妖怪美男子部長と平々凡々たる私
その男は容姿端麗、精悍な顔つきをしており、一見真面目な印象を受ける美男子であった。地毛なのだろうか、染めたようには見えない綺麗な茶髪に、赤い澄んだ瞳をしている。しかし、一つ文句をつけるのなら目の下にはどす黒い隈が覗いていた。玉に瑕ならぬ玉に致命傷である。
女子とすれ違えば十人中十人が振り向くであろうその美しい容貌に彼は卑しい笑みを浮かべ、「けけけ」と嫌な笑い方をした。
妖怪の化身かと思うそれは私の心の深層まで入り込んだのである。
私は今まで美男子というのは誰彼構わず愛想の良い笑顔を浮かべるものだと思っていた。
今考えれば、そんな偏見を持つのは当たり前だろう、誰も自分のイメージを自分で悪くしようとは考えないはずである。何故なら過去の私もそうであった。
しかしこの男は根本的からその概念を遠くへぶっ飛ばしたのであった。その妖怪の笑いをどこでマスターしたのか問い詰めたい。どうしてそうなった。これが今はやりの妖怪のせいという奴か。
小早川さんは部長と思われる妖怪美男子をまっすぐに見つめ、また言葉を紡ぐ。透き通る声が、放送部の部室に綺麗に響いた。
「悪徳部への入部を許可してください」
悪徳部。彼女はそう言った。理知的であり聡明な印象を受ける彼女が【悪徳】とは何事か。この時私は放心状態であった。
ちなみに、悪徳――道徳にそむいた行為、という意味である。
「ここは放送部では……?」
部長は「ああ」と縦に首を振った。やはりここは放送部なのである。これは間違いない。
では先程小早川さんが言った【悪徳部】とは何か。
おそらく三年であろう彼がまた「けけけ」と嫌な笑い方をする。
その笑顔は少女漫画に出てくる男のようにキラキラと輝いているわけでもなく、下品であり、まさしく妖怪のようであった。
「顔はいいのに中身が……」と言う女子高生の言い分もわかる。
「その通り。表向きはな」
と彼が言う。表向き。部活に表向きも裏向きもあろうか。
私は混乱していた。何か底知れない闇に足を突っ込んだような感覚に陥ったのである。
三年後の私からいうと、この時の感覚は間違いではなかったと言える。断言できる。
ここで引き返していれば、と考えるが、今となってはもう遅い。
もう私は三年間を過ごしているのだ。その事実は変えられない。
聡明な読者諸君にはおわかりだろうが、これは私の懺悔や後悔の手記である。
時々楽しいこともあった気がするが、それよりも懺悔の念が強いのだ。
「放送部は建前だ。俺がやっている部活は高校側は非公認だからな」
男は平然とそう言った。非公認、認められていない部活。
止せばいいものを、この時の私は興味深々であった。
何せぴかぴかの一年生である。中学校にはなかった高校という場所で私は未知なる体験をしたいと常々願っていた。
もう馬鹿と罵ってくれてかまわない。
「非公認の部活、ですか」
私はその膨れ上がった自身の好奇心に負け、部長に問うたのであった。もう誰かこの時の私を阿呆と罵ってくれ。
ここで純真無垢たる黒髪の乙女である小早川さんが私に語りかけてくるのである。
彼女曰く、この放送部は裏では【悪徳部】と呼ばれ、その名声は地元だけではなく至るところで噂になっているそうだ。
しかし世間に疎い過去の私はそんなことを知るよしもなかった。
しかし彼女は、この【悪徳部】に入るため、遠路はるばる田舎で知名度も低く定員割れしているこの【公立神楽木高校】を受験したらしかった。なんという巡り合わせか。
彼女が悪徳部を知らなければ私と彼女は会うことはなかったのである。
しかし私はまだ府に落ちてはいなかった。
【悪徳部】というネーミングセンスの欠片もない部活。これは一体全体何をする部活なのであろうか。この時の私には甚だ疑問であった。
「では部長、悪徳部とは何をする部活なのですか」
私は潔くストレートに問いかけた。女性と先輩、教諭には敬語を使うのが私である。彼はまた「けけけ」と卑しく笑い、
「イタズラだよ、秋山」
そう答えた。いつの間にか小早川さんに書かされた入部届けを彼は右手に持っていた。
イタズラ。とっさに顔にラクガキだったりそういうことを思い浮かべる。我ながら幼稚である。
「具体的には、まぁ先生の顔にラクガキしたり、井形の井の字で○×ゲームをしたり精神的なダメージを与える。剣道部が使っている制汗剤を盗む、などがある」
この話を記すにあたって全国の井形さんに土下座をしたい所存だ。あと剣道部の制汗剤を盗むのは本当にやめてあげてください。
「でも、イタズラだけなら別に悪徳というわけではないですよね」
「けけけ、よく気づいたな」
部長は例の妖怪じみた笑いを見せ、私の肩を叩いた。悪魔も逃げ出す微笑みである。
「我々悪徳部の真骨頂は人間関係の破壊である。……まあ、それだけでもないがな」
私の体に雷が落ちたような衝撃が走った。嗚呼、なんたることか陰湿な。
生来聖人の権化のように美しき心を持つ私であったが、何を血迷ったか自然にその言葉に頷いていたのである。
私はこの目の前の悪魔、いや魔神に魅了されていたのかもしれぬ。畜生妖怪め。
先程私は聖人の権化だと説明したが、それは他人が見たら明らかな程清々しいくらい真っ赤な嘘であった。
私は聖人ではなく悪人気質なのだった。
この時は妙な部活に足を踏み入れた後悔より妙な部活に足を踏み入れたワクワク感、そう、例えるなら新しいゲームを買って包装紙を開けているあの瞬間のようであった。
プレイして楽しむのか、がっかりするのかはやってみてのお楽しみである。
「俺は部長の浅間だ。本来ならもう一人いるのだが……」
部長の言葉に私は違和感を覚えた。
部活は校則で5人部員が集まらなければ作れない決まりになっている。浅間氏と私、小早川さんともう一人。
人数が足りない。私はその旨を浅間氏に尋ねた。
浅間氏はまた例の笑みを浮かべる。
「けけけ、この部活には幽霊部員が三人いるんだ」
それは実に納得のいく説明であった。
何度も言うが、私が放送部……いや悪徳部に入部を決めたのは小早川さんと青春を謳歌するためであり、断じてこれに乗じて私が悪行を積み、私を転落させ狂わせた我がクラスの人間関係を破壊しようと思ったというわけではない。断じて。
「最後の問いかけだ秋山。お前は悪徳部に入るか」
私は頷いた。これ以上ないくらい入部の意志を秘めた頷きであった。そして、何より小早川さんの顔が綻んだのが印象的であった。それを見た我が心も晴れやかなり。
「では、秋山と小早川の入部を許可する。顧問の冬原には俺から話しておくからな」
冬原。現国教師、冬原 春斗。人当たりもよく生徒からも慕われている二十代後半の男性教諭である。顔は少なくともイケメンではなかったが、アバウトとツッコミ気質な性格により生徒受けがいい。
そして、私が何より疑問に思っていたのは部員ではなかった小早川さんが何ゆえ新入部員を探していたかである。
その旨を部長に聞いたところ、
「新入部員になる素質があるかを見極めさせてもらった。女にはコミュニケーション能力、男には思考力と体力が必要になる」
かくして、私は放送部兼悪徳部へ入部したのであった。
この選択が今の私を作っている。実に嘆かわしいことである。