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第3話 記憶の底で、白いケーキが溶ける

 扉が開いた。

 軋む音は小さく、だが確かに部屋の空気を切り替えた。


 リィゼが戻ってきた。

 その手に提げられているのは、白く整った菓子箱。

 金の箔押しで名の入ったその包みからは、ほんのりと甘い香りが漏れている。



「……ただいま」



 小さな声。けれど、その声音はやわらかく、確かだった。


 アリエルがそちらを見やる。

 視線は冷静を装っていたが、耳がぴくりと反応していた。

 マントの奥、竜の尻尾が机の脚をくるりと撫でるように巻きついた。



「む……ご苦労じゃな。ま、並ぶなど些事よ。

 ワガハイが解析の成果を出すには、それなりの燃料が必要というだけの話じゃ」



 どこか誇らしげに言いながら、視線だけが明らかに箱に吸い寄せられていた。


 リィゼは微笑を湛えたまま椅子に腰かけ、机の端に積まれた資料の山から一冊を選び、静かに広げた。



「で。解析の進捗は?」



 アリエルは、すっと手を伸ばし、術式の写しを指先でなぞる。

 その動きに呼応するように、記録紙の上に淡い魔術光が走った。



「ふむ……記憶の改ざん、視認阻害──

 この二つが、各現場で繰り返し使われておる。痕跡は明瞭じゃ」



 リィゼがわずかに眉を動かす。



「痕跡があるのか。……記憶を消されたのに?」


「うむ。完璧を目指すほど、術には構造の跡が残るものじゃ。

 とりわけ記憶操作は、使えば使うほど違和感を周囲に残してしまう」



 アリエルは紙をとん、と指先で弾いた。

 魔力の残滓が淡く揺れる。



「目撃者たちの証言をよく見てみよ。『誰かがいた』という感覚だけは残っておる。

 なのに、『誰だったか』は、誰も覚えていない」



 リィゼの表情に、うっすらと理解の色が浮かぶ。



「……つまり、『何もなかった』のではなく、『あった記憶が消されている』と?」


「ああ。逆に言えば──『いたこと』は残っている。

 思い出せぬという不自然さが、魔術が使われた証になっているのじゃ」



 アリエルは、くくっと喉の奥で笑った。



「ふふ……痕跡を消したつもりが、最も明確な痕跡になっておるとはの。

 術者も、さぞ皮肉に思うじゃろうな」



そして、アリエルの指が、別の紙へと移る。


「ただし──これはまだ表層の話じゃ。

 肝心なのは対象が変わったときの術式の変質。つまり、次じゃ」



 リィゼの目が鋭さを増す。



「……少年たちへの術と見られるもの、か」



 アリエルは頷き、指先を紙の中央に置く。



「ここには、はっきりと精神干渉の痕跡が残っておる。

 それも、ただ意識を曇らせたり、忘れさせるためのものではない──

 魂そのものを沈め、深いところへ押し込むような、構造的な干渉じゃ」



 リィゼが、わずかに口を引き結ぶ。



「……つまり、中身を封じて、別の意識を据えた……?」


「そう推測できる。術の形状が二重になっておるのが、その証拠じゃ。

 ひとつは封印、もうひとつは擬似的な自我の定着。……ただの錯乱ではない。

明確な、乗っ取りの構造じゃな」



 リィゼは資料をめくる手を止め、短く言った。



「……この術式、すべての現場に?」


「うむ。すべてに、痕跡がある。

 つまり──犯人は、少年たちの“器”を手に入れておる。

 だが、『中』にある魂までは殺しておらぬ。……ただ、封じて、眠らせておるのじゃ」



 部屋が静まりかえる。

 だが、その沈黙を破ったのは、ケーキの箱から漂う、甘くやさしい匂いだった。


 リィゼはその蓋を静かに開けた。


 中には、白い生クリームと艶やかな苺が宝石のように並ぶ小さなケーキがふたつ。

 その丁寧な作りと、手間をかけて持ち帰られた気配に、アリエルの瞳がわずかに揺れた。



「食べようか。……ずいぶん並んだんだ。

 君が食べ損ねたら、ちょっとだけ……残念だから」



 その声に、アリエルははっと目を見開いた。

 そしてすぐに、ぷいと横を向いた。



「べ、べつに、ワガハイは甘味ごときで機嫌を取られるような存在ではないのじゃ!

 ……ただ、そうじゃな、まだまだ解析には魔力が要るしの……

 こういう『高品質な甘味』は……その、効率がよいのじゃ!」



 しっぽが、ばさばさと反応していた。

 彼女自身、まるでそれを意識していないようなふりをしながら──


 リィゼはフォークを渡す。



「じゃ、いただこう」


「……う、うむ、いただくのじゃ!」



 ふたりのフォークが、同時に白いケーキへと差し込まれた。


 アリエルがひと口食べると、その頬がほんのりと紅に染まり、竜の尻尾が、机の脚にもう一度、くるくると巻きついた。



「……んふぅ……しあわせ……じゃな……」



 その呟きは、風に紛れるほどにかすかで、けれど、どんな詠唱よりも──リィゼの胸に深く残った。

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