかけているに違いない。


 ただ、一応真剣ではあるのだろう。

 翡翠色の眼差(まなざ)しがそう語っていた。


「そりゃあ過去や未来にいないはずの今の時間軸の俺が干渉できるんだ。そりゃいくらでも改竄(かいざん)が可能だろう」


 無難な回答をしたつもりだったが、縦伊志はこれに満足しなかったらしい。


「ふん、馬鹿ね。そもそもタイムリープなんて常人じゃまずもって不可能だから前提から間違ってるのよ。だから、あなたの解答は不正解といったところね」

 (ことごと)くねじ伏せられてしまった。


「いや出題方式が不適切すぎるでしょ。ひっかけ問題かよ。不親切な設問形式だ、異議申し立てをしたいところだ」

「あら、そうかしら。あまりに短絡的な問題なんてつまらないじゃない。これは、()わば論理力を測るテストみたいなものよ」


 それは解るが、口頭でそれを思考させるのはどうなのかと、彼女の常識のなさを疑う。

「そもそも、この世界には複雑なんては収まらない諸問題で溢れかえっているのだから一問一答なんて、それこそつまらない代物ね」


 またもや饒舌でまくしたててきた彼女に、俺は聞く耳を貸さなかった。

 急にワールドワイドな話に突飛してしまったが、本当に犯人を教えてくれるのだろうか。そう疑心暗鬼になりつつも、乗ってやることにした。


「なんだそれ。それはお前の偏見だ。問題の解決難易度が高ければ高いほどその問題は複合的なプロセスを踏まないといけないという先入観がそうさせているだけで」

 これはでまかせの主張ではなく、元からの俺の信条。


 大抵の問題は、様々な要素が欠落していたり、解決策を思いつけないから問題解決ができないというわけではない。

 実際は、欠いている要素は一つだったりするし、誤った認知のうえ特異点だと思しきものに重鎮を置くがために解決できないわけで。

 いつだって世界は、バタフライ・エフェクトであり、ダニングクルーガー現象なのだ。


「そう。具体例でも提示してもらえないかしら」


「分かりやすい例ならば世界平和だ。定義のしようによっては到達すべき結果はもちろん変わってくるが、ここでは戦争や紛争が起こらず、全世界の人間が毎日健康に支障をきたすことない程度の食事と休息、医療を享受できるものとしよう」


 ここでもかと俺は手を振り上げ、人差し指を点に向けたのちに毅然(きぜん)と持論を口にした。


「ならば、話は簡単。世界一の軍事大国である国が全世界を支配することができれば解決だ。統一された地球という一つの国家は集権体制。その後に福利厚生なり、法体制なり整備できれば晴れて、世界平和の実現というわけでアール」

 傍から見れば、陰謀論者なり変わり者なり(うたぐ)られるような論理ではあった。


「ちょっと待ちなさい。いくつか指摘したい部分はあるけれど、まず先に言わせてちょうだい」

 当然、噛みついてくるだろうと思っていたさ。


 なので、脳内でしっかりと反駁(はんばく)の準備は整えておいた。はずだったのに、

「その気持ち悪い語尾はなに? 『ある』と言い切れば結構なはずなのに、わざわざ長音をつける意味は? あなたが言うと酷く不愉快だわ」

「いや、真っ先に突っ込むとこそこかよ! これはVワイダー皆望ジェリーの口癖なんだよ」


 しばしの無言が流れてしまった。


 女子の前でオタッキーを全開にすると、こうもドン引かれてしまうんだなと学習。

 心中猛省の意を唱えながらも、気を取り直して話を巻き戻す。


「それで、結局なにが言いたい」

 俺は頭を掻きむしり、この否定厨に痺れを切らしていた。


「決まっているわ。前提から定義が的外れだから、その結論さえ矛盾しているということ。そんなことさえ気付かないの?」

 彼女は立ち上がり高らかにこう言った。


「ハナから世界平和なんて存在しないのよ。この世は不条理が蔓延(はびこ)り、私利私欲の限りを尽くす猿でごった返している。そんなの、例え統治できたとして内乱が起こらないとは考え難いわ。絶対的権力は絶対に腐敗する。ちょっとはジョン・アクトンを中心とした、中世ヨーロッパの歴史でも勉強してはどうかしら」


 腕を組んでは、鼻高そうに語る彼女に戦意喪失を余儀なくされたのである。


「はぁ……ようは。世界平和という概念自体が机上(きじょう)の空論で。世界平和を掲げた偉人や哲学者なんかは、その矛盾に振り回されていたって言いたいのかよ」

「残念ながらそういうことになるわ。永久機関を追い求めた欲深い科学者と同じよ。世界には矛盾している物事で溢れてばかりなのだから」


 俺に目線を落とした彼女の顔は、どこか儚げな。寂しそうにも見えた。

 だが、すぐにその態度は改めは言葉を(つむ)いだ。


「あなたが置かれている状況も、また等しく、受動的に矛盾しているというわけよ」


「どういう意味だ」

 さっきから頭の中ちんぷんかんぷんである。

 俺のことを馬鹿だと(ののし)っておきながら、優しい説明はしようとしない不親切なやつだ。


「さっきの犯人いたでしょ。信じられないと思うけれど、そいつは――」


 やれやれと、やっと解答速報をくれると期待していたのも一瞬で崩れ去ってしまった。

 猛烈な勢いで玄関の扉をたたく轟音(ごうおん)が鳴り響く。


「な、なんだよ全く。この時間に扉をおかまいなしに叩いてくる(やから)は」

 扉は強い力でなんども叩かれ、それは戦慄するには十分な緊迫さであった。


――ふと思い当たる。まさか、

「……ヤツが現れたわね」


「いやいやマジで? どうすれば……」

 史上最高の畏怖(いふ)に包まれ、心にも余裕があるとは言い難かった。


「――このままだと、いずれ強行突破されてもおかしくないわね」


 実際にここはボロで有名なアパート。

 無論。木造建築のここは、申し訳ない程度のまな板並み薄さの誇る扉が備え付けられていた。

 耐久性おろか防音性すら機能していない有様である。


 このまま何もしないと、かなりマズい結末しかなり得ないと悟った。なにか策は?

 警察に通報しようにも、到着を待たずしてヤツと相対する可能性のほうが高い。

 なので、その手段は切り捨てることにした。


 あたりを見渡しているうちに、時計を一瞥(いちべつ)するがどうやら日を跨いでいたらしい。

 お母さん、ごめん。俺、お母さんと同じ命日になっちまうかもしれない。

 そう打ちひしがれそうな俺だった。


 突然、頭痛が俺の中を駆ける。

 ああ、またあの時のことを思い出そうとしたら……頭が。


 こめかみを押さえながらも必死に鋭い痛みを耐えていた。

 あの日、本能に刻み込まれたトラウマを感じるたびに頭痛に悩まされるもので。


 思考がまとまらない中、

「しっかりなさい!」


 彼女に背中を叩かれ、やっと目を()ます。


 そうだ、まだ可能性が切り捨てられたというわけではないのだ。

 いっそのこと、扉の前に冷蔵庫でも置いてバリケードでも張ろうか。

 そう思ったが、残念ながら扉は外開きなので意味を成さない。


 いや、まだ打開策はあるはずだ。考えろ俺。


 依然、打ち付ける勢いは増すばかり。

 よくよく耳にすると、鈍器かなにかでぶっ叩いていることが分かった。


 いつの間にか、扉にはヒビ割れが起こっているのが認識できるレベルで。

 冗談抜きで突破されてしまう未来は、そう遠くないだろう。


 いっそのこと窓から出て飛び降りるか?

 ここは二階。へたすりゃ死んで、うまくいきゃ捻挫で済むはずだ。

 冷や汗を額に感じつつ、拭く間もなくして窓を開放する。

 開かれた先には光り輝くマンションとビルが立ち並び、千代田区の全貌を覗かせた。

 温度差で流れ込む温風が汗をなぞり、一層の不安をあおるようで。


「何をするつもり? まさかここから()ぶなんて言わないでしょうね」

「ああ、そのつもりだ。ここから跳ぶしか手段はない。それしかないんだ! 相手は凶器を装備していて、俺らは丸裸。勝ち目なんてまるでない」

「だとしても、この私もここから跳ばせる気なの? もう少しは人の立場になって考えて頂戴」


 この事態のさなか、ベラベラと再び説教じみた意味の分からない押しつけ文句を連発していたので、とりあえずフル無視をした。


 そうこうするうるうちに、次第に扉の形状は変容していき、犯人の姿があらわになっていく。フードを深々(ふかぶか)にかぶりこんだそいつは、どうやら鉄バットで懸命に門破りを試みていたらしい。


 これ以上、縦伊志にかまっている暇はなかった。

 自分の命を狙っているおっかない奴だ。

 命を刈り取る対象なんて俺に決まっているし、その場にいた縦伊志が巻き込まれようとも仕方ない。命なくして明日なしだからな。だから仕方ないんだ。

 だから俺だけでも助かれば、の精神でこの場から飛び降りようとした。


 そう、思っていたのに――――

「お前は俺があいつを食い止めている間に逃げてくれ」

「どうしてそうなるわけ? 逃げるにしたってどこにも逃げ場が……」

「俺があいつをこれで止めてくる。その間に、俺らの合間を縫って逃げてほしいんだ。もしくはあの窓から」


 そして決心するやいなや俺は先日から放置されていた、お届きものである謎の出刃包丁を取り出す。

これでカタをつける。

 あわよくば、俺は奇跡的に助かり、この少女は救われてトントンってところだ。

 助けようとする理由なんていらない。

 俺の中で確かに揺るがない信念があった。


「もう二度と、俺の前で誰かが死んでいる姿を――――見てらんねぇんだよ!」


 自身の憤怒(ふんど)が、自責の念が、己の心を激しく打ち付ける。

 もう我慢の限界だ。畜生なんだってやってやるさ。この命と等価交換だ。

「散々俺をビビらせやがって。やってやらぁ!」


 意を決するや否や、右手で包丁を強く握りしめると扉の前の人物めがけて走った。

 それに気付いていたのだろう。

 ヤツはバットを振るのをやめ、後ずさりを始める。

 このまま脅かして追っ払ってやる、といった浅はかな考えだった。

 ただ時間稼ぎにはもってこいだろう。その間に縦伊志に警察でも呼んでもらおう。

 エントランスにある靴を履いては。扉をまえにする。


 ナイフ片手に扉を体で抑えつつ、全力で彼女に命令をする。

「縦伊志! 今のうちに警察を呼んでほしい」

「警察? それは名案なのかもしれないけれどちょっと……」


 こんな緊急事態、警察を呼ぶことに躊躇いなんて無いはずである。どうしてそこで足踏(あしぶ)みをしてしまうのか不明で怒りの気持ちを隠し切れない。

 ただ仕方ないので、包丁を持っていない方の手でポケットからスマホを取り出しては電話番号を打つ。110っと。


 俺が代わりに通報して――

「危ない!」


 刹那、手が火に触れるような熱さが走る。

 それと同時にスマホが床に転がってしまった。


「――痛ッ」


 訳もわからぬまま顔を上げると、そこには半壊の扉越しにこちらを凝視するヤツがいた。フード越しで顔こそは解らなかったが、どうやら手持ちの武器であるバッドで俺の手を振り切ったらしい。

 俺の大事な手に何をしてくれてるんだ。かなりと痛いじゃないか。

 打たれてない手も小刻みに震えが止まらない。

 これこそが本物の恐怖心なのだと理解した。


 不本意だが、土足で部屋にあがっては即座に後ずさりで間合いを取る。


「いってえ! やめろよ、不意打ちはよくないぜ」

 せめてもと強がってみせる。しかし声は素直なことに震えていたようだ。


「お前がなんでこうも俺に執着すんのかは解んねぇ。けど、話し合いでどうにかなることもあるってものが――」

 ドンと大きな音を立てながら扉を蹴り破りやがった。


 外開きな扉が内開きになって、悲惨な有様である。

 まずい、もう時間稼ぎするものがなくなっちまった。というより、部屋の中に入られると警察どころの騒ぎではない。こうなったらもう手段は一つだ。


「縦伊志、その窓から跳んでさっさと逃げろ! 俺はこいつとやりあって時間を稼ぐ」

「それじゃあ、あなたが」

「俺はどうだっていい! だから――縦伊志だけでも」

 そうして俺はヤツと正面に向かい合う。


 腰を低く構え、右手の包丁をさらに強く握った。

 一方で相手は長いリーチと、強烈な打撃力を誇る鉄製バット。

 存在感を放つそいつは、靴を脱がずして部屋に入り込んできた。


「人様の家に土足で上がってきやがって、許さねぇぞ」

 勝算なんて微塵(みじん)も考えられなかったが、なんとか一矢報いることだけに専念する。


「うおおおお!」


 威勢だけはいい雄叫びを合図としてヤツに思い切り走り込む。


 このまま一騎打ちだ。そう覚悟した刹那に、


「――まって!」


 ふと、首に触れた何かが俺を温かくつつみこむ。息をのむほどの謎の感覚に。

 間髪入れずして、目の前の悪夢みたいな光景は暗転とともに彼方(かなた)先に消えていった。

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