墓庭の女
――ええと、こんにちは。あなたが私の主治医になる方ですか? ああ、そうなんですね、よろしくお願いします。
それで……何をお話すればいいんでしょうか。私、精神科に来たのってこれが初めてなんです。ええ、ちょっと緊張しているかもしれません。上手く話せなくて、すみません。
――最近悩んでいること、ですか。そういう話でいいんですね。精神科だなんて言うからもっと堅苦しいのかと思ったら、占いにでも来たみたい。よかった。それなら少し気楽に話せそうです。
だけど、どこから話せばいいんでしょう。あまり長話すると、あとの患者さんに迷惑ですよね。とりあえず、できるだけかいつまんで話します。
私、一年ほど前に人を殺したんです。二人。
……こう言うと、なんだかすごい殺人犯みたいですよね。いえ、事実そうなんですけど、ちょっと違うんです。やっぱり説明が要りますよね? ……わかりました、話します。
二年程前から、私は不倫をしていました。相手は五歳上の上司で、妻子持ち。私は独身でした。
付き合い始めてから一年ほど経った頃、旅行に行こうと言いだしました。……言いだしたのはどっちだったのかな。覚えてないんですけど、温泉に行こうという話になりました。相手の車に乗せてもらって、出発。目的地は、山を越えた所にある、秘境のような温泉でした。不倫にはぴったりですよね、笑っちゃう。
それで私、山道の途中で運転を交代するって言ったんです。実は二年ほど運転していなかったんですけどね。運転が苦手だとか、下手だという訳ではありません。ただ、運転する機会がなかっただけです。
相手も連日の出勤で疲れていたようなので運転を交代して、三十分ほど走った頃だったかな。
車が、ガードレールを突き破って、転落したのは。
――運転ミス、ですか。すみません、違うんです。警察ではそう言ったんですけど、本当は私、死のうと思ってたんです。だって、不倫ですもの。馬鹿な女のふりしてたけど、分かってたんです。
自分が、彼に『選ばれてない』ってことは。
それが悔しくて、男と一緒に死のうと思いました。だから、運転を交代すると言ったんです。
……でもね。相手は死んだのに、私は生き残ってしまった。ぐしゃぐしゃになった車の中で意識を取り戻した時は、――そして、頭から変な色の『何か』をまき散らかしてる男を見た時は、違う意味で死ぬかと思いました。だってこんなの、本末転倒ですよ。どちらか一人が死ぬのなら、私が死にたかったのに。
しかも、腹部に猛烈な痛みを感じて。何事かと思って下を見たら、自分の脚の間から大量の血が流れていました。――……私、知らない間に妊娠していたんです。そして流産した。
ね。だから言ったんです。二人殺したって。
……話を少し飛ばします。私は仕事ができない状態になって、当然一人暮らしも不可能になって、実家に戻りました。でもね、そこで私、気づいてしまったんです。
いるんです。私の好きだった男が、私のそばに。
しかも、赤ちゃんも一緒でした。
――変なドラマでたまにあるじゃないですか。死んでもずっと一緒だよとか、殺したら私一人だけのものだよって言葉。本当に、その通りになったんです。
私は二人を殺した。そしたら、私だけのものになった。彼の姿も赤ちゃんの姿も、他の人には見えていないんです。妻子持ちだった男は私だけの彼になって、私だけの子供ができた。
ねえ、先生。今だって、私の隣に二人がいるんですよ? 見えません?
……見えないって感じの顔してますね。やっぱりそうなんでしょうね。でもいるんです。絶対にいる。私には確かに見えてるんです。
彼と赤ちゃんは、私が行くところにずっとついてきました。私はすごくうれしかった。だって、家族みたいじゃないですか。うれしい。ずっと一緒なんですよ。好きな人達と、ずっと一緒。
はっきり言いますけど、これで話が終わったのなら、私は今ここに来てません。問題は、そのあとなんです。
その日の私は奮発して、スーパーでお寿司を買ってきました。まぐろと、イカと、サーモンと、はまちと、アジと、エビ……だったかな。二人はご飯を食べないので、私は一人で、自分の部屋でそれを食べました。
そしたらね、自分の部屋に、魚があらわれたんです。
――あ、すみません。分かりにくかったですか。なんて言えばいいのかな。部屋の中を、空中を、魚が泳いでるんです。水族館みたいに。唯一分かったのは、エビとイカだけでした。私は訳が分からなくって、とりあえずネットで魚を調べました。それで分かったんですけど、泳いでる魚はまぐろとイカと鮭とはまちとアジとエビでした。
……そうです、私が食べたお寿司と同じ魚です。それが泳いでるんです。私の部屋を、ゆうゆうと。
それだけじゃないんです。家の外を確認したら、ガレージに稲が生えてました。もちろん、そんなの植えてません。というか、ガレージってコンクリートで舗装されてますから。そこに稲なんて植えられませんよね。そんなこと、私にだって分かります。
――ああ。先生、やっぱり頭がいいですね。そうなんです、私がお寿司を食べたから、魚とお米が目の前にあらわれたんです。
そしてそれはやっぱり、他の人には見えていなかった。
写真を撮るじゃないですか。私には、彼も子供も魚も稲も写ってるように見える。だけど他の誰に見せても、ただのガレージにしか見えないし、ただの部屋にしか見えない。おかしいですよね。
私の部屋が水族館になった翌日。私の部屋にゴキブリがあらわれました。私、虫が苦手なんです。だから殺虫剤で殺しました。ゴキブリはひっくりかえって、六本の脚をバタバタさせて、やがて動かなくなりました。私はそれをゴミ袋に入れて、捨てた。はずでした。
なのにまた、部屋にゴキブリがいるんです。殺虫剤をかけました。でも、今度は効果がないんです。部屋をずっと這ってる。私の足の上に、平気で乗ってくる。どれだけ殺虫剤をかけても効かない。
それでね。私、ここでようやく気付いたんです。
私、自分の殺したものが全部、見えるようになってしまったんだって。
……お寿司の話に戻しますけど、別に私が魚を釣ったわけでも捌いたわけでもないんです。だけど、命をいただいたのは確かですよね。私、自分が生きるために、何かを殺してるんですよね。
パンを食べたら、庭に小麦が生えるんです。
ハンバーグを食べたら、牛が部屋の中を歩くようになる。
合いびき肉だったら、牛と豚が同時にあらわれます。
ポテトを食べたら、じゃがいもが庭に生えてくる。
……先生は今日、お昼ご飯に何を食べました?
チキンカレー?
もしも私がそれを食べたら、今頃、じゃがいもとにんじんとたまねぎが庭に生えて、稲がガレージに生えて、鶏が部屋を歩き回ります。
だから私は今、極力食べないようにしているんです。……痩せてますよね。十五キロは落ちましたもん。つらいですけど、これ以上何かが見えるようになるよりかはマシです。
彼と、子供。二人だけが見えるようになればよかったのに。やっぱり世の中ってそう上手くできてないんですね。
食べないようになったので、ある程度「見えるもの」は減りましたけど、やっぱり私は知らない間に何かを殺してるんです。例えば蟻。どれだけ注意していても、知らない間に踏んでるんです。おかげで、私の部屋には蟻の行列がたくさんあります。……何匹踏んだんだろう。
それとね。植物はその場から動かないんですけど、動物は常に私のあとをついてくるんです。彼と赤ちゃんはもちろん、魚も、牛も豚も鶏も、ゴキブリも、蟻も、ぜんぶ。
――今ですか? いますよ。私には見えてます。先生、ごめんなさい。ずっと黙ってましたけど、実は先生の顔、ほとんど見えてないんです。だって、こんな小さな診察室に、魚や牛や豚や鶏がたくさんいるんですよ? 先生の顔なんて見えないに決まってるじゃないですか。
ああ、先生の声は聞こえているので、会話はできるんですけどね。でも、牛の鳴き声が大きいから、先生の声も聞き取りにくくて。もしかしたら先生の質問に、きちんと答えられてないかもしれません。失礼な態度を取っていたらすみません。
……え? ああ。そうです、声も聞こえるんです。騒々しいですよ。おかげで、ほとんど眠れない日が続いてます。これ、不眠症って診断でいいんですか? 違うのかな。
――それでご相談なんですけど、この、『死んでいる物が見える』症状って、どうにかできないのでしょうか。……いや、これって症状なのかな。違いますよね。だって私、病気じゃないですから。
だとすればなんだろう、霊感? 霊感だったら、精神科では対処できないですよね。どうしよう。
あと、できれば、彼と子供にはこれからもずっとそばにいてほしいんです。だって私達、ようやく家族になれたんですから。離ればなれになりたくないんです。
だから二人以外――ガレージの稲だとか庭の小麦だとか野菜だとか、部屋の中の魚、牛に豚に鶏、ゴキブリ、蟻、あとはナメクジと蜘蛛と蚊と蜻蛉とコバエもいるんですけど、そういうのが見えなくなったらすごく助かるんです。
私以外に、こういうことで悩んでる患者さんっていませんか? いたら、お話を聞きたいんですけど。――ところで先生。
私、先生を殺してなんかいませんよね?