第四十話
天文八年 (一五三九年) ニ月 播磨国 飾東郡 御着城 小寺氏館
前回の戦で小寺の支配している国が播磨、備前半国、但馬、丹後になった。石高にすれば八十七万石だ。暫くは内政で忙しくなるだろう。
次の戦は恐らく尼子になる。何故なら来年尼子は毛利を攻めるからだ。国の支配を固めねばならないな。それと甲賀衆が摂津に鉢屋衆がいて中々情報が手に入らないと言っていた。気を付けておこう。
天文九年 (一五四十年) 六月 備前国
尼子が毛利を攻めた。その為毛利から尼子を攻めてくれと要請が来た。尼子と戦をする為に、領地の支配を固めていたのだ。この要請を大義名分に尼子を攻める。
「皆の者、昨年の因幡の借りを尼子に返すぞ!」
「応!」
編成は但馬から攻める五千の山陰軍、備前から攻める一万五千の山陽軍だ。残りの兵は西の国境に配備した。因みに山陽軍は総大将が俺、副将は勘助、加藤だ。山陰軍は大将が小河、副将は岸田与三兵衛だ。岸田与三兵衛は知将で、歳は三十程の男だ。
重隆は西の守りをする為置いていく。
「殿、山陰地方が鳥取城を包囲しました。そのまま、兵糧攻めをする様です。」
「そうか、良くやった。」
鳥取城を兵糧攻めか。秀吉も鳥取城を兵糧攻めにしたが、その時は攻める前に兵糧を全て買ってから兵糧攻めをしたから簡単に落ちたのだったな。...城内は人が人を食べ様とするくらい悲惨だったらしいが。
まあ、今は順調に進軍する事が出来て笠岡の近くだ。
「伝令!尼子軍五千が笠岡に陣取っているとの事です!」
そうなると笠岡で決戦か。
「此処で勝って備前を統一するぞ!」
「「「応ー」」」
天文九年 (一五四十年) 六月 備前国 笠岡
地形は左右を山に囲まれた谷の様な所だ。隅田川を遡った所に尼子軍がいる。
「どう言う策で行きますか?」
勘助が聞いて来た。
「兵力差もある、正面から突破しようと思う。」
「分かりました。」
「ああ、勘助は左翼の部隊を率いろ。右翼は加藤に率いらせる。」
「はっ。承りました!」
さて、尼子に借りを返すとするか。
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