第1話 戯れと呪いのはじまりに
緑色の肌に赤い瞳、雪のように白い髪を風に揺らし、ハイ・ゴブリンの少女が裏路地を駆けていた。
ギザギザの歯とその肌の色を除けば、まるで異国のエルフと見紛うほどに整った容姿。異種族であるがゆえの異様さと、見惚れるほどの美しさとが、奇妙な調和を成している。
(ちくしょう、なんでワガハイがこんな目に遭わねばならんのだ!)
事の発端は、ちょっとしたイタズラ心だった。
妙ちきりんな男を見かけたワガハイは、軽い気持ちで呪術を仕掛けたのだ。
「シシシシシ……さあ、ワガハイの瞳を覗きこむがいい。貴様の自我はもう、ワガハイのもの。叡智なことしか考えられなくなってきただろう? これより貴様は、ワガハイがやめろと言うまで、耽美でエッチなイラストを生成し続けるのだ……常人には、さぞ恥ずかしかろうな……シシシシシ」
ところが、その男が予想外の暴走を見せる。
なんとワガハイをモデルに、「囚われの冒険者見習いの少年剣士を、美貌のハイ・ゴブリン少女がねっとり搾精する」という、ドぎつい内容の薄い本を描いてしまったのだ。
それが瞬く間に話題となり、売れに売れ、やがて本人の口から「これは、白髪のハイ・ゴブリン娘様が私に見せた妄想を、私はただ紙に写しただけです」と来たもんだ。
この発言が火に油を注いだ。
「30まで童貞を守り抜いた魔を討つ会」の面々からは「俺の童貞、奪ってくれ!」と追い回され、同族の間では「ショタ喰い」なる不名誉な異名を頂戴し、白い目で見られる日々。くぅぅ、ワガハイ、まだ『そういうこと』なんて、したことすらないのに……。
しかし、それら以上に厄介なのが──
突如、空気が裂けた。
「くっ……!」
その場にいた誰もが目で追えぬ速度で、女騎士の剣が振るわれる。
鋼の光は一直線にワガハイの眉間を狙い──だが、かすかにそれた。
ギリギリのところで身体をひねり、ワガハイは裏路地の壁沿いに転がるように避ける。
足元の砂埃が、細く尾を引いて舞った。
「おい待て! 今の、マジでやばかったぞ!? 殺す気か、コノヤローッ!」
その叫びに、剣を構えたまま女騎士は眉ひとつ動かさず、きょとんとした顔で答えた。
「は? あれくらい、かわすでしょ。お前なら」
「いやいや! 当たったら普通に死んでたし! どこの教育的指導だそれは!」
「当ててないじゃん」
「あっさり言うな! ワガハイの命、たまには重く扱ってくれ!」
少女の額には玉の汗が浮かび、赤い瞳は怒りと恐怖と困惑の三重奏を奏でていた。
対する女騎士はというと、どこか“任務遂行中”といった真面目顔を崩さず、無言でまた一歩、踏み込んでくる。
「お前を捕らえて更生させる。……ショタ喰いなんて、もうやめるんだ」
「だからしてないぃってっいってんだろうがああああ!!」
一歩詰められ、一歩下がる。
猫とネズミの知恵比べ、いや、地味に人権問題である。
ワガハイの誇りと名誉は、もう崖っぷちだった。
──厄介なのが、この女騎士である。
あの本が出回って以来、ワガハイは「ショタ喰いのドスケベ・ハイ・ゴブリン」として不当なレッテルを貼られ、それを信じた女騎士は「更生させてやる」と言いながら、何度もワガハイを捕らえようとしてくるのだ。
だが、もとよりショタ喰いなどという事実は一切ない。
濡れ衣も甚だしい。
……まったく、冗談じゃない。
「ふむ……反省の色はないようだな」
剣の刃先がわずかに揺れ、女騎士はそれを音もなく鞘に収めた。
金属の小さな音が、路地裏の張り詰めた空気を静かに断ち切る。
そして、ひと息おいて、まるで裁きを宣告する神官のように口を開いた。
「だが──お前にチャンスをやろう。名誉回復の機会をな」
「名誉……回復?」
ハイ・ゴブリンの少女は、その聞き慣れぬ言葉に緑の耳をピクリと動かした。
長い睫毛の奥の赤い瞳が、不審と困惑に揺れている。
女騎士は一歩前に出た。ブーツの音が、石畳を鋭く打つ。
「この街では、近頃ある種の失踪事件が相次いでいる。
狙われたのは少年たち──しかも皆、美少年ばかりだ」
その声には、怒りとも正義ともつかぬ熱がこもっていた。
まるで、正体の知れぬ怪物を憎む者のような。
「な、なぜワガハイが……?」
少女は一歩退いた。だが、言葉は続く。
「私はお前を追い続けていた。少なくとも、事件の起きた日時に、お前がその場にいたことはない。
つまり──この一連の事件に限って言えば、犯人はお前ではない」
その“限って言えば”が、妙に引っかかった。
けれど少女は口をつぐむ。口を開けば、さらに面倒な言い回しが飛んできそうだったからだ。
「だからこそだ。
この事件を、お前自身が解決することで、
お前が『極めて性的な妄想に精通し、それに耽る生き物』であったとしても──」
「だから違うってば!! その前提をやめてくれ!!」
「……それでも、『イエス・ショタ・ノータッチ』の理念を信条として掲げているのだと証明できれば、世の目も変わるはずだ。少しはな」
まるで、大昔に誰かが唱えた宗教の一節のように、女騎士は『ノータッチの理念』を語った。
それが余計に話をややこしくしているとは、気づいていないふうだった。
少女の唇が引きつる。
呼吸が浅くなり、喉がうまく鳴らせない。
なぜなら──
「ぐぬぬ……」
抗弁の余地を奪う『証拠』が、そこにあるからだ。
「往生際が悪いぞ、ハイ・ゴブリン!」
怒声とともに、女騎士の手が懐をまさぐる。
そこから取り出されたのは、あまりにも有名になってしまった『あの薄い本』であった。
掲げられた表紙は、もはや芸術と猥褻の境界線を綱渡りする存在だった。
水に濡れた薄絹一枚、透ける肌、蠱惑の微笑。
そしてそのモデルが、眼前に立つ少女と瓜ふたつであることに疑いの余地はなかった。
「これを描かせておいて、妄想していないとは笑わせる!」
「か、勝手に描いたんじゃ!! ワガハイはそんなこと、一度だって──!」
言いかけた言葉は、次の瞬間、風にさらわれた。
女騎士はさらにページをめくり、その中身──構図、描写、そして一線を越えたシーンの数々を、まるで戦場で旗を掲げる兵士のように見せつけた。
路地裏にざわりと気配が走る。
通行人たちが立ち止まり、手元の薄い本と、実物の少女とを見比べる。
まるで、展示物と照合するような目で。
「ち、違うのじゃ……ワガハイは、ただの被害者で……!」
無言の視線。
偏見。
そして無関心を装いながらも、しっかり焼きつけていく眼差し。
それは羞恥というより、自己という存在そのものが浸食されていく感覚だった。
「わ、わかったのじゃ! 協力するのじゃ!!」
両手を振り回し、少女はついに叫ぶ。
恥じらいと屈辱、怒りと諦念がないまぜになったその声は、路地裏の石壁に何度も反響した。
「だからもう、それ以上めくらないでぇぇぇぇぇっ!!!」
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本日は初日のため、第八話まで30分おきに公開いたします!