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episode1-1-6 聖女の願い

この回で登場する少女は、この物語のもう一人の主人公です。

この後、少女はジニーと出会い、ジニーの運命を大きく変える存在となっていきます。

ちなみに、少女の名前はもろにFF7のあのキャラです。

見た目も同じです。

 穏やかな南風が流れる中、少女は西の水平線を見つめていた。彼女の視線の先には、水平線が静かに広がっているだけだったが、彼女は海の彼方に何かを見つけようとしているように、じっと見つめ続けていた。

 北へと向かう一隻の船が、海上を進んでいた。船の甲板では、船員たちが忙しく動き回っている。しかし、彼らの様子は普通の船員とは違っていた。彼らは全員が武器を携えており、船全体には剣呑な空気が漂っている。船の甲板上は、緊張感に包まれていた。今にすぐにでも戦いが始まってもおかしくないかのような物々しい雰囲気だ。船のあちこちから、船員たちの怒鳴り声が聞こえてきた。

 怒声が飛び交う甲板の上で、一人の少女が海風で乱れる亜麻色の髪を押さえながら海を見つめている。顔だちは幼いが美しい少女だ。暖かな海を思わせるエメラルドグーンの瞳が印象的だ。船べりに立って海を静かに見つめる少女からは、神秘的な雰囲気が漂っている。

 空は快晴で海は穏やかだった。少女は海の彼方を見つめていたが、その瞳には不安と後悔が深く刻まれていた。まるで視線の先に大切なものを置き去りにしたかのようだ。


「いつまでもこんなんじゃ駄目ね」  


 少女は両頬を強く叩いた。自分の中の迷いを吹き飛ばすかのように。痛みに堪えた後、目を開いた少女の瞳には決意が漲っていた。手すりから話して、周囲を見渡しながら甲板の上を歩く。

 

「警戒中によそ見していたら、口うるさい人から小言を浴びせられるのがオチ。傭兵のくせに、まるで孤児院の寮母さんみたいに口煩くて嫌になっちゃう。せっかく外に出て自由になれたっていうのに、なんで私の周りには何かと口煩い人ばっかりなんだろう」


 愚痴と不満をこぼしながら、船の進路上へと視線を戻す。波は穏やかで海は平和そのものだ。しかし、海を見つめる少女の目は緊張感に満ちている。少女を乗せた船が航行している海域は、モンスター出現率が低い安全な海路だとはいえ、油断はできない。船には魔物探知スキルに長けた者が四六時中見張っていなければならない。少女には魔素の濃度感知と魔物出現の探知するスキルが持っていた。

 ゆえに、少女は来る日も来る日もこうして甲板に立って海を見張ることになっている。


「……こんなに綺麗で穏やかな海なのに、少しでもルートがずれると、恐ろしい魔物が出現する魔の海域に入ってしまうのよね。この世界はすごく広いのに、私たちが生きていくにはすごく狭い世界……」


 少女は意識を集中させながらも、その作業にうんざりしているかのように不平不満といった溜息を漏らす。少女が読んだ冒険小説で描かれる船旅では、迫力のある展開が描かれていた。魔の海域では未知で凶悪なモンスターが出現する危険な場所。突然の大嵐の中、航行する船の正面には大津波。ようやく嵐を抜けきったと思ったら海賊の襲撃を受ける。それらの展開は少女の胸をときめかせた。

 

「せっかく夢にまでみた冒険小説みたいな冒険が始まると思ったのに、もう一週間以上もず~っと変わらずじ~っと海を見張っているだけだなんて。これじゃ修道院生活となんにも変わらないじゃない」


 なのに、実際の船旅は少女の想像とは違っていた。穏やかな海と風の中、息を殺しながら航行する周囲を警戒ばかりする毎日ばかりだ。船員も毎日緊張で張り詰めたような表情をして働いている。甲板上は息が詰まりそうな緊迫した雰囲気に包まれている。こんなことは冒険小説にはどこにも描かれていない。

 何も起きない平穏な海をただ見張るだけの船旅に少女は嫌気がさしていた。


「もうこんなんじゃつまらないじゃない! 何かもっと凄いことでも起きないの!」


 少女が発した言葉は、旅におけるタブーである。旅は不安定で、何が起きるか誰にも知れない。それゆえに、旅人は何も起きないことを祈っている。誰かが少女の言葉を聞いていたら、間違いなく激し叱りつけていただろう。

 しかし、少女は文句を言いながらも意識を集中して船の周囲と進路上への警戒を怠りはしなかった。しかし、その時、風が突然変わった。南からのやさしい風が、一瞬で東からの激しい風に代わったのだ。船は東風に吹き飛ばされるように左に傾きだしてバランスを崩す。船員も突然のことに慌てふためき甲板上は混乱に包まれた。

 しかし、少女はその混乱に目もくれなかった。少女は船べりの手すりにしっかりとつかまりながら、西へ吹き抜けていく風をじっと見つめ続けていた。風を追う少女のエメラルドグーンの瞳には、風が少女が待ち望む何かを運んできてくれたかのような期待が溢れていた。

 だが、彼女の視線の先には、水平線が静かに広がっているだけだった。


「どうしたんだ、何か見えるのか?」


 意識を西の水平線に向ける少女の後ろから、声がかかった。背後に立ったのは長身の青年だ。声は鋭く堅く、大人びている。整った顔立ちだが、どこか剣呑とした鋭さが感じられる。その黒い瞳は鋼のように冷たく、力強く輝いていた。服の上からでも筋肉質な体つきが分かる。帯剣した油断の無く立つ青年は傭兵のような緊張感を漂わせていた。

 呼び掛けても無言のままの少女に訝しんだ青年は、彼女の視線を追った。青年は目を鋭く凝らすが、そこには敵も味方もなく、ただ青い空と海が広がっているだけだった。


「モンスターの気配でも察知したのか? 俺の目には何も見えないぞ」


 海を見つめる少女の眼は真剣だった。青年は彼女の視線の先にモンスターが現れるのではないかと警戒しする。青年の声には静かなる闘気が込められている。その声には、他者を圧倒する力が宿っていた。青年の周囲には、物々しい気配が漂っている。少女の様子に気づいて作業の手を止めていた船員でさえも、その気配に気づいて背筋が凍るような恐怖を覚えた。


「おい、西があるんだ? そっちから何かが来るのか?」


 少し苛立った声音で青年は聞く。その声には迫力と凄みがあったが、少女の耳には届いていない。水平線をどこかぼんやりとした表情で眺める少女の横顔を見て、青年はあることに気が付いてうんざりとした溜息をつく。青年の顔からピリピリと張り詰めていた緊張感が解けていく。その表情にはどこかあどけなさが残っている。青年は呆れながら拳を握った。青年の拳には戦いの傷が深く刻まれている。青年は少女の頭に容赦なくその拳を振り下ろした。


「ふぎゅ!」


岩にぶつかったような衝撃とともに、可愛いらしい悲鳴が少女の口から発せられた。頭を押さえて痛みを堪えている少女からは、先程まで纏っていた神秘的な美しさは消え失せている。怒りに目を輝かせた少女は、顔を上げて青年をにらみつけた。その表情は、普通の年頃の少女のものだった。


「痛いじゃない! 何するのよ!」


 少女は青年に向かって大声で怒鳴った。頭二つ分も高く、剣を腰に差している青年をだ。先ほどまで青年が発していた肌がひりつく様な剣呑さが和らいでいるとはいえ、青年が発する凄みと迫力が消えたわけではない。ただのチンピラなら、青年がひと睨みするだけでことたりるだろう。

 しかし少女は青年を恐れない。彼に向かって容赦なく文句を浴びせた。


「女の子の頭を殴るなんて、どういうつもりなの? たんこぶができたら責任とれるの? 女の子にはもっと優しくしなさいってご両親から教えて貰わなかったの?」

「それは何度注意しても直さないお前が悪い。そもそも俺は孤児で、物心ついた時から傭兵団で育ったんだ。そこで教えられたことは、お前みたいに注意されてもいうことを聞かない奴には、こうして痛い思いをさせてでも解らせろってことだ」

「だからって暴力は駄目でしょう。私みたいなレディにゲンコツなんてしていいと思っているの?」

「喧しい。どの口がレディだなんてほざいてんだ。大体、お前が海をボケッと眺めているのが悪い。一体、何を見ていたんだよ」

「何って、海と空と雲以外、何が見えるっていうのよ」


 何を馬鹿なことを聞くのだろうという少女の態度に、青年は怒りで目を見開いた。


「なら、ゆっくりと周りよく見て見ろ」


 青年の指示に従って少女は周りを見回した。船員たちは作業を中断して少女に目を向けていた。みんな少女に不満そうな顔をしている。それも当然だ。モンスターの見張りをしていた少女が海を真剣に見ていたら、誰だって何かあると思って警戒するだろう。

 少女は船員たちの反応を見て、青年が怒っている理由がわかった。

 少女は場を和ませようとして、精一杯の笑みを浮かべた。


「ぷぎゃん!」


 少女の頭上に二発目の鉄槌が振り下ろされた。


「笑って誤魔化そうとするんじゃない」

「だからって殴らなくてもいいじゃない!」

「その痛みをしっかりと覚えておけ! いいか、ここはお前が今まで暮らしていた安全な場所じゃないんだぞ。ここではちょっとした油断で死ぬことだってあるんだぞ!」


 青年の言葉に少女は反論する言葉が出なかった。少女はこれまでモンスターの被害とは無縁の場所で過ごしてきた。モンスターに対する脅威は知識で知っていても、恐怖までは体感したことはない。少女自身に油断や慢心があったわけではない。だが、子供の頃から憧れていた外の世界に対する冒険心で浮足立っていたのは確かだ。

 少女はこれまで閉鎖的で閉塞的な環境で育ってきた。不幸な生い立ちではないが、かといって誰もが持っている自由を手にできる境遇ではなかった。

 モンスターが出現する場所では、一つのミスが大惨事になりかねない。モンスターが現れてもどうにかできると、そんな甘い考えが心のどこかにあったのかもしれない。


「……その、ごめんなさい……」


 急にしおらしく反省しだした少女に、青年は気味が悪そうな表情を浮かべた。


「なんていうか、急に素直に謝られても気持ちがわるいな」

「ちょっと、それどういう意味よ!」


 少女は怒って顔を上げた。


「お、その方がお前さんらしいな。お転婆なお嬢さんにしおらしく謝れたんじゃ、こっちが悪いことしたみたいで気分が落ち着かなくなる」

「ちょっと、誰がお転婆よ!」

「それに能天気なお前が暗いとこっちの気分まで沈んでくる」

「誰が能天気よ!」

「まぁ、なんだ。お前はそうやって馬鹿みたいに口やかましいくらいがちょうどいいってことだ」

「ふ~ん、なるほど。普段からあなたが私のことをどう見ているのかが、これでよくわかったわ! バンク、剣を抜きなさい。これは乙女の意地とプライドをかけた真剣勝負よ!」


 船の上で交わされる青年と少女のやりとりに、周囲の船員達は見飽きたかのような呆れ顔で眺めていた。緊張で張り詰めていた船員達の心が緩んでいく。青年と少女の他愛もない口喧嘩が、甲板上に漂っていた戦場の前線を思わせる空気が和んでいく。


「手を止めて何してんだ、テメエら!」


 そんな船員たちの頭上に怒声が落ちて来た。

 見上げると、そこには眼帯をした隻眼の男が船楼甲板から見下ろしていた。男の名はホーク、『海鷹』の異名で海賊からも恐れられている。外界と内界の交易品で商いをしている商業ギルドに入っている商人だ。だが、実際は外界と内界の海路上を航行する商船の護衛を主な仕事とする武装商船団『海鷹商会』の頭目である。

 太陽と海風に晒された肉体は、五十近い年齢にもかかわらず、衰えを知らないかのように生き生きとしていた。逆立った頭髪と髭を蓄えた相貌はライオンのように勇ましい。左目を失っているが、残された右目は鋭い覇気で満ちていた。


「ここは陸じゃねぇんだ。いつ何時モンスターが襲ってくるかわからない海の上なんだぞ! ボサッと手を止めてサボっている奴は、俺が直々に海に放り捨ててるぞ! 解ったらさっさと持ち場につけ!」


 船長の怒声が船上に響き渡ると、船乗り達は恐怖に震えながら、必死に働き始めた。そんな部下をホークは鋭い眼光で睥睨すると、呆然と立ち尽くす少女と青年に視線を移す。怒気を孕んだホークの視線は少女に集中していた。

 少女は一瞬だけ、ホークの鷹の眼を思わせる鋭い眼光に怯むが強気に睨み返す。そんな少女の勝気な視線を、ホークは鼻で笑った。


「バンク! テメェもボサッとしてねぇで、所定の位置で待機してろ!」


 ホークは青年を指差して、空に轟くほどの怒声をぶつけてきた。それは声による暴力、普通の人間ならば腰を抜かしていたに違いない。声の矛先でもないのに、甲板にいた船乗り達は聞いただけで体をビクつかせて萎縮している。しかし、青年は船長の殺気混じりの視線を怯むことなく強気な視線で見返した。


「……了解」


 船長の命令に逆らうことなく、青年は無表情で小さく答えると、船尾のほうへ向かって歩き少女から離れて行く。離れていく青年の背中を、少女は心細そうな様子で見送った。


「おい、嬢ちゃん」


 頭上から降りかかる不機嫌な声に、少女は上を見上げた。落ち着いた声だったが、深い苛立ちを抑えこんでいるのが船長の顔から窺いしることができる。少女を睨む瞳には、激しい怒りが垣間見える。


「海を呑気に眺めているなんて、観光気分か? もし、客として俺の船に乗りたいというのなら、今この場できっちりと全員分の金を払って貰おうじゃないか」

「そんなに怒らないでよ。お金を持たない私達を乗せてくれた船長には感謝しているわ。協力できることはなんだってするつもりよ。だから、こうして昼間は私がモンスターの見張りをしているんじゃない」

「当たり前だ。誰の為に、俺達が正規ルートを外れた海路を渡っていると思っているんだ! パスポートを持たないお前とお前の荷物達は、内界から外界へ渡る不法渡航者を見張る巡視船に見付かれば、強制的に元いた場所に戻されることになる。身分があるお前はまだいいが、お前の荷物はどうなるかわかったもんじゃないぞ」


 魔素濃度が低い正規ルートならば、モンスターに襲われる心配はない。


「魔素の感知とモンスターの探知ができる奴がいないと、正規ルート以外の海路を渡ることは不可能だ。俺の船でそれができるのは一人しかいない。本来ならば、お前のような信用も信頼もしていない小娘なんぞに頼ったりはしない。だからこそ、監視の楽な時間帯である日中を任せているのに、お前ときたら何度も周囲の人間が勘違いするような行動ばかりしやがって」


 これまで少女に対して抑えてきた口が漏れ始める同時に、ホークが耐えてきた怒りがここで爆発した。


「小娘、言っておくがな、いざとなったら俺はこの船と部下達の命を優先するからな! 一ギルの儲けにもならない、お前の荷物を必死になって守ると思ったら大間違いだぞ! なんなら、今すぐにでもあんな厄介な荷物なんざ海に捨ててやるぞ! こっちはお前の偽善なんかに命を張る理由なんてないんだからな!」


 その言葉に少女は敵意を込めてホークを睨んだ。だが、この船に厄介事を持ち込んだ少女には言い返す言葉はない。彼らは命を懸けて少女の頼みを引き受けてくれている。彼らには感謝しきれない恩があるが、それでも偽善の一言で切り捨てるホークの言葉が少女には許せなかった。

 ホークは知らない。少女が幼いながらも、彼女が何と戦っているのかを。

 だが、それを口にしてホークに訴えるのは筋違いというものだ。少女は今にも口から飛び出しそうになる激情を必死になって飲み込んだ。悔しそうに俯く少女を見つめるホークの眼には、力も持たずに理想を掲げるだけの愚か者に見えた。

 頭上から蔑むように見下ろすホークの視線に怒りを抱きながらも、少女は悔しさを噛みしめながら耐えた。どれだけ怒られようと、罵られようと、少女が頼りにできるのはこの男しかいない。

 少女の依頼は自分と荷物を外界へ渡らせることだった。沢山の商業ギルドに頼み込んだが、話を聞いて引き受けてくれたのは海鷹のホークだけだった。報酬は少女の全財産である。それはホークにとって一ギルの儲けも無いどころか、損失の大きい依頼だった。

 そこで少女にふとした疑問が湧き、思わず言葉に出していた。


「なら、何で私のお願いを聞いてくれたの?」


 ホークは少女の行動を非難した。それはホークだけではない。ここまでの道中でいくらでも言われ続けた言葉だ。少女が求めること、少女が願うこと、誰もが最初は褒めてくれる。しかし、それに関わろうとすると、褒めてくれたほとんどの人がその言葉で少女を責めたてた。

 偽善、その言葉を言われるたびに少女は彼女が慕っていたシスターの言葉が思い出された。


――どれだけ貴方が本気で必死で善行を成し遂げようとも、それが形にならなければ全てが偽善でしかないのです――


 心から信頼するシスターの口から出たこの言葉に、少女の期待と希望は裏切られた。

 その時、失望のあまりに思わずシスターに向って叫んだ言葉が少女の中で何度も思い出して、彼女は心から悔やんだ。


――もういい、先生には頼らない! 私は先生のような鉄のように冷たい心なんて持てない!――


 反抗心剥き出しにして、大好きなシスターに向って酷い言葉を言った後、少女は飛び出すようにして荷物を抱えて外の世界に飛び出した。

 計画性の無い旅は、言い換えればただの無謀でしかない。世界に対して無力で無知な少女が、沢山の荷物を抱えて無事にここまで来られたのは、ひとえに青年のおかげである。

 少女は船尾から後方の海を監視する青年の背中を見つめた。彼も初めは少女の行動を偽善だと否定した。なのに、彼はこうして少女の無謀な旅についてきてくれている。彼は少女から一ギルも受け取っていない。

 少女はホークを見上げる。恐ろしく冷酷な目をした男だ。海賊から恐れられるだけあって、他人を威圧するような剣呑な雰囲気を纏っている。そんな恐ろしい男が何故少女の依頼を引き受けたのか。偽善だと罵りながらも。


「ねぇ、なんでなの、なんでこんな一ギルもお金にならないどころか、厄介事と面倒事でしかない私の依頼を引き受けてくれたの?」


 商船団といっても、この船は実質海賊と変わらない。商船の護衛と称しながらも、襲撃した海賊船から荷物を強奪している。人だって沢山殺してもいるだろう。少女の目から見れば、目の前の男は悪党でしかない。

 

「貴方の狙いは何なの?」


 少女はホークという人間を、心のどこかでまだ疑っているのかもしれない。海賊船から荷物を奪い、海賊を殺す男が何を考えているのか少女は知る必要があった。

 それは少女自身の為だけでなく、彼女の大切な荷物の為に必要なことだった


「……狙いか」


 ホークは少女の疑問に顎髭を撫でながら、何と答えようかと考えあぐねている様子だ。嘘で誤魔化すことはいくらでもできる。だが、まっすぐに見つめてくる瞳を前にして、ホークはある一人のシスターを思い出していた。


「お前が似ている。いや、似てはいないが、だけど似ている」


 ホークは呟くように言う。少女にはその言葉の意味が何一つ理解できなかった。

 ホークは自分が思わず漏らした失言を後悔するように、低くぼやきながら乱雑に後ろ髪を掻き乱す。深い溜息のあと、ホークは諦めたかのように少女の疑問に答えた。


「お前はニサンのシスターだったんだよな」

「えぇ、そうよ」

「俺はガキの頃、その国の世話になっていたんだ」


 軽くなった口を閉ざすことができなくなっていることに、ホークは自分自身に嫌気がさしている。これから漏れだす言葉が気恥ずかしくて、ホークは表情が見られないように少女に背を向けた。


「そこで一人のシスターに、俺は命を救われたんだ。あえていうなら、これは俺なりの恩返しだ」


 少女の位置からはホークの顔を見ることはできない。しかし、その言葉で少女は納得することができた。初めて会った時から、ホークはいつだって粗野で粗暴な態度と言動ばかり繰り返していたが、少女にも少女の荷物にも危害は一度も加える様なことはなかった。口汚く罵ってくる言葉の真意には、この海賊なりの不器用が垣間見えていた。


 背中から漂ってくる少女からな暖かな視線を、ホークは鬱陶しそうにして振り向く。頭上から見下ろすホークの視線は、少女の甘えを断ち切るような厳しさがある。


「嬢ちゃん、お前のやっている事もやろうとしていることも、俺は立派なことだと思う。だがな」

「実現できなければ偽善だっていいたいんでしょ」

「あぁ、そうだ。実現したければ、非情になれ。お前が成そうとしていることは生半可な覚悟じゃできない」


 少女は大好きなシスターの姿を思い出していた。疲れ切った老体を気丈に奮い立たせて、一つでも多くの戦火を鎮めようと、一人でも多く戦禍に見舞われた人々を救う為に、自分の人生を捧げた少女が心から敬愛する人だ。


「人には出来ることと出来ない事があるって言いたいの?」

「違うな。やる以上はどんな手を使ってでも成し遂げろってことだ。どんなものでも利用して、どんなものでも犠牲にしてでもな」


 冷厳と言い捨てて、ホークはその場から立ち去ろうとする。こうしている間も、船はいつモンスターが出現するかわからない海を渡っている。船の船長であるホークに、長話をしている暇も気を弛ませている余裕もない。


「待って」


 そんなホークの背に向かって、少女は声を上げて呼び止めた。


「恩返しなら、どうしてその人に直接返さないの?」


 その問いにホークは振り返らずに答える。


「返したくても、その人はもういないからだ」


 悲しみに満ちた声を残してホークは去っていった。一人残された少女は、彼の言葉を心に刻んだ。自分が周囲の反対を押し切って、母親のように慕っていたシスターの言葉を疑って、このような場所にいることに、少女は自分自身の行動と判断が正しかったのかと迷い悩んでいる。彼女が生まれ育ったニサン教国から、船倉に閉じ込められ続けている荷物……いや、難民達を連れ出したことは間違いだったんじゃないだろうか。

 少女の疑問に正しい答えを教えてくれる人は、ここにはいない。悩みを聞いてくれる人も、アドバイスをくれる人だっていない。彼女の疑問は彼女自身が晴らすしかないのだ。

 それに少女が迷う原因の底に暗いものが沈んでいるのを感じた。それは罪悪感である彼女は本当に難民たちを救うために、内界から外界へ連れ出したのだろうか。それとも、自分の夢を叶えるために、彼らを利用しているだけなんじゃないだろうか。

 少女の夢。それは幼い頃に読んだ冒険小説の主人公のように、この世界の外にある世界を冒険することだ。

 少女は頭を振って暗い考えを振り払った。そんなことを考えている場合ではない。彼女は船の甲板に立って、東から吹く風を感じた。風が吹き抜けて行く。縦帆船は怒声を張り上げる船長の指示と、その指示に従って雄々しい声を上げる船乗り達の巧みな操船によって、上手く風を捉えて海を北上していく。


「おい、この先の海の様子はどうなんだ!」


 ホークの怒声を受けて、少女は探知スキルを利用して周辺の魔素濃度とモンスターの有無を探る。船の進路上の魔素は低く、モンスターの出現はない。


「このままで大丈夫!」


 声高に叫ぶと、少女は船の進路の先では無く、静かに風が吹き抜けて行く西に広がる水平線の先を見つめた。先程、青年とホークから注意を受けたばかりなのだが、少女はどうしても西側に何かがあるように思えてならなかった。彼女が幼い頃から夢に見た見知らぬ世界『外界』に背を向けて、彼女はこれまで過ごして来た『内界』を見つめ続けている。思い出も、愛する人々も、全部を置き去りにして少女はここまで飛び出してきた。

 少女の胸に、ノスタルジックな哀しくも愛しい感情で湧き上がってきた。これまで押し込んでいた感情と共に、少女の名前を愛おしげに呼ぶ一人のシスターの姿が、脳裏に浮かび上がってきた。

 帰りたい。

 その言葉が頭に過った時、両手で自分の顔を叩いた。弱気になってはいけない。彼女は自分に言い聞かせる。やって後悔するくらいならやるな、やらずに後悔するくらいならやる、そう少女に教えたのは彼女が慕うシスターである。

 今戻った所で、きっと追い返されるに決まっている。


「……行ってきます」


 少女は一人静かに、彼女の慈しむ大切な過去と人々に向けて別れを告げた。だが、それは永遠の別れというわけではない。少女は心の底でそう思っていた。

……そう願っていた……。


「わぁー、海だー!」


 突然、背後から幼い子供達の陽気な声が響き渡る。何事かと少女が振り返ると、船庫へと通じる階段の扉が開かれていて、次々と子供達が飛び出してきた。

 子供達は縦横無尽に、無邪気に甲板の上をはしゃぎ回って無邪気に楽しんでいた。


「誰だ。ガキ共を部屋から出した奴は!」

「仕事の邪魔だ! 誰かさっさと捕まえろ!」

「クソガキ共が、言うことを聞かないと殺すぞ!」


 船乗り達は子供達に怒鳴りつけて、手を伸ばした。しかし、子供達は簡単には捕まらなかった。彼らは船乗り達の間をすり抜けて、甲板の隅々まで逃げ回った。


「いやよ」

「あんな所にいつまでも閉じ込められていたら死んじゃう」

「ジメジメだし」

「蒸し暑いし、暗いし」

「狭いし」

「つまんないし」

「捕まえられるものなら、捕まえてみやがれってんだ!」


 恐れ知らずの子供たちは船乗りたちに反抗して、笑顔で挑発した。そんな子供達を、船員たちは怒った顔で捕まえようと追いかける。まるで遊んでいるかのように子供達は無邪気に逃げ回る。息が詰まるほどの緊張で張り詰めていた甲板上の重苦しい空気が、子供達の陽気な声で明るく賑やかになっていく。怖い物知らずの子供達の前では、海鷹ホークの威厳も肩透かしである。ホークは諦めたかのように、苛立ちが混じった溜息を吐いた。怒った顔で子供達を追い掛ける船乗り達の表情も、どことなく和らいでいるように見える。


「あ、エアリス様だ!」

「エアリス様、何してるの?」


 逃げ回る子供達を愉快に眺めていた少女を一人の子供が見つけると、あっという間に少女の周りには子供達が集まっていた。


「エアリス様、一緒に遊びましょうよ」

「今はお仕事中なの。だからみんなも船乗りさん達の邪魔をしちゃ駄目だよ」

「だけど、いつまでもあんな狭くて汚い部屋でこれ以上閉じ込められていたくないよ」

「あと、ちょっとだけ我慢してくれないかな。そうしたら、何も気にせずに遊び続けられる場所につくから」

「そこなら何をしても大丈夫なの? 誰の眼も気にしなくても平気なの?」


 少女の周囲に集まる子供達は特徴がある。肌は浅黒く焼けていて、顔にも腕にも多種多な紋様が多色に描かれていた。子供たちは、いわば内界のある地域で暮らす少数民族の出自だ。その地域では最近民族紛争が頻発し、そのたびに酷い虐殺が行われているという。子供たちはその苦しみから逃れるために、少女に率いられてこの船に乗り込んだのだ。


「うん、約束したでしょ。自由に遊べる場所に連れて行ってあげるって」

「おい、お前達、外に出たら駄目だって言っただろうが!」


 男性と女性が心配したような表情をして、少女の周囲に集まる子供達に近づいてくる。二人とも同じ肌色で同じような紋様を肌に描かれている。顔立ちはまだまだ幼く、見るからに二人とも成人前に見える。


「ほら、みんな下に戻るよ」

「え~、やだよ~」

「わがまま言うんじゃない」


 二人に連れられて、子供達はしぶしぶと船庫へと続く階段を下りて行った。

 それを見送った船乗り達は、嵐が過ぎ去ったかのように疲れた溜息を漏らす。子供たちに手を焼かされたが、そんな子供たちの元気な声にも癒されていたようだ。

 子供達が去った後も、子供達の明るい笑い声が残っているような気がする。甲板上にはどこか和やかな雰囲気が漂っていた。

 少女も子供達の顔を見た事で、先程まで胸中に渦巻いていた不安は取り払われていた。覚悟を決めた少女は気を引き締めて、船の進む海の先を見つめた。

 少女はまだ知らない。

 少女が歩み始めた一歩が、やがては大きく世界を変える大きな一歩になることを。

 少女は知る由もない。

 彼女が見つめる海の先で、運命的な出会いと思いがけない大冒険が待ち受けていることを。

次からは魔導列車に乗ったジニーの話を書きます。

ようやく戦闘描写を書くような展開を考えています。

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