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初雪 -続編-  作者: 吉江和樹
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 その日、榎本は学会出席のため、京都に出かけていて不在だった。今回の学会開催は事実の様だった。幸子は、その事をすでに、同じ医学部の松崎に確認済みだった。

 

 3日間という事だったが、幸子は何故か、いつもと違った開放的な気分に襲われていた。それは今日、学生時代の友人達と夕食に出かける約束をしていたからだった。 

 彼女は1人では、滅多に外出などしない人間だった。

 しかし、学生時代の仲間から、ちょうど榎本不在の時に連絡が入ったのだった。

 これが彼がいる時だとしたら、彼は絶対に許してはくれないはずだった。彼は、自分は時々浮気をするくせに、幸子の私生活にはやたらと厳しかった。

 

 約束の時間は、札幌駅の北口に5時という事だった。幸子は北口に5時と言われ、一瞬、戸惑ってしまったが、連絡をくれた美津子が「大丈夫、私が見つけてあげる」そう言ったのでホッとした。彼女は胸の少し広めに開いた赤のワンピースに、金色のネックレスをつけてみた。40前の自分を、彼女はまだ少し美しいと思っていた。事実、彼女は美しかった。整った顔立ちの中の大きくて黒い瞳の視線は、見つめられると誰もが振り向いてしまうに違いなかった。

 部屋から札幌駅までは、地下鉄で10分で着くが、彼女は少し早めの4時半に出て、待つことにした。

 

 地下鉄は、帰宅途中の学生で一杯だった。

 少し窮屈な思いをしながら、彼女は札幌駅の北口に、約束の時間の20分前に着いた。彼女は、北口の駅の外のベンチに座り、取り敢えず待つことにした。しかし、約束の時間、5時を10分過ぎたが、美津子は現れなかった。幸子は少しイライラし始めた。もう少し、そう思って20分待ったが何の連絡もなかった。幸子はさすがにしびれを切らして美津子に連絡を入れてみた。すると美津子が言った「何言ってんの約束は明日よ、明日!」


 幸子はその言葉を聞いて彼女は涙が出そうになってしまっていた。空はすでに暗くなってきていた「どうしようか・・・」彼女は思った。張り切って出てきた分、このまま帰る気もしなかったのだ。だからと言って1人で遊べるほど、自分は世慣れてもいない、松崎に連絡しようかとも思ったが、平日だったので、さすがに気が引けた。時計を見ると6時を少し過ぎていた。


 そうだ「優子に連絡しよう、彼女ならきっと何とかしてくれる」彼女は思った。優子も学生時代の友達で、まだ若いうちから、自分でススキノに飲み屋を出したやり手のママだった。幸子は優子の携帯の番号は知らなかったが、店の名前が確か「優子」だったはず、番号を確認して彼女に連絡し、事情を話すと、彼女は大笑いして言った。

「いいわよ、うちに来なさい。場所は分かる?南6条の西4丁目よ」ススキのど真ん中だった。幸子は思った「凄い女だ」

 

 そして店に着き、店の前に立つと幸子は「優子」の店の重そうなドアを恐る恐る開けた。店は思ったよりもこじんまりとしていたが、もう、すでに客が酒を飲み、カラオケを楽しんでいた。

 幸子に気付くと、優子が言った。

「いらっしゃい。しかし、相変わらずね。あなたらしいと言えばあなたらしい話しよね」

 優子は笑顔で彼女を店に招き入れ、カウンターの席に彼女を座らせ、グラスを置きウイスキーを彼女に勧めた。その時、カウンターには誰も座っていなかった。

 

 幸子は、なんだか自分が若返った気持ちになって酒を飲み始めたが、そんな時、幸子の前に立ち、優しそうに彼女を見つめていた優子が、ストレートに彼女に聞いた。

「あなた、ご主人とはうまく行ってるの?あまりいい噂を聞かないけど」

 

 思わず幸子のグラスを持つ手が止まってしまった。

 そして俯いた彼女は、手に持ったグラスを見つめた。

 グラスの中では氷が踊っていた。


「有名大学の教授との結婚という事だったけど」優子が囁いた。

 

 幸子は思った「ここは、優子にすべてを聞いてもらった方がいいのかもしれない」


「もちろん、今日、あなたから聞いた話は、誰にも話したりしないわ」

 もう一度、優子が魔法の言葉を優しく囁いた。

 彼女の視線が幸子に語り掛けていた「すべて私に話しなさい」と。

 美しく暗い店の明るさの中で、幸子の心が次第に溶けていくようだった。

 幸子は一つ、大きく溜め息をついた。

 しばらくすると、黙り込んでいた幸子がその重い口を漸く開いた。


「実は最近、主人の浮気がひどくて・・・」彼女の白い顔が少し青ざめていた。

「あなたの所、お子さんはいたのかしら?」優子が言った。

「できなかったわ。主人も父も欲しがってたけど・・・」

「できなかったって、あなただってまだ・・・」優子は励ますように言った。

「主人は最近、学会だ、学会だ、と言って、若い子、学生と旅行に出かけるの。今日も私を置いて、京都へ・・・」

 幸子は本当は一緒に行きたかったのだった。

 

 噂通りの話に、優子は、半分あきれてしまっていた。

「あなたはどうなの、あなたみたいな女、浮気相手の1人や2人いてもおかしくないわよ」

 投げつける様に優子が言うと、手元に置いてあったタバコの箱からタバコを取り出し火をつけた。

「友達はいるけど・・・」そう言いながら、幸子は松崎を思い浮かべていた。実は、彼との関係はこの前が初めてだったのだ。いつもは食事をして、少しお酒を飲むくらいなのだった。(「初雪」を観てください) 


 その時だった、突然、幸子の携帯が鳴った。

「あっ、ごめんなさい」そう言って幸子はトイレに消えた。

 優子はなんだか気が抜けてしまっていた。実は、もっと面白い話が聞けるかと思って、期待していたのだった。

 少しすると幸子が戻って来た。

「誰なの?」

「主人から」

「えっ、ご主人から?だって、御主人今、学会で京都にいるんじゃないの?」

「そうなの、学会に行ってても、外に出ると、7時くらいになると必ず私に電話をよこすの」彼女は少し嬉しそうに言った。

「それが、若い子との浮気旅行になると、罪悪感を感じるのか、メールになるのよ」

 

 優子は思わず吹き出しそうになってしまった。

「あなたの御主人、よっぽど、あなたを愛しているんじゃないの?」

「そんな、私、あの人から一度も愛してるなんて言われた事がないわ」

 幸子が怒る様に言った。

「あなたはどうなの、彼に、愛してるって言った事があるの?」

「そっ、それは、分からないわ」

 彼女は少し決まりが悪そうに言った。そんな彼女を密めていた優子は、

「勝手になさい!」怒った様に一言いって、カウンターを出ると、なじみの客のところへ行ってしまった。幸子は何だかホッとした気分になって、また一人で飲み始めた。

 

 すこしすると、完全にシルバーという年代の男がグラスを片手に、彼女に絡みついた。

「姉ちゃん、姉ちゃん、一緒に飲もうぜ」

 すると、優子が大きな声で言った。

「駄目よ、その子はお客さんよ!」

 男は残念そうにグラスを手に引き下がっていった。


 8時を過ぎた頃だった。彼女も「少し酔ったかな」と思っていた頃だった、静かに男が横に座った。     

 今度は自分と同じ年代の、エリートっぽい男だった。

「おひとりですか?」彼はそう言うと、ちらりと彼女を見つめた。

「えっ、ええ」彼女がそう言うと、彼が言った。

「御一緒してもいいですか?」

 今度は優子は何も言わなかった。

 暫くすると、彼が言った。

「どうです?もう一軒?」

 彼女は何も考えず小さくうなずいた。


 そして2人は店を出た。優子は何も言わずに、そんな2人を見つめていた。

 しかし、店を出た瞬間に、夜のススキノ。

 生ごみのゴミ箱をひっくり返した様な臭いと、耳を劈く様な騒音で、彼女は立ち眩みがしてしまった。

「大丈夫ですか」男が幸子を抱きかかえるように支えた。

 幸子は急に不安になってしまった。

「急ぎましょう」彼が言った。

「それより早く帰りたいわ」彼女が力なく言った。

「送りましょうか」

「いいえ、1人で帰れます」そう言って1人で家路に着いた。


 部屋に帰ると、今朝、ひらいていなかった鉢植えの薔薇の花がひらいていた。

 深紅色の吸い込まれていきそうになる色だった。

 彼女は思った「そういえば彼は、この薔薇の花が好きだった」

 

 一度思いを寄せたら離れる事の出来ない深紅色の薔薇の花だった。



 3日後、榎本が帰って来た。

「ただいま」

「おかえりなさい。晩御飯にしますか、お風呂を先にしますか」

 

 幸子が、何事もなかったように、素知らぬ顔で彼に言った。


 

 


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