Ⅱ.四節
タイムリープをする度にまた一つ、因果律を揺るがせてしまったのかと思うと罪悪感を感じてしまう。
なんせこのチカラは神に対する反抗。
大変な不敬罪にあたるのだ。そして何よりも……。
「紛い物のくせに」
ただ、そこまでのことをしても成し遂げたい何かがあった。
私が彼に、用があると言った場所は自宅だった。
ただし、元いた私の家ではない。
すっかり懐かしい気持ちになる自室に足を運ぶと、部屋の中央の壁に掛けられたきらびやかな物を目にする。
「一度これを着てみたかったのよね」
白く彩られた可憐なセーラー服にワンポイントの赤いリボン。
それを前にしては嘆息をこぼす。
ただただ、この可愛いフォーマルな学生服に魅了され、進学を希望したものだ。
勉強に明け暮れてもなお、乙女な感性は残っていたということかもしれない。
この制服は言わずと知れた糸枇亜高校の制服。
本来は進学できるほどの学力を持ち合わせていた私だったが、あえなく叶わなかった願い。なので羽目を外して少しは着飾りたくなったという私の欲求だった。
早速、着用していたパーカーを脱ぎ捨てては制服に手を伸ばす。
今日、ここの一家は家族で外出中らしい。
なので当然、私物も家に放置されたままであった。
私はこの世界の私の鞄を物色しては、目的のものを手に取りポケットに詰め込んむ。
それは過去、シモンと一緒に買いに行った特注キーヘッドがついた鍵だった。
白と黒で彩られた、カボチャの馬車。
今となっては可愛らしい子供っぽいセンスだが、いい思い出だ。
そんなノスタルジーに浸りつつ、そういやともう一つの忘れ物を探し出す。
安直にそれはすぐに見つかった。
――ちょっと重いけどこれも持っていこうか。
私は着替えも済んだことだ。
当然、鏡の前に立って自身の身なりを確認してみたくなった。
私は洗面所に行っては、自身を美しく見せてくれる鏡と向かい合う。
やっぱり、この服はとても私に似合うようだ。
これが毎日のように着れたらどれほどよかったものか……。
いいや。そんなことはもう、とっくのとうに過ぎ去ったことだ。
早く目的の場所に向かおう。
やるべきことをするのよ、縦伊志カルネ。
自己を律するとともに、リボンを強く引き締める。
エントランスに綺麗に置かれていたローファーを足に履いて。
これで必要になるものを全て家の中から取り出した。
そして目を瞑って、
「…………」
ここが――逆穂子シモンの住んでいるアパート。
外観を見るにかなりの年季ものだと見て取れる。
あくまでもここは東京都千代田区内。
家賃を究極までに抑えれば、こういうところしかないのだろうが。
むしろまだ区内にこんなアパートがあったことに驚きだ。
二階建てになっているそれはひと先ず昇降するための階段が取り付けられているので、そこから上っては彼のいまの住処の前に辿り着いて見せた。
「さてと、これをまずは中に」
私がポケットから取り出したのは一枚の紙。
これは私が事前に用意した代物。
そこには彼を恐々させるような簡潔的文章が綴られている。
それを扉に備え付けられてある郵便受けに入れた。
そして決めつけにはこの包丁。
何故かは解らない。だが、私のチカラが作用しこれを持っていけと言っていたのだ。
ほんの脅迫に使えるのかもしれない。
そう勝手に想像を膨らませていた。
そしてこの包丁、実はこの世界の縦伊志家で使用されている物だった。それは一般的な万能包丁よりもさらに鋭利で、かつずっしりとした重みのあるものだ。
今の彼も同じものを家にしまっているだろう。
過去に、縦伊志一家と逆穂子一家での包丁専門店にお邪魔したことを今でも覚えている。
そんな戻りやしない昔のことに胸がきつく締め付けられる思いだったが、なんとか堪えてみせる。そして包丁までもを郵便受けに入れた。
あとはここで時間が来るまで待つだけだ。
数分ほど扉の横にある壁に背を寄せていたのだろうか。
扉の前に立てば、インターフォンを連打して彼の開扉を予期する。
この世界の彼は初めて拝見することに。
痛みをこらえ、怒号をあらわにする彼はどこか新鮮だ。
怒られることは承知していたが、まぁこれでいい。
これくらいで丁度いい関係値が構築できるから。
彼はこちらを凝視し、困惑している様子だった。
私が知っている彼よりも少しばかり瘦せこけ、弱弱しく見える。
引きこもり生活の影響なのだろうか。
彼には悪いが、少々冷酷な態度をとってみた。
これも作戦のうちと自分に言い聞かせて。
これも無意識な照れ隠しなのかもしれないけれど。
だがこうもして、この世界の彼に接触したいというのには訳があった。
そもそも、私がこの世界のシモンに接触を試みたのは偵察をかねてのことだ。
彼は母親を殺され、ショックによった記憶喪失を患わしたことは知っているが彼の心境までは予知ができなかったのである。
念のためだとは思ってのこと。
さいあく、彼が悪い方向性に転じているなら正しい道に導こうという魂胆で。
やや長い玄関先での会話を終えると、やっと家の中に招かれることになった。
部屋に入るとこれも解っていたことだったが、存在感を強調する置物が鎮座している。私が目にしたのは、逆穂子シモンの母親の遺影。
けれど、これを促したのは紛れもない私。
いずれ、私がいた世界線のシモンくんは母親を殺すことになっている。
これは定められた運命なのだ。
私はそれらを認識したうえで、なんとか逆らってもみることがあった。
思いがけない行動をしようものなら、それさえも先読みされて脳内に情報が伝達される。全てを与えられ、逆になにも出来なくなったもぬけの殻。
この世界の因果によって操られている人形かの如く。
けれど、この現実ともおさらばしたいのもまた事実。
それだけは、明確な意思があると確信していた。
彼から出された貴重な麦茶も、口に運ぶことは憚られたように感じる。
彼の言葉から、行動から、母親に対する気持ちは十分すぎるほど胸を打った。
一度決めたことなのに、そんな彼の悲哀な表情を見ただけでこれほど心が揺らいでしまう。それほどの私の曖昧な気持ち。
きっとそんな浮ついた心には別れを告げ、白黒はっきりとさせる必要があるのだ。
――だから私は、
「そうして全てが終わりを迎えたとき――いつか私に気付いてね」
いつしか私の目からは大粒の涙が溢れ出していた。
こんな顔、彼には見せれない。
きっと彼なら気付いてくれる。本当の私の気持ちを。
明らかな盲信。過度な期待。
それでも私は逆穂子シモンを信じ切ることにした。
私でない私に。
そして未来の彼に託すようにして。
この時、真の意味で縦伊志カルネの意志が固まった。
だから、縦伊志カルネは逆穂子シモンの目の前で哀を叫んだ。
――さぁ縦伊志カルネ、使命を果たしなさい。
唇を強く噛んでは嗚咽をこらえ、そして私は彼の前から姿を消した。
その日は日差しが強かったように感じる。
涙で日光が乱反射したせいなのかもしれない。
そんな中。目の前に捉えたものは公衆電話だった。