妖精と魔法使い
「エル、今日はあなたに紹介したいひとがいるのよ!」
そう言ってアウレーリアさまが私を連れて行ったのは、お屋敷があるステンダールの町に住む妖精の魔法使いのところだった。
「お父さまが子供の頃よりもずっと前から、この町で魔法使いをしている方なの。妖精の、ケイサっていうのよ」
アウレーリアさんが紹介してくれた妖精の魔法使いは、きりっとした印象の女のひとで、きれいな淡い亜麻色の髪に、春の空みたいな青い目の妖精だった。
「はじめまして。あなたが王妃殿下の姪御殿だね。殿下の叔母上にあたるクィザリン様には、ご存命の頃何度か会ったことがあるよ。本当にクィザリン様の色だね」
「ええと、エリアンナです。私のことを知ってるんですか? おばあさんに会ったことがあるんですか? おばあさんはどんな妖精だったんですか?」
「そんなに慌てなくても知ってるよ。ある意味有名人だからね、あなたは。とりあえず、寒いでしょう。中にどうぞ。リアお嬢さんも。そっちの黒い侍女さんも一緒にどうぞ」
ケイサさんはアウレーリアさんや私に気安く椅子を勧めると、お茶やお菓子を用意した。
「それで、クィザリン様がどんな妖精だったかだっけ? ひとことで言えば、きれいな妖精だったよ」
くすくすと笑いながら、ケイサさんはおばあさんのことを思い出しているようだった。
「うん、きれいなんだけど、かなりの無茶をするっていうか、当時もいろんな妖精がずいぶん振り回されてたと思う。そのうち、いきなり人間と結婚するんだっていいだして妖精郷を出奔だから、皆驚いていたよ。
妖精は人間に比べればずいぶん奔放な種族だと思うけど、クィザリン様はそれ以上だったからね」
おばあさん……といっても、本当は曾祖母の曾祖母の曾祖母の、とずいぶん前のご先祖になるけれど、だからおばあさんの話は初めて聞く。そんな妖精だったんだ。
……考えてみたら、魔王様もおばあさんのことを知ってるはずなんだ。あとで聞いてみようかな。
「あの、私のお母さんから、おばあさんの指輪がずっと伝わってて、それで、その、ある人に助けてもらうことができたんです」
「あのひとでしょう? クィザリン様が出奔するときに力になってくれたらしいから、それでじゃないかな。だから王妃殿下も頭が上がらないって聞いてる」
「そうだったんですか?」
「あのひと、なんだかんだ言って面倒見がいいでしょう。拾ったものをほっとけないタイプみたいだしね」
「はあ……」
どうやら、魔王様も妖精の間じゃ結構有名みたいだ。ちらりとユーリさんを見ると、興味深げな顔をしていた。
「エルのおばあさまは、行動力のある方だったのね」
「そうだよ、リアお嬢さん。エル姫にもその行動力は立派に受け継がれてると思うけど」
「そうですわ。だって、わたくしを地下室から助けてくれたのですもの!」
なぜか誇らしげに言うアウレーリアさんに、ケイサさんはくくっとまた笑う。
「で、まあ、エル姫のことは、妖精の間じゃ有名なんだ。なんせ、いないと思われてたクィザリン様の血筋だしね。ついでに言うと、姫のいたあの家のことは皆怒ってるんだけど、その指輪の贈り主が何かするっていうんで静観してるところなんだよ」
「ええ……?」
「まあ、こっちも、うまいこと隠されてたとはいえ、ずっと気付けなかったっていう負い目もある分、八つ当たりに近い感じで怒ってるところもあるんだけどね。姫にはほんと苦労をかけてしまったよ。ま、あの家に味方する妖精はいないから安心してね」
「……ええと、私は別に怒ってないんですけど」
「そうなの? 姫は心が広いんだね」
魔王様が、前に、妖精は血縁に対する情が厚いって言ってたけど、こういうことだったんだ。
「そうそう、エル姫、ディーター坊ちゃんのこともよろしくね」
「え」
「あの子、結構思い込んだら一直線なとこあるからね」
「お兄様は、今、エルに一直線ですもの」
「えええ?」
くすくすと笑いながらケイサさんが私の後ろのユーリさんに「黒い侍女さんも、坊ちゃんのことはお手柔らかにね」と言うと、ユーリさんは澄まして「善処します」とだけ言った。
それからも、ディーター様やユリアーナ様の小さい頃の話も出て、楽しいおしゃべりであっという間に時間は過ぎてしまった。
「ええと、ケイサさん」
「なんだい?」
「あの、またお話をしにきてもいいですか?」
「もちろんだよ」
妖精の魔法使いは「いつでも大歓迎さ」とにっこり笑った。
帰り道、馬車の中でまたアウレーリアさんと話をした。
「……ケイサさんとお友達だから、アウレーリアさんは私が妖精でも仲良くしてくれるんですか?」
「ま! 違うわ! エルはエルだから仲良くしたいのよ」
「私だから?」
「だって、エルはわたくしの騎士様ですもの」
「騎士? 私、剣は使えないです」
「違うの。地下室で、わたくしの手を取って一緒に行こうって外に連れ出してくれたでしょう? あの時のエルは、もう、絶対、わたくしだけの騎士様でしたのよ」
「……あのとき、アウレーリアさんがいたから、私も頑張れたんです」
「うふふ、じゃあ、わたくしはエルのお姫様だったのね。わたくしたち、騎士と姫で手を取り合って、悪党の巣を脱出したのだわ。騎士様のエルはわたくしを庇いながら勇敢に外を目指したのよ。なんて素敵なのかしら」
にこにこと笑顔で喜ぶアウレーリアさんに、ユーリさんが肩を震わせてる。
「アウレーリアさんは可愛いからたしかにお姫様ですけど、私が騎士なんですか? あの時は、なんだか必死でどうしようどうしようってばかり考えてたんです」
「あらもちろんよ。だって、エルは絶対わたくしの手を離さなかったじゃないの。わたくし、とても心強かったのよ。エルが男の方でしたら、あなたのお嫁さんにしてくださいってお願いしていたと思うの」
そうだったかなあと思い返すけれど、実はあの時はいっぱいいっぱいだったせいか、あまりよく覚えてない。ユーリさんを見ると、「可愛らしい騎士様と姫君ですね」と言いながら笑っていた。
屋敷に戻ると、ユリアーナ様が「カルシャ様って、お強いのね。わたくし、またときめいてしまいましたわ」とうっとりしていた。
魔王様はお屋敷の警備兵の訓練に混じっていたらしい。ユリアーナ様の話では、警備のひとたちを何人も相手に剣の稽古していたのだそうだ。
……魔王様、本気で勝つつもりなんだ。
「ユリアーナ様、その……カルシャ様とディーター様、どっちが強いと思いますか?」
「そうね、残念だけどお兄様ではお話にならないと思うわ。いかにお兄様でも、いっぺんに5人も6人もの兵士の相手ができるとは思えませんもの」
「あの、カルシャ様、魔法は使ってましたか?」
「いいえ、剣だけよ。魔法を使ったら訓練にならないと仰っていたわ」
「剣だけ……」
やっぱり、ディーター様が負けて、大変なことになっちゃうんだろうか。
悪い考えばかり浮かんできて、春になるのが怖い。
「……助けてあげようか」
「え?」
部屋に戻ると、後ろからついてきていたユーリさんが微笑みながら言った。
「王の騎士が負けるんじゃないかって、相当心配しているんだろう? だから、僕が、王の騎士が勝つように手を貸してあげようかと言ってるんだよ」
「え……」
「魔王はどうやら純粋に剣だけで勝とうとしているみたいだね。残念だけど、魔王は本気で強いよ。あいつ、かなり器用だし長く生きてるから、魔法も剣も一流なんだ。あの坊ちゃんが勝とうっていうのは、はっきり言って良ければ無理だと思うね」
ユーリさんは考えるようにそう言ってから、また私に微笑んだ。
「だから、僕が手を貸してあげようか」
目を細めて何時になく優しく微笑むユーリさん……ユルナさんが、怖い。
「僕、これでもかなりエルちゃんのことを気に入ってるんだよ。だから、君になら力を貸してあげてもいい。そうすれば、あの王の騎士も死なないで済むんじゃないかな?」
ユルナさんがぐいっと顔を近づけて、耳元で「さ、どうする?」と囁いた。
……どうしよう……どうしよう。
たしかに、ユルナさんが手を貸してくれたら、ディーター様は勝てるんじゃないだろうか。もし負けたとしても、死なないで済むだろう。
でも……でも。
「だめです。ディーター様はそんなの喜ばないと思うので、だめです」
俯いて小さくそう返すと、ユルナさんは「ちぇ、魔王の鼻も明かしてやれるチャンスなのにな」とつまらなそうな声で呟いた。
「残念。エルちゃんなら乗ってくれると思ったんだけどな。まあいいや、気が変わったら声を掛けてよ。いつでも手を貸してあげる」
またくすくす笑いながら、ユルナさんは「じゃ、おやすみ」と部屋を出て行った。