妖精と魔王と姫君と騎士
「あの、魔王様、どうして魔の森に移動したんですか?」
「そのほうが盛り上がるではないか」
翌日、なぜか私は魔王様に連れられて、魔の森の魔王様の館に転移していた。
「盛り上がるんですか?」
「やはり、騎士が挑戦に来る場は魔王の館がよかろう。魔王城ならもっとよいのかもしれぬが、さすがに城は維持がめんどうなのでな、これで勘弁してくれ」
思ったよりも魔王様がはしゃいでいる気がする。お腹が痛くなりそうなくらい考えてた私が、なんだか馬鹿みたいだ。
「魔王様、もしかしてすごく楽しみにしてるんですか?」
「しておるとも」
上機嫌で答える魔王様は鼻歌でも歌いだしそうだ。魔王様がよくわからない。
「ディーター様はここまで来られるでしょうか……」
「来られぬようでは話にならぬ」
「そ、そうかもしれないですけど、あの、場所とか……」
「わからなければ、王国の英雄にでも聞くだろう」
「えー……」
ディーター様は無事にここまで来られるだろうか。まさか途中で魔物に襲われたりとか……騎士様だって、この森の魔物には苦労したって聞いたのに。魔物と戦った後で魔王様と戦うのは、ものすごく不利なんじゃないだろうか。
どうしよう、またお腹が痛くなりそうだ。
「連れてきたよー」
「え」
悶々と悩んでいたら、ユルナさんの声がして、顔を上げるとディーター様とユルナさんが目の前に立っていた。
ディーター様が「ご助力感謝いたします」とかユルナさんにお辞儀している。
「こんなことじゃないかなーと思って王都の屋敷に行ってみたら、君の騎士が騎乗して走りだそうとしてるとこでさ、だから連れて来ちゃった」
ぽかんとしていたら、ユルナさんが「王国の騎士が来るまで何日も待つとか面倒だし、このくらいいいよね」とにこにこ笑った。
やっぱり魔族の感覚はおかしいんじゃないだろうか。
魔王様の機嫌はすこし傾いていて、これでは情緒というものがないとぶつぶつこぼしている。
……もしかして、魔王様の中では昨日の騎士様のことよりも、今日のディーター様とのことのほうが重要になっていたのだろうか。
もしかして、こんなに悶々と頭を悩ませていたのは私だけだったんだろうか。
もしかして、魔王様にとっては、これもやっぱり暇つぶしの余興でしかないんだろうか。
「姫君、エル、もう少しです。もう少しだけお待ちください」
「あの……気をつけてください。勝利を、祈ってます」
「あなたのくださった御守りにかけて、必ず勝ちましょう」
それでは準備はよいか、と問う魔王様に頷いて、ディーター様は剣を抜いて対峙した。私はユルナさんに「危ないからこっちにおいで」と手を引かれ、少し離れた場所の椅子に座る。
「……今ならまだ間に合うよ?」
お互いに礼をして、打ち合い始める魔王様とディーター様をはらはらしながら見ていると、ユルナさんが不意に話しかけてきた。
「え? 何が?」
「まだ間に合うって話。
……よく見てご覧よ。魔王はまだまだ余裕を残してるけど、君の騎士はもういっぱいいっぱいじゃないか。今はまだ魔王が遊んでるからついていってるけど、もうしばらくしたらわからないよ?」
確かに、ディーター様は魔王様の斬撃をどうにかという様子で捌いているけれど、魔王様はうっすら笑みを浮かべた余裕のある表情のままだ。
「だけど、今ならまだ間に合うって言ってるのさ」
ユルナさんが私を見て微笑む。
その間にも魔王様とディーター様の打ち合いはますます激しさを増していて、私には目で追うのもやっとなくらい速いものになっていった。
「ほら、君の騎士が押され始めたよ。切り込むよりも受けるほうが多くなってきただろ?」
「でも、でも……」
「うん、今ならまだ間に合うね」
ユルナさんが微笑んだまま「どうする?」と問うので、私はほとんど泣きそうになっていた。
「……でも、やっぱりだめです。ディーター様は喜ばないし、きっと怒るし」
「そう? でも死ぬよりはいいんじゃないかな」
魔王様の剣先がディーター様の身体を掠り始めた。ディーター様の腕にうっすらと血が滲み、服に血の赤が広がり始める。まだまだかすり傷だとはいっても……。
「そろそろ時間の問題になってきてるね。君の騎士の攻撃は当たらないのに、魔王の攻撃は当たり始めてるよ。
……さあ、どうする?」
「でも……でも……」
魔王様の剣を受けながら、じりじりと後退するディーター様の様子が気が気ではなくて、思わず立ち上がってしまった。見ているだけなのがどうにも辛くて、ついつい前へと足を進めてしまう。
ユルナさんもくすりと笑って、私の後ろで立ち上がり、「限界は近いよ?」と囁いた。
そして、とうとう魔王様の剣が大きく脚を掠め、ディーター様が膝を付く。魔王様の笑みが深くなり、さらに剣を振りかぶって……。
「だ、だめです!」
私は叫んで、思わず魔法を唱えながら飛び込んでしまった。倒れたディーター様の前に立ちはだかり、防御の障壁を作り……魔王様の剣が目の前で止まる。
「えい」
続けて、魔王様に向かって次の魔法を放った。魔法使いが護身のために最初に教わる火の魔法だ。威力はたいしたことないけれど、牽制には十分だ。
いきなり目の前に現れた炎を魔王様は辛うじて避けたが、何かの焦げる臭いがほんのりとあたりに漂った。あまりに近かったためか、魔王様の髪の数本は避けきれなかったようだ。
「……エルよ、これでは勝負にならぬのだが?」
「だって、魔王様……」
剣を構えたまま魔王様が目を眇めた。その様子が怖くて、身体が震えてしまう。
「王子に助けられなければ、姫になれぬのではなかったか?」
「でも……でも……」
「あのさあ」
そこにのんびりとした声が割って入る。
「魔王もエルちゃんも知らないの? 最近は、王子を助けるのも姫の役目なんだよ?」
そう言うと、ユルナさんはぶふっと噴き出し、すごく楽しそうにお腹を抱えて笑い始めた。
「しかもさ、姫が介入した時点で魔王の負けは確定なんだよね。つまり勝負あったってことだよ」
ユルナさんはひいひい笑いながら、顔を顰める魔王様を見る。
「──まさか自分で介入するとはね! 魔王のこんな顔も見られたしさ、僕すっごく楽しいよ。やっぱりエルちゃん最高だ。ほら、王の騎士もさっさと立ちなよ。君、命拾いしたね。間一髪、君の姫君が助けに入ったんだよ、よかったね」
振り向くと、ユルナさんに言われて、呆然としたままディーター様が立ち上がった。
「姫君……」
「……興が削がれた。まさかエルがわたしに一矢報いるとは思わなかったぞ。ああ、もうどうでもよい。100年など、お前にくれてやる」
「あの、魔王様……」
なんだか投げやりにそう言い放った魔王様は、ひとつ大きく息を吐くと、私をちらりと見やって口の端で小さく笑った。
「……子供が大きくなるのは早いのだな。
それで、お前はどうしたいのだ」
「あの……私、まだ魔王様に教えてもらってないことがたくさんありますし、だからまだ、魔法とかいろいろなことを教えてもらいたいというか、あと、その、ディーター様も、魔王様も、仲良くしてほしくて……魔王様は、ええと、私の父さまみたいっていうか……だから……その……」
私が尻すぼみにそう言うと、魔王様もディーター様も目を見開いた。やっぱり、だめだろうか。喧嘩とか争いとか、もうあまりしてほしくないのに。もうこんなお腹が痛くなりそうなことは嫌だ。
「……エリアンナ姫のお望みとあれば」
「驚いたな。王の騎士はそれでよいのか」
私に跪くディーター様に、魔王様がまた目を丸くする。
「魔王よ、あなたが姫を厳しく、しかし大切に育てていたことくらい見ていればわかるし、姫もあなたを大切に思っていることもわかる。見縊らないでいただきたい」
ディーター様が憮然として返すと、不意に、抑えきれないというようすで魔王様まで噴き出した。いつものような、何か企んでるような笑みじゃなくて、楽しくて仕方ないというように声を上げて魔王様が笑う。
「王の騎士、お前も面白い。まさか近衛の騎士がそんなことを言い出すとは……人間は面白いな」
くつくつと、肩を震わせて笑う魔王様に、私もディーター様も呆然とする。
「魔王様……?」
「エルよ、これより後、お前の100年はお前のものだ」
なおも笑いながら、魔王様が私に告げる。
「わたしはしばらく王都の屋敷に留まるから、お前は好きにするがいい。魔法を学びたいというなら勝手に通え」
* * *
──それから数日後、私はまだ以前と同じ王都の魔王様の屋敷に住んでいた。
「エルよ、何故お前はまだこの屋敷に留まっている?」
「ええと、ユルナさんが、未婚の娘が男性の家に滞在するのは外聞が良くないって。それに、魔王様は、私の保護者だし……」
「……王の騎士はなんと?」
「ディーター様も、そうしなさいって……あの、ディーター様は、これから騎士様に許しを得るので、もう少し待っててくださいって言ってました」
「頭に馬鹿がつくほどに真面目だな、あれは」
魔王様は呆れたように溜息をひとつ吐くと、「何をしようとお前の勝手なのだ。好きにしろ」と言った。





