第8話 贈り物は、まだ開かれぬまま
少年は、まっすぐにアリエルを見ていた。
その瞳には、曇りも迷いもない。
ただ──信じている者のまなざしだった。
「……お気に召しませんでしたか?」
静かな問いかけ。だが、その声には確かな震えがあった。
恐れているのだ。アリエルが、自分の“贈り物”を拒絶することを。
「いえ……いえ……失礼を……。本来なら、すべての準備が整ってからお迎えするはずでした。
でも、どうしても……お目にかかりたくて……」
俯いた彼の肩が、かすかに揺れる。
それは、狂信ではなく──ひどく人間的な、不安だった。
魔力の波でも、殺気でもない。
けれど確かに、何かを押し返してくる気配が、部屋の空気をわずかに軋ませていた。
(……こやつ、ただ者ではない──)
そのあまりに純粋な歪みが、
かえって空気を重たく、息苦しいほどに変えていく。
部屋の灯りが、かすかに揺れた。
結界も術もないはずの空間に、触れてはならぬ何かが息を吹き込んでいた。
沈黙を破ったのは、リィゼだった。
「アリエル」
低く、しかし揺るがぬ声。
「こいつの狙いは……お前だ。
私はここに残る。今のうちに、詰め所まで走れ」
「だが……おぬしが──」
「行け。少年を連れて」
一瞬、アリエルの赤い瞳が揺れる。
だが、すぐに見据えるように──静かに、頷いた。
「……ワガハイを信じるのじゃな?」
「誰よりも」
短く、即答。
それだけで十分だった。
アリエルは一度だけ深く頷き──少年を抱き直す。
「……ああ……ありがとうございます。
お持ち帰りくださるのですね……」
唇が、うっすらと綻ぶ。
「私の、最初の贈り物を──あなたが、手に取ってくださる……、……その優しさを……私は……」
アリエルは少年の身体を抱き起こしながら、ぞっとしたように眉をひそめた。
「……なにを……言っておるのじゃ……?」
感情を測れぬ声が、足元からじわじわと空気を濁らせていく。
それでも、彼はただ、穏やかに頷くだけだった。
アリエルは少年の身体を軽く抱き直すと、竜の尾を風にしならせて後ずさる。
そして、リィゼを一度だけ見て──踵を返した。
「……貴様の顔など、もう見とうない。次に来るときは、そなたのためではなく、リィゼのためじゃ。肝に銘じておけ」
その背中に、彼は──微笑んで、頭を下げた。
「……ありがとうございます。
お心を、受け取っていただけたこと……私の一生の喜びです……」
扉が、きぃ、と軋む。
夕風が彼女の姿を連れ去るように、通りの先へと消えていった。
残された空間は、静かだった。
その沈黙のなかで、リィゼは剣を抜き──まっすぐに、彼を見据える。
少年は、まるで観劇中の貴族のように、礼を正していた。
「……さあ。準備を始めましょうか。
ハイ・ゴブリン娘様に供する、宴の準備を──」
リィゼは、眉ひとつ動かさなかった。
だが、その剣先がわずかに揺れる。
その動きは、まるで、次に動くのはお前ではない、と告げるようだった。
リィゼの足元で、わずかに木の床がきしんだ。
その音すら、まるで呼吸のように静かだった。
少年──いや、『ソレ』は、一歩も動かない。
ただ、まっすぐにリィゼを見ていた。
ひとつも瞬きをせず、剣先をも恐れぬまなざしで。
だがその視線には、戦意はなかった。
敵意でもなく、欲望でもなく──ただ、喜びに似た感情が、静かに灯っていた。
それが、なおさら不気味だった。
剣で斬れば止まるようなものではないと、リィゼは本能で察していた。
静寂がふたりのあいだに降り積もる。
その空気は、まるで結界のようだった。
何者も踏み入れぬ、これからが始まる場のように。
剣を構えたまま、リィゼは言葉を発しなかった。
この場に言葉は必要ない。
言葉を与えれば、『アレ』の世界観に引き込まれる気がしたからだ。
──ただ、目だけが語っていた。
《お前の『信仰』など知ったことか。》
《この剣は、貫くためにある。》
《必要なら、ここで終わらせる覚悟もある。》
それを、『アレ』がどこまで読み取ったかはわからない。
だが──その瞬間、少年の口元がふっと綻んだ。
それは、静かな拍手のような“喜び”だった。
観客が、舞台に立つ役者の決意を見抜いたときに見せる、敬意にも似た笑みだった。
(……気色悪い)
リィゼは心の内だけでそう呟き、さらに一歩、重心を前へ寄せた。
部屋の灯がまたひとつ、揺れた。
──そして、扉の向こうで、
アリエルの足音だけが、夕暮れの街を切り裂いていった。
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