CBM-026
「まさか……いやでも……」
あの日から、マスターは一人になるとそんなつぶやきをする日が増えた。と言っても普段は普通で、王都で見つかる仕事をいくつか受け、お金は稼いでいる。文句も出ていないので薬師としての腕が鈍ったとかそういう話ではないのだと思う。
その日も、俺が起きた時には朝日を浴びて窓から外を見つつ、マスターはつぶやいていた。
「マスター、結論は出たか?」
「……ええ、ひとまずは。王子は後は任せろとは言ってましたけどね……。ルト君には負担をかけるかもしれませんけど」
何を今さら、そう思う。あの時マスターが通りかかり、助けてくれなければ俺はただのコボルトに戻り、きっと森をさまよった末に他の怪物に倒されるか、討伐者たちに物のついでに同じく命を奪われていたことだろう。
もう記憶も定かではないコボルトの里、そこでの生活に戻りたくはない。
「共に生きる。そう決めた。俺はコボルトの戦士だ。守るために戦うさ」
こんな時、人間の大きさだったら格好がつくのだろうか? 今の俺は子供のようにマスターを見上げることしかできない。せめてもと思い、威嚇するときのように体を大きく見せるがそれまでだ。
お礼を言われて、抱きかかえられて撫でられる。正直、男というか雄としては悲しく思う部分もあるが、戦うだけが守ることじゃないなと思い直すことにした。
「噂の出所は西に偏っているそうです。現に人が消えることがあるとか」
「失踪なのか、区別がつかないってことだな。よし、さっそくだ」
まだこの時間なら西に向かう護衛依頼なんかも1つや2つ、在るに違いない。マスターを急かし、宿を引き払って旅に出ることにする。幸いというべきか、路銀は有り余るほどある。それこそどこかで土地を買って静かに暮らすことだってできるぐらいは。
「話が落ち着いたら、どこかで自分の店みたいなのを持とうか。俺が用心棒をして、マスターが水薬を売るんだ」
「それはいいですね。森に近い場所なら自給自足も出来そうです」
将来設計と呼ぶにはおおざっぱな話を交えながら、そういう話が集まりそうな酒場へと向かい、ちょうど召喚獣を含んだ隊商の移動話を見つける。護衛の依頼は出ていなかったが、同行させてもらうことにした。マスターの作った水薬や軟膏をいくつか商品として差し出せば話はひどくすんなりといったのが印象的だった。
一応外向きの立場があるので、マスターには荷台に乗ってもらい、俺は常に小走りのような状態でついていくことにした。これまでの戦いで力が身に付いたのか、ほとんど疲労を覚えることなく移動は続く。
「ルト君、何か見つけたら教えてくださいね」
「ああ……と、さっそくだ。前の林に狼の匂いだ。馬鹿め、風上だ」
そこそこの人数と規模の隊商を狙うとなれば相手もよほどの強さがあるか、それともそれを読み切れないような奴か。今回は後者のようだった。
隊商の護衛よりも早く駆け出し、林から飛び出してきた狼たちを至近距離で仕留めていく。体格差でいえばほとんど変わらない大きさだが、逆に戦いやすいとも言える。
「本当にコボルトか? 随分と強いな」
「場慣れ……だな。なにせうちのマスターは見ての通りに魅力的だ。惹かれる奴が多くてね」
「もう、そんなこと言って。干し肉1枚増やしていいですよ」
隊商に広がる笑い。それからも時々獣、時々怪物の襲撃を受けながらも目的地である西の街へとたどり着く。近くに大きな川のある街だった。建物はどこかこれまでの街とは違い、別の国のようですらあった。そして、吹いてくる風は……涼しいというよりもやや冷たい。
「冬が近いですね。ますます、わからなくなります」
「ああ、厄介なことだ」
人間に限らず、寒くなればあまり出歩かなくなる。そうなれば隣人ですら見かけることが減るわけだ。結果、人がいなくなったとしても気が付くまでに時間がかかる。そういえば最近見なかったな……ってなもんだ。
隊商とは少し前に別れた。いきなり大きな街に行くのではなく、途中の村などから売っていくことで商品も仕入れるのだそうだ。結果として、西国に近い街には俺とマスターだけで先にたどり着くことになった。
門を視界に収めながら王子から教えてもらった怪しい噂を思い浮かべるが、やはり疑問は残る。
(仮に人間を召喚する魔法があったとして、何のためにだ?)
当然、人間だって多くはただの一般人だ。それに兵士だったとしてもその腕は色々。召喚して即戦力になるような存在は数が少ない。今のところ、兵士や優秀な討伐者がいなくなったという話も噂もない。となれば……他の意味が……。
頭をちらつく不思議な記憶。この召喚時に刻まれたと思う記憶もここにきて謎が増えたように思う。話せる召喚獣自体が珍しい方だということもようやく最近知ったばかりだ。まるで俺の記憶が普通じゃないところから刻まれたかのようである。
「マスター、俺のこの普通にはあり得ないらしい思考は何だと思う?」
「どうでしょうね……可能性があるとしたら、ルト君の召喚主……相当な実力者だったと思います。普通、近隣にいない怪物は召喚出来ないんです。そして、コボルトは北国の怪物で、サーミッドではほとんど見ません。となると……ルト君は普通の召喚ではない方法で呼ばれたのかもしれません」
普通の召喚、そして契約。その常識の外にある直の契約……さらに別の召喚方法……か。
わからないことが増えたが、俺がやれることはそう多くない。直の契約に信頼を置き、マスターと共に生きていくだけである。そのためには、何でも使っていかなくてはならない。
(どうしてもとなったら力を借りるぜ、ドラゴンさんよ)
ローブのように着込んだ布の上から胸元を撫でる。そこに感じる硬い感触。もうかなり体になじんだように思うドラゴンの魂が籠っているように思うマナ結晶。硬さに安心感を覚えつつ、マスターと2人街へと入る。
冬が近いせいか、街の雰囲気は少し寂しいように思えた。
例によって例のごとく酒場に顔を出すと……思ったより活気が無い。鼻に感じる匂いもどこか寂しいような……匂いに寂しいも何もないよな、何を考えているのだろうか。
「あのー、今ここに来たんですが何かあったんですか? あまり皆さん元気が無いようですけれど」
「アンタは……」
答えの代わりに恒例の軟膏と水薬を取り出したマスターの手を、店主はがしっと掴んだ。驚いたマスターが変な声を出すのと、俺が構えを取るのはほぼ同時。
が、どうも様子がおかしい。
「薬師か! 頼む、娘を見てやってくれ!!」
「詳しく聞きましょう」
新たな場所、新たな出会い。それはどこかお人よしのマスターが当然首を突っ込むであろう、悲痛な叫びから始まったのだった。




