妖精育成計画
森を出てから町へ着くまでの3日間、私は魔王様から文字を一通りと、数の数え方と、簡単な計算を教えられた。それと、絶対に俯くなという命令もされた。魔王様と話すときは、必ず顔を上げて目を見て話さなければならないのだと。
「お前には訓練と学習が必要だ」と魔王様は言った……魔王様の指導は、スパルタだと思う。
ようやく最初の町についた時、魔王様は、ひたすら機嫌がいいように見えた。
初めて見たときの、夜のように真っ黒な髪と深紅色の目は、今は「人間に見えるように」と言って、黒褐色の髪に濃い琥珀色の目へと少しだけ色を変えている。耳も人間のように丸くなっている。実際、町に入ってみたら、魔王様が人間であることを疑う人は全然いなかった。
魔王様は人間のふりがうまいようだ。
「こんなところにこれほどの町ができているとは、人間はずいぶんと増えたのだな」
町へ入ると、驚いたことに、魔王様はてきぱきと持っていた装身具を換金し、旅装を整えてしまった。「こういうところは昔と変わらぬ」と言っていたけれど、魔王様にそんな経験があるなんて思ってもみなかった。
「では、エルよ。これからわたしは“魔法使い”だ」
魔法使いが旅をするときによく着るローブを着て、魔王様が言う。私も、同じようなローブを着せられた。魔王様は、何かしら思いついたときに浮かべるあの笑みを浮かべていた。
「おお、そういえば肝心なことを聞き忘れていた。エルよ、この国の名はなんという?」
「え。え、と、レーゲンスタイン王国です」
「ほほう。まだ続いていたのか、ずいぶんと長くもっているのだな。では、国で一番大きな町はどこだ?」
「……王都?」
「なるほど……お前の行きたいところへ行こうと言ったが、予定が変わった。そこへ向かうことにするぞ。
だがその前に、さすがにわたしの知識は古すぎる。ここでいろいろと話を聞いておかねばならぬな」
魔王様が何を考えているのか全然わからない。けれど、私が混乱してもたもたしている間に、魔王様は酒場で食事をしながら適当な人間を捕まえて、いろいろな話をしていた。
魔王様は、森で会ったときよりも、とても生き生きとして見える。
「で、なになに、この子がエルちゃん!? うっわ、かわいい! 小さい!」
ぼんやり考えていたら、魔王様の話相手のそんな声で我に返った。なんだか軽そうな、戦士風の男の人だった。
「ふふふ、そうであろう? 卑屈なのが珠に瑕だが、非常によい血筋であるからな、鍛え甲斐があるぞ」
「へええ、色が白くていいねえ。惜しいなあ、あと5年育ってればほっとかないのに」
「ほほう、エルに手を出すのであれば、わたしの許可が必要となるが?」
「うえ、そこまで口出すの?」
「むろんだ。エルの100年はわたしのものであるからな」
「何それ、100年? 100年も過ぎたら、爺になっちまうじゃん。あ、もしかして兄さんのマイフェアレディってこと?」
「“まいふぇあれでぃ”とはなんだ?」
「つまりー、まっさらで美人になる素質のある小さい女の子連れてきて、自分好みの女に育てあげる、男の浪漫ってやつよー」
「なるほど、そのようなものがあるのか。ふむ、人間というのは業が深い」
「え、何、育てちゃうの? 育てちゃうの?」
魔王様が私を見てにやりと笑う。
「淑女として育てるというのもおもしろそうであるな」
「お、その気になった?」
「ふふふ、そうだな……エルよ、望むなら、お前を傾国の美女に匹敵する美姫となるよう教育し、磨きあげることもやぶさかではない。あの騎士の鼻を明かしてやりたいとは思わぬか?」
魔王様が楽しそうに笑う。私がそんな風になれるはずないのに、魔法でどうかしてしまおうということだろうか。私はなんだか泣き出しそうになってしまった。
「あの……まお……魔法使い様、なぜ騎士様の鼻を明かすのでしょうか」
「決まっておる。前回負けてやったからだ」
「えーなになに因縁の対決ー?」
「少々気に食わぬ馬鹿者がおってな……ふむ、なかなかよいかも知れぬ。楽しくなってきたぞ。お前からはいいことを聞いた。これで20年は退屈せずに済みそうだ。礼にここの酒代はわたしが持とう」
やったー太っ腹ーという男の人の歓声を聞きながら、私は大変なことになってしまったんじゃないかと怖くなった。
それからも宴会は続き、部屋に上がるころには夜もすっかり更けていた。
「エルよ、わたしは少々出かけてくる。不埒者が入れぬよう部屋は封をしておくゆえ、お前は休め」
魔王様はなにやら出かける支度をしながら、私に言った。
「魔王様、どこへ行くんですか?」
「なに、お前を育てるにあたりいろいろと準備が必要になったので、さっさと済ませてしまおうと考えたのだ。お前は心配せずにこのまま寝ておれ」
「……魔王様、まさか、さっき言ってたことは本気なんですか? 冗談ではないんですか?」
「ふふふ、冗談なものか。……あのすました騎士が驚き呆気に取られるさまを見たいとは思わぬか? それに、一度負けてやったのだ、実益を兼ねて楽しむくらいはかまわぬだろう」
* * *
翌朝、魔王様はとても上機嫌だった。いったい何を準備したのか気になるけれど、聞くのも怖い。何か、とんでもないことになりそうで本当に怖い。
どうしてこんなことになったんだろう。魔王様にお願いしたら、たぶんそこで私は死んじゃうんだって思ってたのに。
「便利な世になったのだな。昔は駅馬車などというものは無かったぞ」
「魔王様の言う昔って、どれくらい昔なんですか?」
「ふむ……よくわからぬ。数えておらぬからな。だが生粋の妖精の寿命よりは短いぞ」
駅馬車に乗り込んだ魔王様は、楽しそうに外を眺めている。この駅馬車を使うと、王都まで5日ほどで着くらしい。
「ほうほう、これほどまでに開墾が進んでいるのでは、人に近い種族以外はさぞ住みにくかろう」
「人に近い種族って、何ですか?」
「そうだな、まずはお前も知っている妖精だ。見た目も若干しか変わらぬし、おそらく一番人に紛れ易い姿をしておる。他には、有翼族や人獣もおるな。ただ、彼らはどちらかというと森や山で生活することを望むので、町中ではあまり見かけぬだろう。小人どもも、町中に紛れ易いな。
あとは魔族か。わたしの同族は、魔法を使って人間のふりをするのがうまいぞ」
「魔王様は魔族なんですか?」
「そうだ。そもそも魔族に王はおらぬ。魔族は数が少ないうえ、互いに不干渉であるから、人間のようにわざわざ王を決め、全体をまとめるような面倒なことはやらぬ。前にも言ったが、“魔王”というのは人間が勝手にそう呼んでいるだけで、わたしは別に王でもなんでもない。それに、人間はわたしについて神に敵対しているとか邪悪な力を使うとか適当なことを言っておるようだが、意味がわからぬ」
魔王様は呆れたように肩を竦めた。
「おおかた、教会が信者を増やすために人間に広めた方便であろう。聖職者という輩は昔からそうだったからな。同族である人間にも、すぐに何かと言いがかりをつけるではないか」
「はあ……」
……王都までの5日間も、魔王様は私にいろいろ教え込むのを忘れなかった。
魔王様の指導は、やっぱりスパルタだと思う。