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Ⅲ.三節

 死後、彼――逆穂子(さかほこ)シモンは何の前触れもなく彼女の手のうちから消えた。


 縦伊志(たていし)カルネがタイムリープさせて元居た場所に(かえ)してやったのか。


 それとも因果律とやらに消されてしまったのか。いずれも解ることはなかったが、

「立てるか」

 俺はそっと彼女に左の手を差し伸べる。


「いいわ。それくらい自分でできるわよ」


 そう俺の手を振り払うと、彼女は畳から立ち上がってみせる。

 顔をこちらに向けてくれないようで、制服のリボンをつかっては涙を拭く様子をみせる。

 暫くそのままに彼女に話しかけないことにした。

 とうとう涙も収まったのだろうか、彼女は振り返り朱色に染めた眼を先頭にして。


「ごめんなさい。取り乱してしまったわ」

「それは……気にしていない。無理もない」

 なんとも気の利かない俺だ。心底恨めしい。


「そ、それよりもこれからどうするんだ。このままじゃやっぱりマズいというか……」


 なんとか方向転換をして話題を逸らす。

 しかし、そのことは問題の範疇にないらしい。


「どうもしなくとも、いずれ――」


 予言通りといったところか、彼女の言葉につられてピキッと音をならしては世界が亀裂を走らせる。

 ヒビは次第に大きくなり、やがて完全に破れては眩しさを前に目をふさいだ。


「まぶしっ――」




 ホワイトホール現象に陥りながらも、なんとか視界を慣らしていく。


 数秒ちょっとして、段々と見える景色が先ほどとはまるで嘘のように色味がかって。

 そこには親しみ深い、普段通りのアパートの一室だった。


「も、戻ってきたのか」


 同じくして彼女も目を細めて瞬かせていたが、順応するとともに瞳孔を見開く。

 無関心なのだろうか。何事も無かったように開けっぱなしになっていた窓際に移動しては、夜風に当てられて紺色の髪をたなびかせている。


 こんな暑い季節に、温風に当てられてもなにも良いことは無いだろうに。


「あの……」


 声を掛けようにも、頭が混線して続きが発せられない。

 けれどその後ろ姿に……いずれにしても既視感なるものが脳裏をよぎった。


 ――彼女が背中を見せる。そんな様態はあの時と同じだ。


「その、なんだ。なんと言えば」


 致し方ないだろう。

 なんせ、彼女の前でもう一人の俺は自決を選択。

 そのまま腹部に包丁を突き立てては、死んで消えてしまったのだから。


 まるで最初から、この世界に彼が存在しなかったかのように。


 きっと彼女は、逆穂子シモンが自決するまでに追い込まれていたことを悔やんでいたのからも知れない。

 少なくとも彼女にはなんら責任など存在しないのに。

 犠牲無きハッピーエンドなど存在しないというのに。

 そう頭ではわかっていたとしても、最終局面で人間が判断を下す材料は情そのものである。だからこそ、彼女の涙も様々な面をもつ彼によってもたらされた結晶ともいえよう。


 それでも、どっと重い空気は変わらなかったため俺は何とか口を動かす。


「俺は俺が嫌いだ」

「――え?」


 彼女からすると予想外だったんだろう、俺の方に顔を向けた。


「きっと昔からなんだと思う。どこか矛盾してて、意志が行動に伴わなくて、そんでもって曖昧な気持ちでずっと生きてきた。だから嫌いなんだと思う」


 意味の解らないことを口走っているのは自覚していても、止まることはなく。

「けど、お前だって同じだったんだろ。見てればいやでもわかる。どこいっても責任感が強くて、自分よりも人のこと優先して。誰よりも優しくて……」


 けれど、これは俺なりの『本物』の言葉だ。

 それをもう一人の彼女みたいに、彼みたいに、伝えたいんだと心が叫んでいた。


「なにより嫌いなのは自分自身だって」

「無理に気を利かせたことを言わなくていいのよ」


「別にそんなつもりじゃ――」

「いいえ、無理しているわ。あなたの顔、今にも泣きそうな酷い顔をしているもの」


 指摘されてから知ることもあるんだなと実感する。

 俺はいま、小刻みに震えていて。鼻奥が刺されるような感覚に。


「泣きながらでもいい。だから聞いてくれないかしら。私と彼らのお話を」

 それから語られるのは、彼女が知っているエンコンの道筋だった。




 いずれにせよエンコンにも、彼らなりの正義の下で動いているものなんだと彼女の話から知ることができた。

 彼らなりの境遇で得た目的や馳せた想いは、きっとその身になれば解ることだったのだ。決してどちらが善で悪だなんて決めつけることは出来ないのだろう。


 そしてエンコンの誕生するきっかけとなった話もしてくれて。


 なんと彼らを生み出したのは、何を隠そう俺自身。

 逆穂子シモンによったものなんだと明かされた。


 どうやら虐待などで母親を憎みに憎んだ俺は、その怨恨(えんこん)たる意志一つで世界を改竄(かいざん)する恐ろしい存在を創り出してしまったらしい。


「エントロピー的コントラディクション。そんな彼らはおのずと気が付いていたの。自身が過ちを犯している存在だって。けれど、人間はいつでも行動と感情が矛盾してしまう生き物よ。だから彼らも彼らなりの贖罪(しょくざい)が欲しかったんじゃないかしら」


「あいつらなりの贖罪……」


「自らの人生を正当化しようとすることなんて、それこそ当たり前の感情よ」


 それは彼が彼女を殺めてしまったことだけではないのだろう。

 それは彼女が彼の期待を裏切ってしまったことだけではないのだろう。


 欺瞞(ぎまん)で塗り固められた意地と、レプリカでしかない偽物の自分に。

 彼、彼女はケジメをつけたかったのかもしれない。


「子は親を憎んでも、憎みきることはない。親は結局、親なのだから」


 あの時の悲惨な光景を思い出す。

 夕暮れ時、季節にそぐわない朱色に染まっていたあの地獄の時間を。


 真紅に燃えに燃えた命が失われたとき、俺は哀を叫んだはずだ。


「ああ、お前の言う通りだ。俺は確かにあの時、母親を殺されていい気はしなかった。あれだけ憎んでいた母親に対して、むしろ俺は……」

「子は親を選べない。けれど、親もまた子を選べない。随分と皮肉なものよね」


 子を殺す親。

 親を殺す子。


 互いに打ち消し合うことはなく、何かの拍子で破綻(はたん)してしまう現実。

 ただその事実すらも重く受け止めるのと同時に、彼女はそっと撫でるような言葉をかけてくれた。


「シモンくん、――あなたはたとえ親から認められることが今後一生なくたって……これからは私があなたの存在を受け止め、認めることとする。だから、少しは肩の荷を下ろしてもいいんじゃないかしら」

「急にどうしたんだ。ヘンなものでも食ったか? やけに上から目線で残念なんだけども」


 あれ、もう世界線変動起こってる感じ?

 普段は絶対に言わないようなぬるいことを俺に言ってくるし。


「ここは素直に気持ちを汲んで受け取っとくべきなのよ。そんなことも解らないのかしら」


 いつしか頬を赤らめ怒りをあらわにしている様子の彼女。

 そのツンツンぶりで俺が知っている彼女の平常運転なんだと確信した。


「……わかったよ。ここはありがたく受け取っておくとする。――カルネ」


「な、なに。さっきといい、今といい、急にファーストネームで呼ぶなんて気持ち悪いじゃない。少し優しくされたからってあまり調子に乗らないでくれるかしら」

「お前だって俺のことファーストネーム呼びするだろ!」


 なんてひどい。別にいいだろ名前呼びくらい。


「でも、――本来は俺がこう呼んでいた――そうだろう?」


「あなた、まさか――ッ」

「ああ、そのまさかだ。なんでか解んねぇけど、いつしか記憶が元通りになっていた」


「…………いつから?」

 そっぽを向き、顔を正面から見せてくれることはなかった彼女。


「あの暗闇の世界に跳ばされてからだな」


 彼女は耳を赤らめることを隠せずにいて、次に連ねた言葉はひどいものだった。

「ば、バカ! もっと早く言ってくれればよかったのに。あなたは本当に気の利かないどうしようもない愚かでまるで品のないろくでなしだわ」


「ええ、言いすぎだろ……」


 その言葉にだんまりを決め込んでしまう彼女。

 そのまま自身も無言で次の言葉を待つことに。


 待つこと数十秒、とうとう口を開いてくれたようだ。


「ごめんなさい……今まで私のことを隠していて。本当はあなたが記憶喪失で私のことを忘れているって気付いたままで事を進めていたの」

「思い出した瞬間、びっくりしたよ。まさか、かつての友人だったとはな」


「そうよ。やっと思い出したのね、私のことを」

「記憶喪失を患っていた期間は、どこか心に穴が開いている状態だった。けど、今じゃこれっきり(もや)がかって混濁(こんだく)した記憶もない。回帰してくれてよかったぜ」


「よかったじゃない。記憶が、も、戻って?」

「もちろん良いことだ。――そんでもって、お前ともう一度会えたこともな」

「な、なに馬鹿なことを口走っているのかしら。私は嬉しくとも何とも思っていないわ」

「いやなんでだよ」


 気分が良かったもので、ついでに調子のいいことを言ってやったのに、あっさりと切られてしまう。


「お前のチカラがあれば、このことも知っていたんじゃないのか?」

「いいえ、そうじゃないわ。私の予知は不完全なのよ。決してすべての事象を読めるわけではないの」


 さて、これも嘘か誠か審議しようもない。

 だが彼女の翡翠色の双眸はいつまでたっても嘘をつくようなものだとは感じ難いのだ。

 彼女の目はいつだって真剣で、いつだって引き込まれそうな魅力があった。


 それにしても、この事件のおかげで我々の生きる世界線は変遷(へんせん)を遂げるはずだが。

 どうなってしまうんだろうか?


「なぁカルネ。俺らが仮に元の世界に戻ってしまったら、何がどう変わるんだ?」

「元の世界の軌跡通りにいけば、あなたの母親を救うことで確かに私の両親は死んでしまうわ」


「やっぱり、改変は常に代償がつきもので……って、ええ⁉ 今、私の両親が、って言ったか? 言ったよな?」

「そうよ。私の両親が代わりに死ぬことになっているわ」


「まてまて、待ってくれ。それは本当なのか?」

「何度も言わせないでくれるかしら。本当なのよ」

「だとしたら俺の母親を助けるこのことも、最初から解った上で……」


 なんということだ。

 彼女は本来なにもしなければ、家族水入らずの安寧の時を過ごせたというのに。

 どうして。


「とっくに両親とは別れを告げたつもりよ。この作戦を決行した時から既に解っていた避けれぬ未来だったのだから。いずれにせよ、両親を強盗殺人から遠ざけたとて、不慮の事故なり何らかのアクシデントで死ぬことが確定しているわ」

「強盗で……そんな――」


「時空跳躍によるイレギュラーな過去改変でない限り、人の生は因果律によって強制を余儀なくされ一途をたどる。これは世界の普遍的な法則。私の両親は寿命という絶対的なものに収束していくというわけね」


 縦伊志カルネの事細かな説明によると、俺の母親が殺されることによってここら一帯は警察の厳重体制が敷かれる予定だったそうだ。それ故に彼女の両親を殺した犯人は犯行に及ばず、警察の検問作業が行われたために交通事故も起きなかったんだとか。


 因果律の性質とはそういうものだ、と割り切っていたように振舞っていた。


「だから、別にあなたが気に病む必要もないわ。本来の世界の姿を取り戻しただけなのだから」

 かつて見たことない程、沈んだ表情を見せる彼女に何を言えばいいか解らなくて。

 今度は俺が押し黙ってしまったが、話題を逸らそうと彼女は口を動かす。


「それより、あなたもよかったわね。あの包丁に命を拾われて」

「どういう意味だ?」

「あの包丁は彼女が直接あなたの郵便受けに入れたものなの。それがあなたの手元になければ、彼との攻防で時間稼ぎは失敗して私たちは殺されるところだった」


「時間稼ぎって言われても……最初からタイムリープすればよかったじゃねぇか」

「いいえ。実は私、あなたが彼と相対して鬼気迫る状況の時に初めて時空跳躍のチカラが覚醒したのよ。それで試みとして、その場から逃げたわけ」

「あの瞬間が初のタイムリープだったの⁉」


 なんということだ、始めからチカラを秘めていて能力行使の決断をするのに戸惑っていたのかと。

 それにしても恐れいった。今はもういない彼女は、それらのことも全て計算のうちに入れて、既に布石を打っていたというわけだ。


 今回の騒動について、もう一方の彼女の暗躍は世界を大きく動かした。

 それほどに信念を貫き通し、最終的にここまで持ってこさせた功績は言うまでもない。


 矛盾した世界を創り直してくれた縦伊志カルネに、心の内で敬意を表して。


 そろそろ時間だと言わんばかりに彼女はスマホの時刻を確認する。


 そして場を仕切るように、彼女が指を俺の前に立てた。

「さて、元居た世界に帰りましょう」

 場を和ますためか、はたまた自身の悲しみから目を背けるためか。


 気丈な態度を見せる彼女に俺も応えないと、とばかり思った。


「あ、ああ。早くこんなところとはおさらばしよう」

「ええ」


 そして彼女が俺の掌に再び手を重ねては、

「行くわ」


 そう一言告げて、何度したかも解らない時空跳躍を開始した。

 いつもと違って、周囲に虹の球が浮かび上がってくるような幻想的な演出を見せては。



「よかったわね――想いを伝えることができて」



 ただ一つ、そんな彼女の声は誰にも届くことがなく。

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― 新着の感想 ―
やっぱりこうなったか 回収の手が巧妙やな、「実は彼と相対して初めて時空跳躍のチカラが覚醒した」っていうところで因果の混濁が解けて「彼はどうしているのかしら」がソレの説明になってる これは拍手不可避
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