カルマ
緋のカーテンに囲まれた部屋で貴美江は服を脱ぎ新堂と共にベッドの上にいた。
「貴方、刑事さんでしょ」
冷めた顔をした新堂の白いシャツに顔を埋めた。
「隠したって無駄。だって貴方、刑事の匂いがするもの・・政治家とは違う、今までの罪を洗いざらい暴かれそうな正義の匂い」
「・・そうか、気づいていたか。隠すつもりはなかったが」
「これが貴方の嘘かしら?そして、このカーテンの向こうで警官が待ち構えて一斉に私を捕まえるのね」
貴美江は薄ら笑みを浮かべた。
「・・それは違う」
新堂が指を鳴らすと一斉にカーテンが落ちて一面の鏡部屋になった。
どこを見ても合わせ鏡になって無数の自分の姿が見え貴美江は底なしの恐怖に震えながらも冷静を装った。
「冗談はおよしになって・・前にも言ったはずよ、鏡は嫌いだって」
俯く彼女の顔を両手で掴み、無理矢理前を向けた。
「君には見えるはずだ。本当の姿がどんなものか」
怒り狂った彼女は爪で彼の脚を引っ掻いた。
シーツには新堂の血が染みつき痛みを我慢してまた諭した。
「目を見開いて見ろ・・俺と君の真実の姿を!」
顔を掴まれ目を開けるとあの醜い自分と触れば黴菌が付きそうな痘痕だらけの赤く爛れた顔の男がいた。
「やめろぉ!離せ!」
完全に冷静さを失った貴美江は彼に思いつく限りの罵倒をした。
それをも動じない新堂は彼女が観念して大人しくなるまで力いっぱい押さえた。
「これが本当の君、そして本当の新堂 亮太だ。これを観れる者も知る者もいない。ただ世界で君と僕だけがみれるのだよ!」
「貴方・・整形だったの?」
「そうだ。そして君は十二年前に殺された榎本 富子だ。富子は死んではいない」
言われるなり貴美江は諤々と唇を震わせながら応えた。
「いいえ、殺されたの。バラバラになって跡形もなくなって」
「君の遺伝子を調べさせてもらったよ。そうしたらなんと犯人じゃなくて被害者の遺伝子と一致した。君は殺されて富子を殺した」
この期に及んで頓珍漢なことを言うので鼻で嗤った。
「こんな馬鹿なことあるわけないじゃないの」
「馬鹿なことだろうね。だけど君の担任の先生が教えてくれたよ」
・・思い出したわ。
あの日、雷が鳴っていたので早めに家に帰ろうとしたら女の子の叫び声が聞こえたの。
そうしたら畑の真ん中で鍬を持った人影が見えたの。
それが紛れもなく富子ちゃんだった。
あんな優しい子が鬼の形相になって・・恐ろしくてショックのあまり忘れちゃってたのよ
もはや逃げる術を失った貴美江は大粒の涙を流し呟いた。
「先生・・見てたのね・・そうよ。私は富子。榎本 富子よ」
富子は絶世の美貌を惜しげもなく振りまく貴美江が堪らなく羨ましかった。
友達もなく、いつも一人の彼女は教室の隅の席で女子グループの中心になっている彼女を黙って見ていた。
(いつ見てもきれいだな・・あたいは貴美江さんみたいにきれいになれないけど、せめて友達になりたいな)
彼女の視線に気づいた貴美江は嫌悪を感じ富子に向かって怒鳴りつけた。
「ちょっと!汚れるじゃないの」
蛇のように鋭い目で睨まれびくっとして呟いた。
「汚れる・・どういうこと?」
「醜い上に鈍いのかしら?貴女の視線が私の世界を汚してるのよ。そうだ、今後一切視界に入ってこないで」
その日を境に彼女の純粋な想いを踏み躙るかのように貴美江とその友達は彼女を苛め抜いた。
「この醜女!お前なんか野良犬に臍噛まれて死んじまえ」
席に座っているだけで物を投げつけられ、ついには投げた鋏が右目に当たり流血騒ぎにもなった。
周りがパニックになっている間でも貴美江は冷ややかな目で含み笑いをした。
ある雨の日の放課後、閑散期で土だけになった畑の真ん中で富子は貴美江とその仲間の女子たちに足蹴されていた。
相変わらず美しい彼女は眉間に皺を寄せ小さくなった富子を汚いものを見るかのような目で見ていた。
「やめて!なんでこんなことするの?」
「生意気に口を叩くんじゃないよ!あんたがいると世界が壊れるの・・貴美江の世界は綺麗なものしかいらないんだよ!」
すると遠くで激しい雷が鳴り、仲間は一斉に苛める手をやめた。
「まずいわ、雷が来るわよ!」
「貴美江さん、あのブスは置いといて帰りましょ。ここに居たら雷に当たるわよ」
快感に高潮した神経で目を血走せた彼女は富子の前で立ちすくんでいた。
「いいえ、この醜女を二度と私の前に現れないようにしてから帰るわ」
正気でない彼女に恐怖を覚えた仲間は顔を青くして黙って全員走り去った。
とうとう二人きりになってしまい、富子はこのまま本当に殺される予感がした。
「なんであたいをいじめるの?」
「何度訊いたら気が済むの・・?あんたが私の世界が汚れるくらい堪らなく醜いからよ」
冷血な笑みを浮かべ、その場にあった鍬を握りしめた。
すると内臓が押し潰されそうなくらいの激しい雨が降ってきた。
「・・死んで」
貴美江が悲鳴に近い笑い声をあげて鍬を持ち上げると雷が直撃し吹き飛んだ。
一瞬のことだったので訳が分からず富子は傷だらけの体を起こして近づくと彼女は煙をあげて体を震わせながら横たわっていた。
「・・貴美江さん!」
動揺しつつ、白目をむいて動かなくなった彼女の体を揺さぶっているうちに富子の脳裏にふと悪魔の囁きが過った。いや、それは彼女の純粋という薄膜が破れた今、噴き出した底知れない恨みかもしれない。
遠くで刺さっている鍬をそっと手に取り、横たわる貴美江を息を殺して見つめた。
近づくうちに肥大する殺意に自分の中の秩序が崩れていく音を感じた。
それでも何故か憎悪が拭えなかった富子は執拗に彼女の遺体に鍬を下した。
「貴美江っ、死ねぇっっ!」
金切声をあげて何度も彼女の顔に鍬を下した。
尋常にない力が鍬を持つ手に籠っていた。
白いセーラー服が血飛沫に染まっても気にはならなかった。
脳味噌が砕け散り眼球が飛び出したところで富子の自我は失っていた。
暫くして我に返った富子は原型がない肉片となった貴美江を前に血塗れの鍬を持ったまま倒れこんだ。
富子は顎を赫々させ胸中で異常な喜びが溢れそうになった。
「世界一美しい女をこの手で消してやったわ!もうこの世に美しい女はいないわ!」
泥だか鼻水だかわからない水を眼から鼻から垂れ流し、貴美江そっくりの声色で大雨の喧騒を引き裂くかのように高笑いした。
「でもあの後のことは覚えてないの。ただ気が付いたら貴美江になっていたの・・確かに彼女の肉体は消えたけど、ここに存在はするわあたいの体を借りて」
総てを晒された富子は項垂れ暫く黙っていた。
「・・一体あたいは何罪になるのかしら」
「とっくの昔に時効は成立した。こんなことどんなに説明しても信じてくれないし裁けないだろうね。一生罪悪を背負って生きてゆくしかないよ」
「一生・・今までと同じね」
「僕でよかったらこの痛み、分けてくれないか?同じ秘密を抱えた者として。君は必要以上につらい思いをしてきた。だから・・」
「刑事さん・・」
新堂がシャワーを浴びている間に富子はドアを清々しい気持ちで開けた。
導かれるように廊下の窓まで駆けて、開けると淀みない朝の空気を思いっきり吸った。
険が取れ女神の笑みを浮かべて昇りたての陽を見ようと顔を見上げた。
やがてそのまま天国に行ってしまうのではないかと思うくらい眩い光が彼女を包んだ。
「貴美江、覚悟!」
女の叫び声と共に背中から包丁が心臓を貫通した。
驚いた表情で頽れる貴美江の目の前で病院から抜け出してここに来た百合子が息を弾ませてにたにたと笑っていた。
血塗れで頽れた彼女を足で蹴散らし、呆然と立った。
「・・やったわ、貴美江ちゃんを殺したわ。この手でこの醜いあたしが。愛しの貴美江ちゃんは永劫あたしのものよ」
シャワーを浴びながら新堂は今までのことを想い巡らせていた。
吐瀉物のように原型がなく灰色の意識の中ようやくぐるぐると廻った。
するとひとつ残っているなにかがあった。
・・百合子のことだ
新堂はすぐさま体にタオルを巻いて飛び出した。
その場に駆けつけるも既に遅く、血塗れで発狂した女が笑い声をあげていた。
(完)