始まりの挨拶は欠かせぬもの/私は腐ったみかんであった
読者諸君がこの手記を手にとっているということは私はもうこの世にはいないだろう。と見せかけてのうのうと生きているのが私である。
この手記を読むにあたっていくつか注意点がある。
私は現在二十六歳である。この手記は私の高校時代の日記を元に構成したものだ。
故に台詞は曖昧であり、書いているときに多少脚色をするかもしれない。そこは御愛嬌である。
小、中学時代。私は平凡であった。しかし、私は良くも悪くも高校で変わったのだ。
これは、私の青春であり懺悔の手記である。
◆
「お前は腐ったみかんだ! 腐ったみかんは他を駄目にするんだ!」
不良にそう説教を垂れた教師がいる。
腐ったみかんをみかん箱の中に放置するとそれはゴキブリか何かのように感染し数を増やし、しまいには全てのみかんが腐り始める。腐ったみかんはすぐに捨てるべきものであり、腐ったみかんを拾うものもまたいない。
私は、これは腐ったみかん一人に責任を押し付ける行為だと考えた。まことに非道い行為である。
これは実に遺憾だ。腐ったみかんを腐る前に食べなかったのは人間である。腐ったみかんに謝れといいたい。土下座しろといいたい。今度どこかに抗議を持ちかけようと思う。
私はその腐ったみかんの一人であった。
しかし、勘違いしないでもらいたいのは、いわゆる不良という奴ではないということだ。
不良の方がまだマシだ。友人。熱くぶつかってきてくれる教員。なんという幸せであろうか。まぁよくある青春ドラマの中の話だが。
当時、高校一年入学当初の私はといえば、休み時間はただ自分の机で英和辞書を枕にしてヨダレをたらして寝ているだけなのである。
もちろん友人などいるはずもなく一人昼飯を寂しく食う生活を送っていた。
なぜ私がこのような高校生活を送っていたのかを簡潔に書く。
丁度、十年前の私は田舎の公立高校、【神楽木高校】の普通科に平凡な成績で合格した平凡な男であった。
田舎の高校のため定員割れしており氏名に名前を書けば入れると専らの噂であったその高校。
本当にその噂を信じて疑わず実行した林原氏を私はこの三年間高校内で見ることはなかった。実に遺憾である。
さて、高校に入れば彼女もでき、楽しい生活を送れると考えわくわくしていた私だったが、浅はかであった。
それはチョコレートを溶かし生クリームと混ぜアイスに乗せ砂糖をまぶしたものを食べた時くらいに甘い考え。
この間、実際にやってみたがあまりの甘さに吐きそうになる勢いであった。胸焼けがすごかった。
そう、私は何を血迷ったか風邪を拗らせ、入学式から三日休んだのである。
そこから私の転落高校生活が幕を開けた。ちなみにそれから私は三年間風邪を引かなかった。インフルエンザにもならなかった。
嗚呼、なんたることか。三日後私が見たものはきっちりグループが出来上がった我がクラスの姿。今更入ることなどできるわけがない。
万が一億が一できたとしても完全に打ち解けられるわけがない。私のコミュニケーション能力はそれだけ無に等しかったのだ。嗚呼神は我を見放したか。
ここで浅はかな私はこれまた浅はかな考えを思い浮かべた。部活に入部すれば青春が掴めるのではないかと。それはまさしく愚策であった。愚策と気づかぬ愚男は過去の私である。嘆かわしいことこの上ない。
空に手を伸ばして雲が、夜空の上にある煌めく星が掴めるだろうか。腰痛持ちの私には腰を痛めるのが関の山である。嘆かわしいことこの上ない。
しかしこの嘆かわしい選択を当時ぴかぴかの高校一年であった夢見る私はしてしまうのだ。
嗚呼、なんたる愚男。救いようがない愚男である。
そうは言ったものの、本格的に腐ったみかんになりつつあった私を辛うじて爽やかにさせていたのは部活だったのだろうかとふと思う。
自虐的過ぎるのも考えものである。振り返りの為に書く手記だ、高校生活を振り返る上でこの部活、あの男との出会いは切り離せぬまい。
友人はいないと言ったが悪なる上司はいたのである。そう、私は大人しそうに見えて悪役であった。思いっきり悪であった。その悪なる上司のおかげで私の中の内なる悪が目覚めたのである。
嘆かわしい。あの男にさえ出会わなければ。あの部活にさえ入らなければ。結局自虐であるから救いようがない。
実質部員数は私を含めたった四人。後は幽霊部員である。
【悪徳部】。それがこの部活の通り名であった。ちなみにこれを読むにあたっていらない知識だが、正式な部活名称は【放送部】である。