召喚士は勇者を呼ばない
「あ”ーっ! やってらんない!」
帝国魔術師団所属、魔術研究部隊の制服を着た女が叫んだ。
場所は帝都の中央に鎮座まします紅雪城の一角、皇太子の執務室。
先ほど皇帝との謁見を終えた女が、二重三重の防音障壁を張った上で青筋を立てながら叫んでいた。
執務室の主である皇太子には丸聞こえだが、これは聞かせているのだから問題ない。
そうだ、この際あの皇帝の臆病っぷりと他力本願っぷりを後継者であるこの男にとくと知らしめなければならない。とっくに知っているだろうけれど。
なにしろ先ほど皇帝は、己を支える忠臣達の顔に泥を丹念に塗り込みやがりくださったのだ。
「な・に・が・異界の勇者よ! 何が悲しゅうて他所の世界の勇者を召喚せにゃならんのよ! 確かに魔王が現れたという知らせは受けたけど、まだどの程度強いのかもわかってないじゃないの! 騎士団や冒険者の精鋭を送り込む前にいきなり勇者なんか呼んでどうするのよ! 一度呼んだら返せないってわかってんの!?」
勇者召喚には色々と制約があるが、大きな問題点としては呼んだ勇者を元の世界に返せないことがあげられる。つまり呼ばれた側にしてみれば誘拐に他ならない。
「今の段階で勇者なんか呼んで、呼ばれた勇者がその辺に気付いたらどう言い訳する気!? 強さもわかんない魔王にビビッてあなたを誘拐しました。もう一生帰れないです。それはさておき命がけで戦って下さいって? 私が勇者ならまずそいつぶった切るわよ!」
どう考えても勇者の心証は最悪だ。そしてその勇者の目の前にいるのは召喚士である自分だ。やってられるか。それに問題は他にもある。
「だいたい異界の勇者ったって、べらぼうに強いってこと以外は何もわかんない奴を呼ぶのよ!? うっかり間違って剣の腕一つで国を興した大英雄なんか呼んじゃったらどうするのよ!? 魔王を倒した報酬に帝国丸ごと寄こせって言われたらそいつのせいで帝国が滅ぶわよ!」
まあその場合は帝国というより帝室が滅ぶだけなのであまり問題はないかも知れない。皇帝にとっては大問題だろうが。
「それにあの陛下のことだもの。最初の謁見で勇者を怒らせる可能性が高すぎるわ。それで勇者が陛下をプチっとして終わればまだいいけど、変に理性的だったら誰が間を取り持つのよ。私は嫌よ。真っ平よ」
帝国を統べる皇帝がみだりに頭を下げるなどもっての他だが、召喚した相手はとにかく強いのだ。場合によっては頭を下げる必要が生じるかも知れない。だがあの陛下がそんなことを想定しているとは到底思えない。
「とにかく! 私は勇者を召喚しない! 絶対しない! わかったわね!?」
最後通告を部屋の主である皇太子に叩きつける。如何に帝国最高の召喚士とはいえ、平民出身とは思えない態度だ。
だが皇太子は寛大にもこれまでの山積みになった不敬発言を一切合切不問にした上で、冷静に指摘した。
「まあ今回はそれでいいだろう。魔王の強さがわからないのは事実だからな。だが調査が進んで魔王の強さがある程度以上であれば、父上も改めて正式に勅命を出すだろう。その場合はどうする?」
相変わらず嫌な男だ。父親よりは理性的だし賢明だが、人を追い詰めるような言い方を好んで多用する。仕事でなければ絶対に関わりたくない。
「逃げるわ。私は帝国の首席召喚士。空間転移の魔術なら大陸一だもの」
だから弱みを見せてはいけない。絶対につけ込んでくる。ぶっこんでくる。こっちくんな。
「勅命を無視して敵前逃亡? どういう意味かわかって言っているのかね?」
「ええもちろん。この国に私を捕らえられる者がいるなら死罪ですね。いるなら」
異界から勇者を召喚できる魔術師が、自分を転移させられないはずがない。それも帝国最高の術者ともなれば妨害すらままならない。彼女を力で止めるのは不可能だろう。
「それは困った。これでは我が帝国が滅ぶのも時間の問題というわけだ」
皇太子はわざとらしく溜息をつく。実に実に大きな溜息をつく。
「大袈裟な。過去に現れた魔王の中で、国を滅ぼせるほどの力を持ったものは3体しかいなかったじゃない。ましてこの帝国は大陸一の大国。なんとでもなるってば」
「いいやならない。今の皇帝がアレなのに、君がいなくなったら次期皇帝まで使い物にならなくなる。いや、とんでもない暴君になるかもしれない。そうなればきっと国が滅ぶ」
「どう考えても私のせいじゃないよねそれ。というか、あんたがしゃっきりすれば済む話じゃない!」
「私は大変な粘着質だからね。失恋の痛手をいつまでもいつまでも引きずるんだ。知ってるだろう?」
「知らない。知りたくもない。というか私関係ない。知ったこっちゃない」
「まあ真面目な話、魔王はどうにかしないといけない。最終的にどうにかなったとしても、それまでに出る被害は小さいほうがいい」
「急に真面目にならないでよ」
「私はいつも真面目さ」
「嘘つけ」
とはいえ皇太子の言うことにも一理ある。国外逃亡はいつでもできるのだし、勇者召喚以外なら手伝うのもやぶさかではないのだ。
「だからこうしよう。魔王の強さを計るための調査団に、君も参加してくれ」
「……しょうがないわね。私がいればいざとなれば調査団ごと逃げられるもんね」
「で、ついでに魔王の首も取っちゃってくれ」
「……はい?」
「君が魔王を倒せば万事解決。勇者なんか呼ばなくてもいいし、帝国に被害も出ない。それで君を貴族に叙勲すれば身分差も解消する。いやーめでたしめでたし」
「待ったらんかい」
「そもそも父上が勇者を呼ぶことに拘ってる理由が、君に武勲を立てさせない為だからね。今だってこれまでの功績で騎士爵くらいは叙勲するべきって意見が根強いんだから」
「なにそれ初耳」
「強く推薦してる筆頭は皇太子だけどね」
「待ったらんかい」
「けど実際のところ、女性だからって理由で遅れてるだけで、騎士爵の叙勲はほぼ決まってるんだ。君より功績を上げてない騎士爵がどれだけいると思う? というか君が男ならとっくに準男爵だと思うよ」
「たらたらすんな騎士ども。私が気合入れてやろうか」
「いやこれ論功行賞の話だから。勝手に基準を厳しくしない」
「騎士とか貴族とか真っ平なんだけど。こんな帝国に忠誠を誓う気なんかないんだけど」
「それを皇族の前で言うとか」
「皇族の前だから言ってんのよ。ほらほら不敬罪で功績はチャラよね。あとはお小遣いだけちょーだい」
「貴族になったら領地か年金が貰えるよ」
「やだ。めんどい」
「私と結婚できるかも」
「それが一番めんどい」
「照れなくてもいいの「めんどいめんどいめんどい」
余計なことばかり言う皇太子をなんとか黙らせる。本当に面倒ばかり押し付ける男だ。
「なんにせよ、調査団には私も同行するし、仲良くしよう」
「待ったらんかい」
「だって私が行かないと、君魔王と戦わないでしょ?」
「だからって皇族が最前線に出てどうすんの。あとあんたがいても魔王とは戦わないからね」
「いやほら、私がピンチになったら君本気出してくれるじゃない。いつも」
「そのいつものせいで私がどんだけ苦労してると」
「いやー、愛の力って偉大だねー」
「よーしわかった。あんた魔王と一緒に葬ってやる。覚悟しろ」
「話もまとまったところで、早速出発しようか」
「……ちょっと待って。調査団って全部で何人?」
「うん、総勢二名」
「待ったらんかい」
「二人っきりで婚前旅行。これはもう君に悪い噂が立っても無理はないね。責任取って私が結婚しないと」
「悪い噂立てる気満々よね? というかそれだったら私一人で行くから。あんた普通に足手まといだから」
「まあそう言わずに。既成事実って大事だよ」
「絶対一人で行く。というか転移魔術で行く。これなら日数もかからないし荷物もいらない」
「えー」
皇太子があげる子どもっぽい抗議の声を置いてけぼりにして、召喚士は魔王の元へ跳んだ。
「いやー、早かったねぇ」
「魔王、弱かったからね」
「これなら勇者なんかいらないねぇ」
「ほんとそれ。まあこれなら陛下も勇者呼べなんて言わないでしょ」
「あー、うん、勇者を呼べとは言わなくなった」
「……なに、その奥歯に物が挟まったような言い方」
「うん、今度は聖女を呼べって言い出した」
「待ったらんかい」
「君が今回の件で手柄を立てちゃったから、叙勲が確実になってね」
「だからいらねって言ってるのに」
「しかも魔王討伐とくれば、やっぱり騎士爵じゃ収まんなくてさ」
「だーかーらー」
「子爵に叙爵されることになった」
「待ったらんかい」
「これくらいの身分があれば皇太子とも釣り合うでしょ?」
「いや釣り合わないでしょ。子爵だよ?」
「子爵令嬢だったら釣り合わないけど、子爵家当主だもの。釣り合っちゃうんだよこれが」
「げー」
「んで、父上がどうしても私と君の結婚を妨害したいらしくてさ。聖女を召喚して私と結婚させようって」
「待ったらんかい色々待ったらんかい」
「ということで、君が私との結婚をどうしても拒否したいなら、聖女を呼ぶしかないわけだ」
「なにその二択」
「どうする? 聖女を呼ぶのを拒否する? それとも私と結婚する?」
「さり気なく選択肢を奪うな」
「まあ聖女を召喚すれば、勇者の時と似たような問題は当然起こるだろうね。突然誘拐されて知らない男と結婚して国の半分背負えってんだから」
「しかも結婚相手がこれとか聖女が不憫すぎる」
「聖女がどんな力を持ってるかもわからないしね」
「私だったらどんな力でも全力で帝国を傾ける方向に使うわ」
「だよね。んじゃ呼ばないってことで。いやー、やっとプロポーズが通ったよ。長かったなぁ」
「待ったらんかい。今ののどこがプロポーズなのよ」
「聖女を呼ばないってことは、私と結婚してくれるんだろう?」
「そもそもその二択がおかしいよね? なんで私があんたと結婚しなきゃなんないの?」
「私が惚れたから。まあそろそろ諦めて嫁においでよ」
「絶対嫌」
「本当に嫌ならもうとっくに逃げてると思うけどねー。帝国最高の召喚士さん?」
「……やっぱあんた嫌い」