1.2:それは純白の記憶①
疲れ切ったボロボロの体に鞭打って、愛しの我が家に無事帰宅。
チリンチリンと来客用に扉につけられた鈴が鳴り、ヴェルは室内のランプを点灯させる。
できれば早いところ体を洗って食べて寝たい。
普段はあまり気の進まない一連のルーティンだが、とても魅力的に思えてしまうのは疲れ切っているからか。
今のヴェルには味気のない食事が劇的においしく感じ、固く寝心地の悪いベットでもぐっすりと眠れる謎の自信がある。
しかし、状況がそれを許すことはないのは悲しいことだ。
とりあえず、まず両手で抱えているこの少女の処遇をどうにかしなければ、今後自分が少女と一緒にいることがバレて町で肩身の狭い思いをしてしまう予感がする。
一発間違えれば警察沙汰。
そうでなくともロリコンやそれに似たような不名誉なレッテルを張られるのはごめんだ。
よっこいせと少女をいつも自分が寝ているベッドのコートを胸元にかける形で上に寝かせ、ヴェルは背もたれが前方に来るようにして近くの椅子に座る。
「つーか、なんでこんなに重たいんだコイツ」
まるでその少女は鉄の塊を腹の上いっぱいに抱えているかのような重さをもっていた。
人を抱える機会は久しいものの、成人した人間より思いのは流石に違和感を感じる。
こんなにちびっこい体のどこにそんな重量が存在しているのだろう。
少し気になって調べてみたが、なにがしかの魔法が使われている気配もない。
本当にあの少女がこれだけ重いのだろうか。
「まぁ人の体重を気にするのも野暮な話か」
頭に引っ掛かりはするものの、さして重要な手がかりではなさそうだ。
今必要なのは、少女を親元に返すための情報。
体重が人よりも重い原因なぞ知ったところでこの先何の役にも立ちはしない。
ヴェルはしこりのように残る違和感をとりあえず頭の片隅に置き、身元を知るために少女の観察を再開する。
光そのものが束になったかのように艶のある純白の長髪に、まるで日を知らないかの如く白い肌。
顔はよく整っている方で、まるで服もきちんとしたものを仕立ててあげれば上流階級のお嬢様と勘違いされるぐらいの美しさ。
だが、正直いってこんなか弱い女の子が危険な災獣どもの支配する地上の探索など出来るはずがない。
ましてや文字通り、全くの装備なしでの探索なんて、一流の冒険者どころかひよっこでも絶対にしないと断言できるほどにありえない話だ。
探索パーティに参加していたのだろうか? それとも町間を移動するキャラバンが襲われたか? それともまさか、何か別の理由で?
「実は何かの罠じゃないよな……」
限りなく少ない可能性であるのは理解しながらも、もし本当ならゾッとする。
あまり広くない自室に一つだけ存在する窓の方を振り返るも、こちらをのぞき込む人間は誰もいない。
見られて困るものは何もない…いや、この状況は見られれば困るが、俺を狙って得られる見返りなど何もないハズ。
……念のため身体検査はした方がよさそうだ。
しばらくヴェルは考え込んでいたが、やがて諦めたようにあまり気の進まない手段を実行に移すことを決めた。
絵面はあまり気持ちのいいものではないが、これもこちらの安全のため。
ついでにこの少女に関する手掛かりが少しでも得られれば万々歳だ。
ヴェルは少女が何か装飾品でもつけていやしないか、遠目ながらも体をよく調べる。
「見た所ネックレスのようなものはなし、指輪もなし。唯一あるのは——この足輪ぐらいか」
少女の右足につけられている金属製の足環に近づき触れるヴェル。
足環には鉱石の類は埋めこられておらず、何か魔法が付与されているということもない。
パッと見ただけは何の変哲もない、市販されていてもおかしくないようなそんな足環。
しかし、伊達にヴェルの方も長年冒険者をやってはいない。
旧人類の物品をある程度知った者でなければそのまま見過ごしていた、かすれていて見えづらく、経年劣化で傷のようにしか見えないソレが実のところ文字であるということに気づく。
「これは……名前か?」
足環に旧人類語で刻まれた『クロエ』と『エーデルワイス』という文字。
少なくともこのあたりの町にそんな家名の大家はないし、生まれてこのかたこの町でそんな家名を聞いたことすらない。
もっと手掛かりはないかと試しに足環を少女の足から外してみようとするも、足環は少女の足にがっちりとハマっていて流石に断念せざるを得ない。
なんで唯一の手掛かりが架空のもの臭い名前なんだよ……
あまりの収穫の渋さに、思わず頭をうなだれるヴェル。
さすがにコイツから目を離すことはできないから今日は徹夜になるだろう。
……とりあえず飲み物でも取ってくるか。
ふと思い立ったヴェルは台所からコーヒーを取りに行く。
さて、明日はギルドによってあの少女の事をダメもとで聞いてみるか。
コーヒーを自動で入れてくれる『遺産』の音を楽しみながら、今後の計画を立て始める。
今の自分の楽しみと言えばコーヒーを飲むことぐらいだろうか。
友人関係はあまり豊富と言えないし、読書やその他の趣味にかける金はない。
コーヒーも安くはないが…これぐらいの贅沢は許されるだろう。
やがて台所に漂うコーヒーの香り。
今日もいい出来だ。
少し淵のかけているシンプルなコーヒーカップにコーヒーを淹れ、部屋に戻るためにベッドの方に向き直る。
そして椅子に深く座ってコーヒーを楽しもうとした、その時だった。
むくりとベットから起き上がり、辺りを見渡し始める気絶していたはずの少女。
あまりにも突然のことにコーヒーカップを取り落としかける。
危ない危ない。もし落としたら掃除が大変だ。
少女は一通り見終えた後ゆっくりとこちらを見据えてくる。
よし、ここは落ち着いた大人の態度で対応しよう。
そうできるだけかっこよく、相手は子供、俺は頼れる大人だ。
落ち着きつつも、気取った体で話しかけるヴェル。
「お、お目覚めかいお嬢さん。ずいぶん長いこと—— 」
「いったいどこの誰でいやがりますか。そこのお前」
帰ってきた言葉は遠慮があるのかないのかわからない、きついことだけはわかる話口調。
ああ、これは少し嫌な予感がするぞ。
言葉を浴びせられた対象であるヴェルは、心の奥底で抑えきれない不安を危うく口に仕掛けるのだった。