失恋
僕の好きな子は、僕の親友のことが好きらしい。
その目線を追ってみればわかる。どうやったって、僕の視線とはかち合わない。あんな熱っぽい表情だって、僕だったら引き出せない。
それに気づいた時から、この恋は早々に負け戦だった。
その僕の親友というのが、兎にも角にも良い奴なのだ。
小柴泉、17歳。誰に泉のことを聞いたって、まず「良い奴」というのが返ってくるだろう。褒める言葉が見つからない時の、おためごかしで言っているのではない。
素直で、人を嘲るようなことは思いつきもしなくて、自然と周りに人が集まってくる、そんな奴。一緒にいて気持ちの良い奴。彼の笑顔はとても眩しく、そして優しく、まるで青春の権化のようだなと思っていた。
ただ、男女ともに誰とでも仲良くなれるからなのか、不思議と浮いた話は全くなかった。恋愛に発展するより先に友達になってしまうらしい。典型的「良い人」ポジなんだと、本人はもはや自虐ネタにしていた。泉自身はどちらかというと惚れっぽい方ではあるのだが。コンビニ店員のお姉さんが、少し甘い香りを漂わせていただけで、どぎまぎして小銭を落としている様は面白かった。
といっても、今までそういう気がなかったわけじゃない。背はとびぬけて高くて、人懐こい顔つきなので、中学の初めの頃なんかは女子に騒がれてたりもした。ただ変なところで自信がないので、ちょっとの噂程度では全くなびかなかった。そしてそのうちに恋愛なしで普通に仲良くなってしまう。泉は良い人、というイメージは早々に固まっていた。
高校では良い人キャラを自覚してネタにしていたおかげで、周りの女子がそういうキャラクターを察して接するようになった。だから黄色い噂を立てられる間もなく、友情を築き上げてしまっているようだった。恋愛に縁がないと思っている本人にとっても、そういう態度の方がやりやすいらしい。
しかし、そういう何の気ない女子の群れに紛れて、僕の好きな子は、ひとり、女の顔をしていた。
いやだな。気づいてしまった。
同じクラスの天海りさ。そこそこ人付き合いはするようだけれど、あまり群れてない印象が最初はあった。そういうところが面白そうで声をかけるようになったのだ。でも実際話してみると、よく笑うし、群れてないというよりもただただ人付き合いが苦手なだけだった。臆病で、でも人と接したくて一生懸命普通を取り繕っていて、でも素直でよく笑う。気づいたらもう堪らなくて、転がるように恋に落ちていった。もともと、一目惚れのようなものだったのだろうけど。正直、クラスの男子の中で僕が一番仲がいいんじゃないかと自負している。
なのに、ある時から彼女の目線は泉に向かうようになっていた。
「慧人ってさ、いつも小柴に誕生日プレゼントとか渡すの?」
そう天海に聞かれたのは、委員会終わり、教室に戻る最中のことだった。僕は彼女と同じ委員の座をちゃっかり勝ち取っていて、その日はどうでもいい委員会の愚痴を言い合いながら一緒に歩いているところだった。話に一旦区切りがついたかと思うと、まるで何の気もない様に彼女はその話題を口にした。
僕と泉は特段一緒に行動しているわけではないのだが(泉の交友関係の広さが僕との接点を薄めているというのもある)、彼が日常全部をあけっぴろげに話すような人なので、よく僕の名前を会話に出す。そのおかげで、クラスでは完全にセット扱いになっていた。天海が毎年誕プレを渡し合う仲だと思ったのも無理はない。泉の誕生日は再来週だった。
「いや、プレゼントは毎回じゃないかな。祝うことには祝うけど」
答えながら、嫌な気持ちになってきた。誕生日プレゼントの事前調査か。
「へぇ、男子ってそういうもの?」
「毎回渡すやつもいるだろうけど、そっちの方が珍しいかもね。泉だって、毎回僕に誕プレくれるわけじゃないし」
「そういうもんなんだねぇ」
一瞬、間が空く。
「今年は?何か用意するの?再来週でしょ」
またしてもなんでもないかのように、自然に質問を投げかけてくる。ただ、天海の気持ちに気づいてしまった僕にとっては、意味のない演技だった。
なかなか本題に入らないこの会話に、もどかしさを覚える。
いつからなんだろう。きっと、彼女の気持ちに一番に気づいたのは僕だ。彼女が泉を好きになる前から、僕は彼女のことが好きなんだから。でもきっかけがわからない。そりゃ、あんな善意のかたまりみたいな奴、なんでモテないんだとやきもきしたことは沢山ある。泉の魅力は僕が誰よりもわかってる。だけど、よりによって、なんで。
「泉のどこが好きなの?」
「へっ?!」
思わず、聞いてしまった。口に出してすぐに後悔する。
どうせ、僕にいいことなんてないのに。知らないフリを通せば良かった。
「いや、好きとか、えっなんで?」
動揺のあまり、言葉がまとまらなくなっている。正直、その様はかわいい。けど、それは僕が引き出した顔じゃない。
困惑した天海はしばらくもごもごと言い訳らしいことを言っていた。が、一通り言い終えたのか、観念したかのように立ち止まり、か細い声でなにか問いかけてきた。
「え?」
あまりにか弱く聞き取れなかったので、聞き返す。
「……小柴、にもバレてるのかな…」
ガン、と頭を殴られたような感覚だった。
あまりにも、まざまざと見せつけられてしまった。天海の、恋心を。
心臓が、ゆっくり、強く、脈を打つ。ドッ、ドッ、と重苦しい音が聞こえる。
苦しい。胸が苦しい。彼女の気持ちに気づいた時から、この恋は諦めていたはずだったのに。
「…いや、あいつは気づいてないんじゃない。と、いうか、僕以外の誰も気づいてないと思うけど」
できるだけ、いつものトーンを保ちながら答えた。
さりげなく、僕の想いも込めながら。
「ま、小柴は気づかないかぁ」
そう言って、天海は力なく笑う。
ほんの微かなアピールさえも華麗にスルーされて、また胸がギュッと締め付けられた。僕はその可能性にも入っていない。
「誰にでも優しーもんね、小柴」
天海は自虐的に乾いた笑いをした。
ほら、言わんこっちゃない。
「良い人」ポジだなんて自虐してるから。本当に好きになられても、気づけないじゃないか。彼女が欲しいって言ってるくせに、そんなんじゃ、僕が、奪ってしまうぞ。
僕の虚しい感傷もつかの間、突然、天海の目が潤みだした。
必死に上を向くが、瞬きすると同時に、つぅっと頬に涙が伝う。
「えっ、え?」
今度は僕が狼狽していた。
いまの会話の、どこに泣くところがあったんだ?どちらかというと泣きたいのは僕の方なんだが。
慌てふためく僕の様子がおかしかったのか、彼女は泣きながら笑い出した。ますますどうすればいいのか分からない。
「ごめっ、なんか、あははっ」
声を出して大きく笑う。
するとタガが外れたのか、今度はその場にしゃがみ込んで泣き崩れてしまった。
「あ、天海…?」
為す術もなく、弱々しく彼女に声をかける。
「うっうぅ…」
言葉にならない嗚咽が漏れる。
この肩を引き寄せて抱きしめてしまいたい。でもできない。
いきなり肩を抱き寄せたらキモいとか、そういう世間体もあるけれど、この涙はどうせ泉に向けられたものなのだ。僕が抱きしめたって、天海の心は動かせない。
せいぜい隣に座って、彼女が泣き止むまで待つくらいが関の山だった。
「ぐすっ」
一通り泣いて落ち着いたのか、天海は鼻をすすりながら顔を上げた。不細工で、愛らしい。悔しいほど、僕は彼女が好きだった。
「ごめん、急に泣いたりして…怖かったよね」
「いや、びっくりはしたけど、別に」
「…うん、ごめん」
「…」
力なく笑う彼女に、結局気の利いた言葉はかけられなかった。
「なんか、あまりにも小柴の脈がなくってさ。それ思い返してたら一気に来ちゃった。意味わかんないよね」
また、弱々しく笑う。彼女の切ない気持ちが、そのまま僕の失恋を映しているようで、もう、やりきれなかった。そんなことで、泣かないでくれ。そんなことで泣くくらい泉を想っているなんて、僕に聞かせないでくれ。
自分がどういう表情をしていたのか分からない。掛ける言葉は、見つからなかった。
沈黙を埋めたいと思ったのか、そのうちに彼女はぽつぽつと話し出した。
「小柴って、優しいじゃん?ただ優しいだけじゃないっていうかさ、思いやりって言うの?こうさ、いや、今まで嫌な人に会ってきたわけじゃないけど…なんなら恵まれてきた方だと思うけど…でも、今までに出会った誰よりも、優しいんだよね。とにかく私のことちゃんと見てくれて、小柴ってめっちゃ人と目合わせて話すじゃん?そういうところも好きだけど、私がちょっとコミュ障でさ、恥ずかしそうにしてると目、逸らしてくれるの。なんかそういうの全部さ、」
やめとけば良かった、やっぱり。なんでこんなこと聞かなきゃならないんだろう。
これは、さっき僕がした質問の答えじゃないか。
「…うん、好きなんだよね、全部」
泣き終わったあとの潤んだ瞳が、少し紅潮した頬が、晴れやかで、遠い目が、すべてが僕の全身を刺してきた。
天海がコミュ障だなんて、僕の方がよく知ってる。恥ずかしそうにしてたら目を逸らすなんて、僕でもやってる。大勢で話すよりも少人数で話す方が気持ちが楽なのも、知ってるよ。
あいつより、僕の方がずっと天海をよく見てるし、面白い話だって聞かせてやれる。あいつは誰にでも優しいけど、僕は天海にだけ優しくできる。
「小柴って誰にでも優しいからさ、ほんと、脈ないな~って諦めかけてるんだけど、でもさ、もうどうしようもなく好きでさ…むしろ優しくされなくてもいいんだ。特別になりたい」
脈拍が、どんどん遅くなる。廊下の窓から差す夏の日差しが焦げるほど暑い。息が止まるようだった。
何も言えず天海を見つめる僕に、彼女はまっすぐ視線をぶつけてきて、照れくさそうに笑った。
「え、待って、恥ずいんだけど。なんか言ってよ」
なんだか、笑えてきた。
彼女の独白が、あまりに真剣で、ポエティックで、演技を見ているように思えてきた。まるで、恋愛リアリティーショーのインタビューを見ている気分だ。なんだか、笑えてきた。
「くっ、くふふ…」
「ちょっと、何笑ってんの!」
顔を隠して笑う僕を、天海が小突く。
ああ、日常だ。心臓の締め付けが和らぐ。堰を切ったように、笑い声が漏れ出す。
「ごめん、笑っちゃいけないと思ったら逆に面白くなってきて…」
「はぁ?聞いといてなんなの?めっちゃ真剣に答えたんですけど!」
分かるよ。だから笑ってるんじゃないか。
「あーもう、いい。そうです、私は小柴のことが好きですー。めちゃめちゃ引くほど好きなんですーーー。」
あまりに僕が笑うので、振り切ったのか、やけくそのように天海は繰り返した。
「悪かったって。別に馬鹿にしてないから」
「いや、めっちゃ笑ってたじゃん」
「ごめんって」
落ち着いて顔を上げた先に見えたのは、満面の笑みの天海だった。いつも通り、笑っている。
「一応だけどさ、小柴には言わないでよね、絶対」
こういうのを、死体蹴りって言うんだろうか。
「言わないよ」
言ったら惚れっぽいあいつのことだから、絶対天海を意識する。そんなこと、するわけないじゃないか。
馬鹿なやつ。ここで僕から泉に伝えるよう言っておけば、チャンスが増えるのに。泉って、そういう単純な奴なんだよ。憎らしいくらい、素直でさ。
でも言わない。絶対言わない。
「あー帰るの遅くなっちゃったね、ごめん」
膝を払いながら、そう言って天海は立ち上がった。合わせて僕も立ち上がる。
「ちょっと喉乾いたから天海がおごってよ」
「うわっ、やな奴。じゃあ食堂寄ってく?」
そう言いながら、二人で食堂へ歩き出した。天海はこんなにも素直でかわいい。
「ていうか、私ばっかり損してる気がする。慧人の恋バナも聞かせてよ。好きな子いないの?」
あまりの容赦のなさに、また笑いが込み上げてくる。
「うわ、ごまかしてる。絶対いるじゃん!誰?」
「いや、いないから。いたとしても天海みたいにポエマーじゃないからさ」
「ねぇ!!」
僕の腕をバシバシ叩きながら、天海は笑っていた。この笑顔を、泉だったら引き出せるっていうんだろうか。答えはイエスだ。しょうもない対抗心に、また笑いが込み上げてくる。
天海は泉のことが好き。僕は天海のことが好き。
どうしようもない日常に、胸が押しつぶされそうで、息がつまる。