終:妖精の姫君と王の騎士
「ディーター様、そういえば、私、宿題の答えを教えてもらってないです」
目の前でお茶を飲むディーター様にそう言うと、とたんにむせてしまった。
「あの……私、何かへんなこと聞いちゃいましたか?」
「いえ……そうではなくて……」
ディーター様は変にあちこち視線を彷徨わせて、それから意を決したように口を開いた。
「本当は、私自身の力だけで魔王に勝利して、あなたに告げたかったのですが……」
「あの……あの……やっぱり、私は余計なことしちゃったんですか?」
「いえ! とんでもない!
……あなたのおかげで、私は今ここでこうしていられるのですから。
そうではなくてですね……頼りない結果で終わってしまったことでかなり気恥ずかしいのですが……たとえ命に関わる危険であっても、それがあなたの為なら飛び込んで行きたいと考えたが故に、私は魔王に挑戦したのです。
──その、つまり、私の姫君は、エリアンナ姫唯ひとりだとあなたにお教えしたかったのです」
少し視線を外したまま、目元を赤らめてそう述べるディーター様に、どきどきしてしまう。
「……ありがとう、ございます」
それだけをやっと言って、じゃあ、と考えて……そこで初めて、私も、私の騎士だと思ってた人は騎士様じゃなくて、いつの間にかディーター様になってることに気がついた。とたんに、顔に血が上って俯いてしまう。
「あの……あの……私、魔法使いのお遣いに出ると、お兄さんみたいな警備兵の人と、いろいろなことをお話ししてるんです。それで、前に、ディーター様がどうして私のことを姫君って呼ぶのかわからないんですって聞いたら、その人が、男の人は好きな人を自分だけのお姫様にするんだよって教えてくれて……あの、その……」
だんだん、何を言いたかったのかがわからなくなりそうで、ちょっと恥ずかしい。
「それで、私も……今気がついたんですけど、私も、ディーター様が、私の騎士様だなって……」
そこまで言ってふと不安になって、ちらりと上目遣いにディーター様を見ると、まるで彫像のように固まって私を凝視していた。
「あの、ディーター様を、私だけの騎士様って思ってても、いいですか?」
やっとその言葉を告げると、ディーター様はとても驚いた顔になり、目を丸くしたまま、やっぱり私をじっと見つめていた。そんなに見つめられていることが恥ずかしくて、つい、また目を逸らしてしまう。
「あの、ご迷惑なら、ごめんなさい」
とたんにガタッと音がして、ディーター様が「姫君……!」と掠れたような声で呟いた。……と思ったら、急にぎゅうっと抱き竦められてしまう。
「迷惑なんて、とんでもないことです。あなたの騎士であると考えていただけるなんて、本望です。これ以上ない幸せです。
ああ姫君……エリアンナ姫!」
「あの、ディーター様……」
力一杯抱きしめられて、ちょっと苦しいです、と言おうとしたところへのディーター様の言葉で、私も固まってしまう。
「姫、エリアンナ姫、どうか私にあなたを……あなたをくださいませんか」
……ええと、ええと、ええと、どうしよう、こういうときってどう答えるのが良いんだろう。湧き上がってくる気持ちで頭が真っ白になりながら、必死で考える。何かいい言い方があったはずだ。あったはずだけど……。
「ええと……その……はい。お願いします」
結局、こういう時のお作法に則った言い方とか、そんなものまったく頭に浮かんでこなかった。
ただディーター様に抱えられながら、全身真っ赤になりながら、私はこくりとひとつだけ、大きく頷いた。
* * *
「どうだったのだ」
副団長殿の質問に「それは……」と少々言葉を濁す。今問われているのは、先日行われた、かの者との勝負の行方についてだ。私が今この場にいることで命を拾ってきたことは明らかだが、副団長殿が聞きたいのはそういうことではない。
「……勝者は、副団長殿の妹御です」
「何?」
副団長殿は怪訝な顔で眉を寄せ、「いったいどういうことか」とさらに問う。
「私は力及ばず、かの者の手により止めを刺されそうになりましたが、すんでのところで姫君に救われました。
そのままかの者は姫君に敗北を認め……つまり姫君はご自分の力で自らの100年を取り戻しておいでです。
王国最強の英雄は、エリアンナ姫ということですね」
「本当なのか?」
私の話に、怪訝そうな表情を崩さず、とても信じられる話ではないが、と呟きつつ副団長殿はひとつ大きな溜息を吐いた。
「……あの子とは、私よりもアルビオナのほうが多く時間を過ごしていたのだ。
アルビオナから聞いていた話では、あの子にそんなことができるとは全く思えないのだが……」
「……副団長殿、昨年、私の妹の誘拐事件があったことは覚えていらっしゃいますか?」
「ああ」
「その時、共に捕まってしまったのが姫君だったのです。妹の話では、姫君はたいそう勇敢で、泣くばかりの妹を連れて悪党どもの手の内から脱出する際、まるで騎士のように妹を背に庇い守ってくれたのだと申しておりました。
姫君はたおやかに見えて、その実、芯も強く実力もある、すばらしいお方です」
副団長殿は自嘲するように「どうも、私は妹のことをまったく知ろうとしていなかったようだ」と微笑んだ。
「……それで、副団長殿に、折り入ってお願いがあります」
「改まって、どのようなことだ」
「どうか、私にエリアンナ姫への求婚の許可をください」
「……ならば、今度こそ魔王の首を取ってこいと言いたいところなのだが」
「それは致しかねます。私は姫を悲しませないと誓いました。かの者は姫の父君にも等しい存在だと仰るので、それはできかねます」
そう告げると、副団長殿は苦虫を噛み潰したような渋面となる。
「そんなことだろうと思っていた。
私に、あの子についてどうこう指図する資格などないだろう。確かに、私は捨て置いたも同然だったのだからな。
……そうだな、お前があれに臆することなくエルを望み、エルもそう望むというなら、求婚でも何でもすればいい」
「ありがとうございます」
「むしろ、あれのような舅を持つ娘を好んで迎えたいというお前のような男は、相当に貴重だろう。よろしく頼む」
「いえ、私こそ……きっと、姫君を幸せにします」
副団長殿はふと思いついたように、「恐らく相当に苦労するだろうが、返品は利かないぞ」と笑った。