ターゲット1 篠田 弓子・参
とりあえず高岸氏を連れて行くのは危険なので下校させ、南桜高校に走った。神楽木高校と南桜高校はあまり離れていない。最短ルートで行けば数分程度で着く。空き地を抜け裏路地を通り、車のほとんどとおらない道路を右見て左見てまた右見て渡る。安全確認は大事である。それらを後二回ほど繰り返し、南桜高校の正門へと到着した。
南桜高校は既に登下校する人間達で溢れている。これはもう帰ってしまったのではないかという心配が頭をよぎる。そんな心配が頭をよぎった瞬間、デデデデーン! とベートーヴェンの交響曲第五番が流れる。焦って音の出処を探したがそれは明らかに私の右ポケットからであった。そう、浅間氏から渡されたあの当時最新機種の携帯電話である。液晶には浅間の文字。ここでも清太郎とは登録していないのかと驚いた覚えがある。
「は、はいもしもし」
『けけけ、南桜高校に着いたようだな』
その言葉に辺りを見回すが浅間氏の姿はない。不思議現象である。オカルトである。この時の私には彼が本当に妖怪なのではないかという懸念が生まれていた。
『ターゲットはまだ帰っていない。今日は委員会で遅くなるとの情報が入っている。五時半まではそこにいるだろう』
携帯に表示された時間を見ると午後四時半。途端に心臓が高鳴る。自分一人で何ができるのか。彼女がどんな人物かもわからないのに。
「あ、あの、浅間さん! やっ、やっぱり無理です! ナイフとか持ってたらどうするんですか」
『……』
この無言である。電話越しでもわかる。これは怒っている。ブチ切れている。続けて言葉を発しようとしたが、浅間氏は『対象に勝つ必要はない』と言葉を発した。
『お前の仕事は情報収集だ。篠田 弓子の今の状態を観察しろ。こっちは正義の味方ではないことを覚えておけ』
やはりこの人は思ったより悪徳ではないのではないか。そんな思いが浮かんでは消える。私は今流されてそこにいる。だが、恐怖と同時に――そう、非日常を感じてもいたのだ。まるでアニメか漫画の主人公にでもなったような。
『正義の味方ではない』。その言葉は私に根付きかけていた正義感を打ち砕いた。浅間氏は主人公にでもなったかのような気分も見越していたのだ。私は少しだけこの人を尊敬した。今考えるとフォローもそれなりに入れてくれているのだ、と。
『ああ、それと。ナイフは持っていると思うから死ぬなよ』
前言撤回である。やはりこの人は私を手駒にしか思っていない。だが、私は元来染まりやすい性格であったから、それはもうこんな非日常にわくわくしていたのである。ここで逃げ出していれば私は――いや、それはもう言うまい。
気づくと浅間氏との通話は終わっていた。
とりあえず正門からそろそろと入り、篠田弓子の下駄箱に高岸氏からの手紙を入れ、ダッシュで逃げ去る。不審者だ。これでは本当に不審者だ。視線を痛いほどに感じたが、私は無我夢中で走り続けた。走った。走った。明日は絶対に筋肉痛で動けない。そんな考えをよぎらせながら。
気づくと私は既に南桜第一公園の入り口までやって来ていた。時間は午後四時五十分。まだ時間はある。今のうちにできることは何か。襲われるかもしれない。それならば地形の把握をするべきだろうか。把握しておけばいざ襲われても逃げられる――とも思ったが、思えばここは私が幼い頃良く遊んだ公園であった。ぜえぜえと吐き出される息を整えながら、公園内を歩く。
今は四月。卯月。春である。日が長くなっているためまだ空は明るい。公園内には滑り台で遊ぶ母と子。ブランコで遊ぶ少女。俺の前を駆け抜けて行く少年たち。まだ人が残っていることに少しだけ安堵し、また少しだけ不安にもなった。これは本当に悪徳部でなんとかできる案件なのだろうか。いや、浅間氏が言うからにはそうなのだろう。そう思わなければやってられない。