ターゲット1 篠田弓子・肆
さて、ここで私が住んでいる町を紹介しよう。私が住む町は如月町と呼ばれている。北の大地に存在する田舎の町である。小学校は町に多くあるが、中学校は公立と私立が二つ。高校も中学校と同様に二つ存在する。その二つずつ存在する高校と中学校の名前が神楽木と南桜なのである。
北の大地だけあって、夏は過ごしやすく冬は寒いし雪かきが大変で毎年死傷者が出る。ご老体は雪かきには細心の注意を払わなければいけない。むしろそのようなものは若いものに任せておけばいい。ちなみに春と秋は存在しないような気もする。いや嘘であるが。ちゃんと北の大地にも春と秋は存在する。ただ夏以外氷点下が大半を占めるというだけで。
さて、話が逸れたが本日の気温は-1°。寒いかと言われれば寒いが、暖かくなって来たなあと思えば暖かくなってきた。そんな気温である。そのような気温の中、まだ雪が残る公園内を元気に走り回る子供達を見ていると平和だなあ、と現実逃避が始まる。
しかし、私は現実逃避を始めている場合ではない。そんなことをしている間に篠田弓子が下校する時間――午後五時半になってしまった。その時刻になったら来ると思っていた浅間氏からの連絡はあれから一度もない。見捨てられたのか、それとも私ならできるという判断か。
できるわけがないだろう、と私は思った。私はもともと怠惰である。人間の中でもかなり下の人間である。その上妄想だけは立派であり、高望みをする傾向がある。要するにクズである。
その時の私はこう考えた。今の私が取れる行動は二つ。ここで帰るか、ここで待つかだ。
ここで帰れば、高岸氏には悪いが悪徳部との縁は完全に切れ、足を突っ込みかけた非日常とはおさらばできる。何より篠田弓子と関わらなくてすむ。だが、小早川さんと会えなくなるのではないか。何より逃げたことが知られれば軽蔑されるのではないか。……それもいいかもしれない。だが、せっかく小早川さんと巡り会えたチャンスを無下にする訳にはいかないのだ。
逆にここで待てば、篠田弓子と関わることになる。あんな異常な行動をする彼女と合わなければならない。もしかしたら刺されるかもしれない。だが、小早川さんとの縁は切れないし、もしかしたら「秋山さん、素敵です」と言ってもらえるかもしれない。高岸氏には感謝されるだろうし、稲嶺嬢も私を認めてくれるだろう。
私は揺れていた。揺れに揺れていた。ここで帰ることができれば違う運命が待っていたのだろう。だが、時は来てしまった。
公園の入り口から入って来たのは、紺色のブレザーに赤いリボンを身につけた、緑色のチェックのスカートを履いた少女。髪は黒く稲嶺嬢とは違い落ち着いた感じのショートカットだ。制服は間違いなく南桜高校のものだし、何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回している。
驚いたことに、彼女は至って普通の少女だった。根暗そうでもなければ、刃物を振り回しそうにも見えない。小柄でおどおどしているように見える。本当に彼女が篠田 弓子なのだろうか。私は意を決して話しかけることにした。
「あの、篠田 弓子さんでしょうか?」
彼女は驚いたように俺を見て――正確には俺の制服を見て「はい、そうです。貴方は神楽木高校の人ですか?」と鈴を転がすような高い、心地よい声が聞こえた。目は大きくパッチリとしており、前髪をピンで留めている。綺麗系ではないが、可愛い感じの少女だった。制服を着ていなかったら中学生か小学生と見間違えているかもしれない。うっかりときめいたが、彼女は高岸氏の彼女である。残念無念。
「高岸さんの後輩で秋山 稔といいます。えー……高岸さんが来れなくなったため、俺が伝言を」
とりあえず話をしなければならない。彼女に怪しまれないように話をしなければならない。その言葉だけが頭をグルグルと回る。
「あ、そうなんですか……ごめんなさいね、正くんったら後輩くんに伝言を頼むなんて……」
「ええ、あの手紙――」
つい出てしまった単語に私が固まってしまう。手紙。その言葉を聞いた篠田弓子の表情がまるで凍りついたように無表情になったからだ。もうやだこの子。
「高岸さんが書いた手紙!! いつもあんな感じなんですかね! あんな果たし状みたいな!」
彼女の表情が元のおどおどしたものに戻る。しかし、おどおどの中に笑顔が見えた。
「正くんはいつもそうなんです。ふふ、手紙なんて言うからびっくりしてしまいました。正くんが私との手紙、貴方に見せたのかと思って。そんなわけないですよね」
もうやだこの子怖い。