第四話
享禄四年 (一五三一年) 七月 播磨国 飾東郡 御着城 小寺氏館
転生してから早二年がたった。年齢は三歳だ。舌も回るようになって来た。そして俺に傅役がつく事になった。黒田下野守重隆だ。軍師として有名な黒田官兵衛の祖父である。
「若様、如何なされましたか?私の顔に何かついていますか?」
そう話しかけたのは傅役の黒田下野守重隆だ。大物崩れで功を挙げて俺の傅役になった。歳は二十四歳と言ったところか。身長は百六十を少し超えるくらいだ。顔は二十四にしては老けているが優しそうな顔をしている。
黒田下野守重隆は長い。これからは重隆と呼ぼう。
因みにだが、重隆には子がいる。後の黒田甚四郎職隆だ。もっと分かりやすく言うと、黒田官兵衛の父だ。といっても今の年齢が七だが。いつか会ってみたい。
俺が無言でいる間も重隆は黙って俺のことを待っていてくれている。
「少し考え事をしていた」
とだけ言った。
さて、俺のいる播磨はでかい。石高は三十五万石だ。そして播磨には十二の郡がある。その中で小寺が支配する郡は飾磨郡であり石高は六万石を少し超えるくらいだ。兵に換算すると千八百くらいになる。だが幸いな事に此処御着城の城下町は、山陽道が通る交通の要所の為とても栄えている。米だけでは無く金銭収入もある為、経済的には豊かだと思う。
とは言え、俺はまだ三歳だから何を言っても説得力がない。正条植え、塩水選、苗床栽培、肥料などの内政チートは後回しだ。
今できる事は現状を整理する事だ。まず、播磨については主要な武家は赤松家、小寺家、三木家、明石家、別所家、櫛橋家だ。
赤松家は播磨守護の家で、宍粟郡、佐用郡、赤穂郡西部を治めていて七万石。
三木家は揖保郡、赤穂郡東部を治めていて六万石。
明石家は明石郡、加古郡、印南郡を治めていて十一万石。
別所家は多可郡、美嚢郡、賀茂郡を治めていて七万石。
櫛橋家は神崎郡を治めていて四万石。
小寺家よりも所領が少ない家は、櫛橋家だけで残りは同等以上という状況だ。このままでは小寺の将来は暗い。
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