1話 ここはどこですか?
「う、…っ!つつつ…」
木々が生い茂る森の中で少年は目を覚ました。心地好い風と柔らかな陽射しが身体を包む。
ハッキリとしない頭を振りながら、ゆっくりと身体を起こして周囲を見渡す。
「俺は…一体……ここは…?」
市街地ではまず見ることのないような立派な木々、傍らには澄んだ川が流れ、時折魚が跳ねているのが見てとれる。
「あ――…俺はなんで森にいるんだ?確か振られて、家に帰って…」
ぼんやりとした意識を少し落ち着かせようと深呼吸をしたところで、今まで感じたことのない「何か」が身体中に満ちていくのを感じた。
それは血液の流れを肌で感じるような、毛穴の一つ一つ、細胞の隅々にまで最初からあったかのように全身を巡っている。
「…?何だこれ?てかどう考えても東京じゃないよなぁここ。…夢であってくれたらいいんだけど…ぶっ!」
少年がいざ立ち上がろうとしたところに『べちょっ』という効果音が付きそうなくらい見事に脳天を直撃した物体があった。頭にへばり付いている物が何か確信し、肩をわななかせながら呟く。
「………これは……あれだよな……」
顔を上げるとカラスよりも少し大きいくらいの青っぽい鳥がヒョロロローと鳴きながら飛び去るのが見えた。
「てんめぇ!おぼえてろよ――っ!今度見かけたら焼き鳥にして食っちゃるからな――っ!」
少年は悪態をつきながらも川辺に向かい、汚れを落とすべく、頭を川の中に突っ込んで洗う。
「っぶぁ!つめてぇ!なに?川の水ってこんなに冷たいの?ってかなんで鳥のフンから良い匂いしてくるんだよ…」
何故か焼きたてのパンのような匂いを醸し出していた物体と、予想以上の水の冷たさに驚きつつも気を取り直して歩き出す。
「こういう時は川下に向かってけばいいんだっけ?逆だっけか?…とりあえず考えられる可能性としてはまず夢。でもリアルすぎだし夢って感じもしない。あとは拉致されて何処ぞの森に捨てられた…でも無傷だしそういや財布とかもあるしやる意味がわからん。はぁ、家でしばらく引きこもりたい気分なんだけどな……」
恋人に振られたというショックと意味不明な展開に理解が追いつかず妙に冷静に現状を分析し始める少年。色々と自問自答しながらもこれまでの人生で見たことの無いような景色に心を踊らせる。
─踏みしめる大地の壮大さに目を見張り
─所々に咲き誇る美しい花に目を奪われ
─ちらりと見える虫達にすら興味が湧き
─雄々しく立ち並ぶ木々に圧倒される。
そうして尋常ならざる状況にも関わらずピクニック気分で自然を満喫しながら十数分歩いたところで、どこからともなく獣の咆哮のような声が聞こえてきた。
「!?」
少年は咄嗟に体勢を低くして周囲を警戒する。そうしているうちに木々の向こう側でなにやら争っているような物音を感じた。
「ガァッハッハッハッハ!人間ダ!人間ダ!女ガ一人ダ!」
「ゲェッハッハッハッハ!アノ忌々シイ剣士モイナイ!」
「ん~、ちょっと迂闊だったかなぁ~」
そこには二足歩行の豚のような人型の生き物が2体とツナギのような、見慣れぬ服を着た女性が向かい合っていた。
豚のようなモンスターは大人より二周りは身体が大きく、どちらもこん棒のようなものを握りしめている。
(あれは、どう考えてもゲームとかに出てくるオークだよな?え?なに?撮影…な訳ないな。じゃあ、そういうことか?)
対して女性は今までテレビの中でも見たことの無いような美しい顔立ちをしていた。背はそれほど高くないが、スラッとした体型で、膝ほどまである美しい金の髪を後ろで一つ括りにしている。動きやすそうな使い古されたツナギっぽい服とかなり大きめのリュックのようなものが美貌に反してアンバランスな感じではあったが。
お互い何か言葉を発しているようだが、少年にはうまく聞き取れなかった。
(けど、どう考えても襲われてるだろ!くそっ、可能性の中で一番最悪で一番現実味のない答えになりそうだな!)
状況を認識するや否や、体勢を低く保ったままオーク二体の側面から走り寄る。いきなりの実力行使に出る気らしい。万が一女性とオークが知り合いだった場合目も当てられないことになるが、もしそうなら全力で謝ろう、と覚悟を決める。
通常、こういう状況では女性とオークの間に割り込んで身を呈して庇うのがセオリーなのだろうが、生憎少年は筋肉の塊のようなオーク2体を前に無事でいられると思うほど平和ボケしていなかった。しかし、襲われそうになっている女性を見捨てて逃げ出したり、様子を見ようとするようなことが出来る性格でもなかった。
なので少年は無謀な行動を実現させるためになるべく成功率の高い方法を選ぶ。
即ち、奇襲。
(あんなバケモン初めて見るけど、二本足で歩いてて人型ってことは急所の位置は大体同じだろうよっ!)
幸い、多少の武道の心得はある。無茶もしてきたので実戦経験もそれなりにある。恐怖心はあるが、いまいち現状に実感のない少年は躊躇わない。
「んー、しかたない…っか。誰も見てないし…って、えっ?」
金髪の女が手を前へ突き出そうとした瞬間、オークの横手から少年が駆けてくるのに気が付く。
「ガァッハッハッハッハ!連レテ帰ッテ、喰ウ!」
そして何も知らずにこん棒を振り上げたオークのこめかみを目掛けて思いっきり殴りかかる。
「づぁらぁぁぁぁ!!」
「ゲバァァァッッ!?」
身長差があるため飛び上がっての打撃となったが、鈍い感触が拳から肩まで走り、直撃したオークは堪らず膝を付く。
「もいっちょぉぉ!」
「ゲッッ……ッッハ………ッッハ」
そして間髪入れずにちょうど良い高さにきた豚面の顎先に狙いを定めて二撃目を放つ。
全く予想していないところからいきなり急所に打撃を受け前後不覚に陥るオークの片割れ。思い切り殴りつけたオークの頭が想像以上に硬く、拳と手首に鈍い痛みが走る。
「かっってーな!何で出来てんだよ!くそっ、手首やったかな…!」
「グルァァァァァ!何ダ!キサマ!」
「何言ってっかわかりませんよ…っとととっ!」
仲間が倒されたことを理解し、怒りながらこん棒を振り下ろしてくるオーク。少年は慌てて転がり、直前まで自分が居た地面が大きく抉れていることに冷や汗をかきながらもなんとか女の元へと辿り着く。
「あんなもん食らったら流石に怪我じゃすまんわな…。正面切って殴り合っても勝ち目はない…か?」
「―――――っ!?~~~―――っっ!」
「えっ!?なんて!?」
少年がオークから目を逸らさずに、どうやってこの場を切り抜けるか考えていると、女が何かを叫んできた。が、言語が違うのか、少年には全く理解出来なかった。
2,3度語意味のないやり取りをしたところでお互い途方に暮れ黙り込む。知り合いを殴られたから抗議している…というような雰囲気ではないので懸念は一つ減ったが。
(何語だよ!言葉が通じないとなるとヤバイな…悠長にジェスチャーゲームしてる状況でもないし、やっぱまずはこいつをどうにかしないと!)
「人間ガァァァァッ!!」
あまり時間をかけるとせっかく行動不能にした方も復活してしまう。少年はそう思い、こん棒を振り上げこちらへ迫ってくるオークへと突進する。
しかし、先ほど自分より二周りも大きな相手を倒せたのは奇襲が成功したが故のこと。どう考えても人間の範疇でない腕力の持ち主とまともに殴り合って勝てるはずもない。
(そんなことはわかってる!だけど!ここが考えているような世界なら!このよくわからん『何か』が俺の思っているようなモノなら!)
実のところ、少年は森を歩いている際、身体に満ちる覚えのない『何か』が何なのかについても考えていた。
そして『それ』は集中すると流れを感じることができ、自分の意思である程度集められることに気付いていた。その現象は卒業したはずの中二心を非常に刺激したが、色々試す前にこの争いに遭遇してしまった次第である。
少年は振り下ろされるこん棒を無理矢理減速してやり過ごす。鼻先を棍棒が掠めて地面に突き刺さる。その勢いと風圧に背筋が凍るが隙を逃さず少年はオークの懐に飛び込む。
そして『何か』をありったけ右腕に集めオークのどてっ腹に打ち降ろすように叩き込む。ついでに直撃する瞬間、『何か』が相手に届くようなイメージも込める。
(効いてくれよ…!!)
「マナが…!それはだめっ!」
女がシンヤの分からない言語で何かを叫ぶと同時に拳が直撃する。その瞬間、何か大事なものがごっそり抜けたような感覚がし、全身から一気に力が抜ける。
(なんっ……?)
両の足はきちんと地面を踏みしめているはずなのにまるで空中に放り出されたかのような浮遊感に包まれ混乱する。
「かっ……はっ…?」
「グボァァァァァァァッッ!!?」
想像以上の衝撃に後退りながらも闇雲に武器を振り回すオーク。虚脱し、身動きのとれなくなった少年にそれが避けられるはずもなく。
「あ」
迫り来る死の気配と共に、少年の意識は暗転した。意識が落ちる寸前、視界の端にピエロが見えた気がした。
◇◇◇◇◇◇◇
優しい、子守唄のような歌声がその場を包む。
そこは小さな池と、周囲を木々に囲まれ、まるで仕切られたような空間だった。
池のほとりに座り子守唄を歌う女。その周囲には歌に誘われるように様々な色の球体が舞っている。
女は自分の太ももに少年を寝かせ、小さな子にするようにポンポンと胸を叩き、歌い続けている。「うぅ…」と少年が意識を取り戻すが気が付いていないようだ。
(頭がズキズキする…えっと、なんだっけ、あぁ、化け物に吹っ飛ばされたんだっけ…俺はまだ生きてはいるみたいだけど…ん、この暖かい感触は…?それと、歌?)
少年は目を覚ましたが、思うように身体が動かなかった為状況の把握に専念することにした。
(感覚は、ある。でもあんなもんで殴られて大した痛みもないなんてあるのか?それにこれって膝枕だよな…柔けぇ……じゃなくて。てことはさっきの女の人か)
興が乗ってきたのか少年の胸を叩いている手が妙にリズミカルになっている。目を閉じ楽しそうに歌う女性の顔を薄目で見上げながら邪魔するのも悪いか…と思いその歌に耳を傾ける。
決して心地好い太ももの感触を堪能したかったわけではない。
自然の全てを慈しむような、そんな優しい願いが込められた歌。
(あれ…?もしかして…)
やがて1曲終わったのか、歌が途切れる。頃合と思い少年が軽く拍手ところでようやく目を覚ましたことに気付き、歌を止めて声をかける。
「あ、気が付いた?でもまだ寝てた方が……あ、通じないんだった…っけ……」
パッと表情を明るくした女性だが、話しかけている途中で言葉が通じないことを思い出し、言葉が尻すぼみになる。しかし少年は歌を聴いていた時に感じていた違和感が確信に変わる。
「やっぱり、言葉がわかる…?」
「え!?本当っ?」
「あー、あー、俺の言ってることが、わかりますかー?」
「わかるわかる!あなたの言ってることが、わかりますよー!よかったぁ~。言葉が通じないなんてどうしたら良いかわからなかったよー」
ポンっと手を合わせ嬉しそうに微笑む女性。膝の上から見上げることで至近距離から向けられるその笑顔が美しすぎて、少年は思わず目をそらしてしまう。
おっほん!と誤魔化すように咳払いをしながら何とか身体を起こし正座をして女性と向き直る。。
「とにかくさっきはありがとう!助かったわ!私はナターシャ!よろしくね!」
「いえいえ、とんでもない!結局介抱してもらってたみたいですし、こちらこそありがとう。俺は辰巳…タツミ・シンヤです。よろしく」
お互い自己紹介をし、握手をしたところで少年は一番重要なことを聞く。
「それで……ここはどこですか?」
◇◇◇◇◇◇◇
辰巳 慎也。17歳。高校二年生。背は178cmと少し高め、ひょろっとした感じはなく、比較的筋肉質。髪は短めで基本的に前髪をあげておでこが出ている。
学校の近くに一人暮らしをしており色々と習い事(主に武道系)をしている。一年の時から同じクラスの桜井 春と付き合っている。少し大雑把だが真面目で、人助けには自ら首を突っ込んでいくお人好し。
それが彼を知っている人間が抱く大体の印象であろう。
実際には一人暮らしや人助けをするのには色々と理由があるのだが、クラスメイトはおろか、恋人にすら適当に誤魔化して生活をしていた。
シンヤの本当の目的を知っているのは門下生一人の怪しい古武術の師範だけである。
そして二年に上がり暫くたった梅雨時に恋人である桜井春からいきなりの別れ話を突きつけられ、その後異世界へと迷い込んだのである。
(そう、異世界。それも恐らく、剣と魔法のファンタジーなやつだ)
オークに襲われていた女性、ナターシャーに聞いた限り、ここは日本では、というか地球ですらないかもしれない。見たところ太陽は一つだが。
まだオークの危機は去っていないらしく、詳しい話はまた後で、となったが。
「ここは『聖域』。世界中のあちこちにある、いわばマナスポットよ。地水火風の精霊が等しく高いレベルで存在していて、なぜか魔獣や魔物は聖域の空気を嫌うの」
「あくまで一時避難って訳ですか…村まではどれくらいですか?」
「のんびり歩いて2、3時間くらいかな?……敬語なんていらないよ?」
「いや、たぶん年下ですし…」
「敬語なんていらないよ?」
「いやでも」
「いらないよ?」
にこやかだが有無を言わせぬナターシャの態度にこれ以上の抵抗は無駄だと感じ、シンヤは初対面の人間に敬語を使わないということに若干気後れしつつ敬語を外す。
「わかった…じゃあナターシャさん、さっきの奴等が」
「『さん』もいらないよ。村の皆もナターシャって呼ぶから」
「……」
「……」
「…ナターシャ、さっきのブタ面がまだ追ってきてるの?」
その返事にうんうんと満足そうにうなずいて質問に答えるナターシャ。
「たぶん…森じゃあ人の匂いは目立つからここに入ったことはバレてるんじゃないかな。聖域には入ってこられないけど」
「奴等が諦めるまで籠城するのは?」
「ひとつの手ではあるけどオークは執念深いから…仲間を呼ばれる前に隙を見て村まで逃げる方が良いかな」
「俺が中途半端なことしたせいか……俺たちがそのまま帰ったら村も危なくなるんじゃ?」
「まぁあの状況じゃ仕方ないよ。村はジュークがいるから大丈夫でしょう?」
「ジューク?」
「この村の衛士さんよ?…そういえば近くにはラグーの村しかないし、そもそもみんな顔見知りだし、見たことない服装だし…シンヤ、貴方は何処から来たの?」
ナターシャが怪訝そうな顔で尋ねる。ナターシャの住むラグーの村から一番近い村でも徒歩で丸一日はかかる。出会ったのは日が上ってそれほど時間がたっていない時だったので、あんなところに余所者がいるのは不自然なのである。ナターシャの疑念は遅すぎるくらいだ。
(まぁそらこれだけなにも知らなかったら怪しく思うわな…どうにか誤魔化す…自信はないな。…しゃーないか)
ナターシャは疑いというよりは興味で聞いているようで、シンヤに対して悪印象はないのだがあまり適当に誤魔化して不審がられるのもよくないと判断する。もしかすると異世界の人間が迷い込むのはここではよくあることなのでは?という希望を僅かに持ち、シンヤは思い切って正直に話すことにする。シンヤもいい加減訳の分からない状況を少しでも整理したかったのかもしれない。
「えっと…俺もまだ状況が飲み込めてないんです…だけど、真面目に話すからどうか笑わないで聞いてほしい」
「え、ええ。わかったわ」
シンヤの神妙な態度につられて正座で向き合うナターシャ。
「たぶん俺、異世界…こことは全く別の世界から迷い込んだ人間だと思う」
「ふぇっ?いせかい………」
ナターシャは耳に入った言葉が一瞬理解できず、「また言葉が通じなくなったのかしら?」と思い頭のなかでいせかいいせかいと反芻していたが
「いせかい…別の世界って、えぇーーーーっ!?」
意味を理解すると同時にすっとんきょうな叫び声が聖域の中に木霊した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
よければブックマーク、感想等よろしくお願いします。