1.4:それはまるで夢のような①
「ヴェル、次はこの道を行こうか」
聞こえてくるのは気持ちのいいくらい透き通った、凛とした声。
聞き違えることのない、相棒の彼女の声だ。
俺はもちろん、と頷き彼女の背中についていく。
この一帯はもはや彼女の縄張りと化しているために平和も平和、もしかすると地上において最も安全かもしれない。
彼女の得意な青魔法と赤魔法を組み合わせた結界は、中にいる生物全てを見逃さずに敵意のある者のみを燃やし尽くす。
天才的な魔法への才能と、神がかり的な彼女の把握力が為せるわざだ。
そのおかげで人によって彼女に対する多少の好悪の差はあれ、ここを通る人たちはみんな彼女に感謝した。
ヴェルが始めて彼女に出会ったのは、その結界を張り巡らせている準備をしている彼女に、逃げている俺が災獣を押し付けてしまったあの時だった。
「ヴェル! 疲れたでしょ。ここで弁当にしよ! 」
場面が変わる。
一本の大木の下で彼女は何処から取り出したのやら敷物を広げて、持ってきた弁当をヴェルに披露する。
彼女は料理もうまかった。
こちらは流石に町一番とまではいかなかったが、それでも弁当に詰められている料理がかなりのスキルを必要とするのはわかった。
「紫魔法を応用するだけよ。加速すればちょちょいのちょい。ほら、紫魔法はヴェルの得意分野じゃない」
彼女は簡単そうに言うが、俺はまねできそうにないと否定する。
全系統の魔法をフル活用して料理を作るなんて冗談じゃない。
そもそも生来適性のある属性以外の魔法を使うのは、並の人間には難しい。
『七色魔術師』の異名は伊達じゃないのはよーくわかるが、魔法とは日常にそこまで使用するものだっただろうか。
「はい、あーんよ。あーん」
彼女はさもそれが当たり前の前提であるかのように、気にすることなくフォークに刺した肉料理を俺の口に運んでくる。
なんだか照れ臭かったが、俺は彼女の好意に甘えることにした。
場面が変わる。
「ヴェル。 ここは私に任せて」
七色の燐光をその身にまとう彼女は、大勢の災獣を目の前にしてなおも単身で突っ込もうとする。
遠征についてきた俺たちは満身創痍だが、彼女は多少息が上がるだけで済んでいる。
そういう自己犠牲的なところ、俺は嫌いだ。
珍しく率直に俺の意思を伝えたが、大丈夫だよと彼女はにへらと笑う。
わかってるけど、しなくちゃいけないから。
彼女は戦いの最中にしては気の抜けた表情でそう答える。
実力が足りないのはわかる。俺の能力では彼女についていく事さえできない。
それでも、それでも。俺は彼女の力になりたい。
軋む体を気力でなんとか動かして立ち上がる。
ヴェルこそ大丈夫?と聞く彼女。
俺はにへらと笑って返す。
彼女はそれ以上何も言わず、目の前の災獣をしっかりと見据えるのだった。
ヴェル。 ヴェル? ヴェル! ヴェル————
場面が切り替わり続ける。
そのたびに彼女が俺を呼ぶ声がする。
彼女はいつも笑いかけてくれていた。
俺を見ていないときはどんな顔をしていたのかあまりよく知らないが、彼女が怒った顔をしたことは長い付き合いの中でも指で数えられる程度しかない。
ただ、泣き顔はその限りではなかった。数日に一回、彼女は夜一人で泣いているときがあった。
理由は深く聞けなかった。
有能すぎる彼女は誰から見ても有用な存在であり、そのために多くの人の羨望と期待を背負っていた。
彼女だって人間だ。能力そのものは人間の領域をはるかに超えていても、心はそこらに居る町民とさほど変わりはしない。
分かり合えない人の方が多いのだ。彼女はいつも強くあるように見えて、実のところ彼女の心は蔑ろにされている。
俺が絶対に彼女を守らないと。
その泣き顔を見る度に俺はそう心に誓い、必死に努力を続けたのだった。
やがてその日はやってくる。
辺り一帯燃え盛る大地。死体がなおも燃え続け、もはや炭になろうがその青い炎は衰えない。
赤い龍型の災獣に乗った、人型の何かが俺たちに向かって魔法を唱える。
青い炎弾が俺たちに向かって発射され、七色の魔法がそれを何とかはじき返す。
魔法銃を握る彼女の顔にはもはや余裕なんてない。
最高の装備、最高の人間、最高の魔法を使ってなお、世界は俺たちをあざ笑う。
いくら彼女とは言え、その災獣との圧倒的な火力の差は埋められそうにはなかった。
「ヴェル」
いつもの調子で彼女は俺に語り掛ける。
こちらを振り向かずに彼女が話しかけてくるのは初めてだ。
どうした、と疲労のにじむ声で俺は応じたが、肝心の彼女からの返事はない。
状況が厳しいのはわかる。彼女自身が俺の分までリスクを背負って戦っているのも知っている。
しかし、彼女が俺の名前を呼んで言葉を続けないのは異常事態だ。
俺は彼女にもう一度どうした、と聞き返す。
すると、彼女は重々しく口を開いた。
「ヴェルだけでもいいから、逃げて」
相棒として戦ってきた俺に対する、衝撃の言葉。
いや、これは相棒だからこそか。
互いが互いを思う気持ちがすれ違いかける。
剣を持つ手の震えが止まらないが、俺はまだまだ戦える。気にする必要なんてない。
そう言おうとしたしたのに。災獣に気おされ言葉が出ない。
「行って」
次の彼女の言葉はとても力強かった。
こうなれば彼女の決意は揺らがないだろう。
「絶対に生きて帰れよ」
だけど、いくら時間がないとはいえ俺がこの時この言葉しか発さなかったのは、よくなかったのかもしれない。
もしかしたらあの言葉を言ったら、何か変わったのかもしれない。
「はは、私が帰ってこなかったことなんてないじゃない。まかせてよ」
彼女はまじめな声で軽口を叩く。
俺はせめて彼女の邪魔にならないよう、残りの魔力をフル活用。
紫の光を残してその場から去る。
「ヴェル。私は君の事……」
そんな声が後方で聞こえたような、そんな気はしたがもう振り返ることはできない。
そうして、いつもの笑顔はその時を境にもう見ることはできなくなった。
遠い遠い、昔の話だ。
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「ヴェル。ヴェル」
誰かが俺を呼ぶ声がする。
まて、俺はまだここに居たいんだ。
「ヴェル。ヴェル」
全く変わらぬ単調な声が俺を呼ぶ。
ああ、まったくうるさいな。
寝ぼけ眼で俺は椅子から腰を上げる。
目の前にいるのは俺より背の低い、年端も行かぬ白髪の少女。
欠伸と背伸びをしながらも、なんとか言葉を絞り出す。
「ああ、おはよう。シル……クロエ」
「シルクロエ? それは誰の事で? 」
夢のせいで言い間違えた。
「いや、言い間違えただけだ。おはようクロエ」
「おはようですよ、ヴェル」
その名前を呼んでくれる人はもういないと思っていたが、人生とは数奇なものだ。
「さあ、今日はギルドに行こう。お前のことが何かわかるかもしれない」
そう言ってヴェルは朝食の準備をする。
ちらと目を移すと時計の針はもう真上にのぼりそうになっている。少し寝すぎた。
これだと朝食じゃなくて昼食だな。
少し苦笑いしながらも、時間短縮のために紫魔法で加速しながら料理する。
この癖がついたのも、彼女のせいに違いない。
ヴェルが料理にいそしんでいる間、クロエが外に耳をそばだてる。
「ヴェル。この音は一体何でいやがりますか?」
そういえば、さっきから外の様子が少しうるさい。
ヴェルはカレンダーに目を通す。
そして、やっぱりそうだと確かめるように頷いた。
今日はシルヴィア=アルフィスの七回忌。
赤い竜を追い払い、命を賭して町を守った最高の魔法銃士、『七色魔術師』シルヴィアを称える七回目のお祭りが町では開かれているのだった。