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第十八話

天文六年 (一五三七年) 三月 播磨国 飾東郡 御着城 小寺氏館


 尼子との戦が終わり暫くして落ち着いて来た。

 

 現状をまとめよう。

 まず、今回の損害だ。


 我が軍は五百名の戦死者と千三百名の負傷者が出た。それに対して敵の損害は千五百名の戦死者と四千名の負傷者だ。キルレは三だ。悪く無いだろう。しかし、父上に怪我を負わした牛尾久信が置いた殿の兵が、粘ったお陰で牛尾本隊を追撃出来なかったのと本陣で尼子晴久を逃す時間を作った佐世清宗隊に、多くの兵を殺されたのが無ければよりキルレを上げる事が出来ただろう。


 次は、今回の戦で得られた物だ。それは尼子が取ったが、放棄した揖保郡と宍粟郡だ。合わせておおよそ十一万石と少しはあるだろう。今の領地と合わせると二十万石になるだろう。播磨の弱小勢力から播磨随一の強国になった。 


 こんな疑問を持つ者が居るだろう。三木家も赤松家も残っているのに良く領地を取れたなと。

 簡単な事だ。父上から家督を譲って貰った後、三木家や赤松家に、尼子が出雲に撤退したと伝わる前に領地を接収した。


 そのお陰で赤松家と三木家から抗議の文が来ている。まあ、両家とも尼子から、かなりの被害を受けた為、暫くは何も出来ないだろう。そしてこの一連の戦は夢前川の戦いと呼ばれる様に成った。


 さて、今回ある問題を痛感した。

 それは圧倒的な情報不足だ。今まで周りはどんぐりの背比べの様な勢力しか無かったから情報が少なくとも何とか成ったが、これからは尼子家や三好家、大内家、毛利家と情報が無いと外交や戦が不利になる様な大国を相手にしていく事になるだろう。


 この事から忍びを保持したいと思っている。

 だが、残念ながら我が家は忍びとの繋がりが無い。 

 そこで、無いなら直接会いに行けば良いじゃ無いと思った。しかし、俺自ら行く事は難しいそこで使者を出す事にした。

 

 今からこの事を山脇六郎左衛門に話そうと思う。


 「孫四ろーー、申し訳ございません、殿。以前の癖が抜けずに思わず、家督を継ぐ前の様に呼びかけてしまいました。それで何故私は呼ばれたのでしょうか?」


「はっはっは、左衛門、別に構わんぞ。それで呼んだ理由だが、今から甲賀と伊賀に行き、忍びを召し抱えに行って来てくれ。」


「甲賀と伊賀に忍びを召し抱えに行くのですか?雇うのでは無くて?」


「そうだ。忍びに抵抗があるかも知れんが、これからは情報が重要に成ってくる。だから召し抱えたいのだ。」


「いえ、差別では無く、忍びを召し抱えるのは珍しいと思って聞いてしまいました。」


「そうか、では行ってくれるな?」


「はっ。殿のご命令でしたら、何処へでも行きます。」


「ああ、それとこの紙に記している者を小寺家に来ないかと勧誘してくれ。」


「はっ。畏まりました。では、準備があるのでこれで失礼します。」


 そう言って左衛門は下がって行った。

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