幼馴染との再会は学園物の鉄板である
「あれー? 貴方、セイタロウの言ってた悪徳部の新入部員?」
その声に顔を上げると、私はぎょっとした。見覚えがある顔がそこにいたからである。
「って、あれ稔ちゃん?」
読者諸君、こんなことがあっていいと思うだろうか。
彼女は昔、私の家の近所に住んでいた二個上のお姉さんであった。私がウンコマンを卒業すると同時に彼女は家の都合で引っ越していった、はずだった。
彼女は名を稲嶺 ゆかり(いなみね ――)という。
小学生の時は長い黒髪に銀縁眼鏡をしていた知的美人だったのが、今はその黒髪を短く切りコンタクトにしているらしい。なにやら活発そうな印象だ。
しかし、その活発そうな表情の中に、優雅な笑顔――昔の面影が残っていた。
後、彼女のいうセイタロウとは誰か。私の脳内に疑問が浮かび上がっては消えていく。何を話していいかもわからない。
「秋山さんと稲嶺副部長はお知り合いだったのですか?」
そう稲嶺嬢に問いかけたのは他ならぬ小早川さんだった。しかし、この時私の脳内には稲嶺嬢との思い出が走馬灯の如くくるくると小躍りしていた。
楽しかった登下校。楽しかった運動会。楽しかった学芸会。楽しかった彼女の家へのお泊まり。一緒にお風呂へ入ったりしたこともあった。私は一人っ子である。姉や兄や弟や妹などはいない。だからこそ、同じく一人っ子であった稲嶺嬢は幼かった私をまるで本当の弟のように可愛がってくれた。
小学生時代のウンコマンなど些細な問題だった。今なら言える。彼女が私の隣にいた頃、私のリアルは充実していたと。
「うん、稔ちゃんとはご近所さんだったの。ああそうそう、稔ちゃん。セイタロウが猫飼ってもいいって。稔ちゃんでしょ? 猫、ダンボールに入れたの」
「は、はい。えぇと……セイタロウ、とは……?」
セイタロウとは誰か。私の知り合いにセイタロウという人物がいたか。はて。
「え? セイタロウに会わなかった? そんなはずはないと思――」
開くドアと同時に、ぬっと入ってきたのは他ならぬ浅間氏である。その手にはあの黒猫が抱えられている。ご丁寧に赤い首輪までつけて。
「なんだ稲嶺。来るなら来ると言え。秋山、この猫だが放送部で飼うことになった」
目の下が隈でなければ、美青年であるはずの浅間氏がそんなことを言った。私は赤い首輪をつけた黒猫を浅間氏から受け取ると、その猫の顔をじっと見つめた。やはり猫はかわいいものである。
「あ、セイタロウ! まーたアンタ下の名前名乗ってないでしょ!」
セイタロウ。セイタロウとはまさか、いや予想はできたことだが。アサマ セイタロウ。なるほど。これが彼のフルネームらしい。
彼は頭を掻きながら壁際のホワイトボードにペンで文字を書き始める。
【浅間 清太郎】
嫌に達筆な字で書かれたのはそんな名前。浅間 清太郎。清くない。この男はきっと清くない。清いという言葉は彼に一番似合わない言葉である。
「下の名前を名乗る意味がわからん。お前は清太郎清太郎というのをやめろ」
「じゃあセイちゃんでもいいんだけど?」
稲嶺嬢はそう言って浅間氏の前に立ちはだかった。それを聞いた浅間氏はなんと溜息をつきながら「清太郎でいい」と言葉を漏らしたのである。どうやら力関係は稲嶺嬢が上のようだった。
昔は清楚でおしとやかだった稲嶺嬢が浅間氏を押しているのをみると此方としては何やらむにょむにょした複雑な心境に陥る。なんと表現すればいいのか。にしても何故稲嶺嬢が放送部――いや、悪徳部に所属しているのか。恋路を邪魔でもされて復讐鬼とでも化したのか。
「じゃあ、この猫に名前つけよ! じゃあ清太郎から! 案出して!」
「宵闇雪之丞」
話を振られて反射的に答えたらしい浅間氏。このネーミングセンスは彼の家のペットたちに遺憾無く発揮されていることをこの時の私はまだ知らない。
「いやこの子雌だし! 何その武士みたいな名前!」
「雌狸にポン太と名付けた人間よりマシだろう」
例えがよくわからないが個人的には雪之丞は心をくすぐられるような良い名前だと改めて思う。今でも私はそう思っている。
その後、特にいい案が出るわけでもなく時間だけがすぎて行く。たかが猫、されど猫。嗚呼、ここまで決まらぬものか。私がない頭をひねってひねってちぎらせようとしていたその時だ。悪徳部(正式には放送部)の扉がノックされ、返事を待たずに扉が開く。
「浅間、ちょっとこの間のことで――うわ、会議中か?」
「いいところにきた高岸!」
浅間氏がぐわしとその青年の両肩を掴む。高岸と呼ばれた彼は、特別驚きもせず「なんだ?」と苦笑しながらこちらに近づいてきた。浅間氏は「この猫の名前に悩んでいる」と口を開く。
「はあ、黒猫。聖夜とか」
「もうそれでいいだろ」
「ですね」
「おお! けってーい!」
浅間氏、小早川さん、稲嶺嬢と同意した。私はもう少し考えたかったが「そうですね」と空気を読んでおいた。空気は読める男、秋山 稔である。
しかし私は聞いてしまった、高岸氏が「冗談だったんだが……」呟いているのを。少々切なそうな声だったと記憶している。私は聖夜と名付けられた黒猫を抱き上げる。奴は鳴かず、ただ私の腕の中で丸くなっていた。ふむ、可愛い。