妖精の事情
合いの子。
取り換え子。
忌子。
呪われた子。
気持ち悪い子
それが、私を示す言葉だった。
生まれてすぐ母さまと塔に入れられて、日も差さず湿った空気の中で暮らしていた。食べ物や着るものや、ほかに必要なものがあれば差し入れられるけど、誰も私と目を合わせたり、話をしたりすることはなかった。
物心ついたころ、外に出たいと言って、よく母さまを困らせたと思う。
そのうち、母さまが病で亡くなると、私は塔にひとりきりになった。
幼いころ母さまが話してくれた物語を真似して、私も髪を長く伸ばして窓から垂らせば、王子様が私を見つけてここから助け出してくれるのではないかとも思ったけれど、ある日髪を垂らしているところを見つかって切られてしまった。
だから、私に王子様なんていなかったんだと諦めた。
ただ、母さまが遺してくれた、銀の透かしに赤い石のついた指輪……私の曾祖母の曾祖母の曾祖母の妖精が、魔王にもらった願いをかなえる指輪を毎日見つめて、ここから出してくださいとお願いをしていた。……本当は、魔王のところまで行かないとお願いは聞いてもらえないと知っていたけど、毎日念じていれば、もしかしたら魔王に通じてここから出してもらえるかもしれないと思ったから。
それ以外、何もすることがなかったから、毎日毎日小さな窓から空を眺めて、空の向こうには何があるんだろうって想像していた。辛うじて見える外の景色を眺めて、あそこには何があるんだろうと考えていた。
でも、私は呪われた子だから、絶対にここを出ることはできない。
ある日窓から外を眺めていると、誰かが下にいて、私に話しかけてきた。
窓にしがみついていたから、私の姿が見えてしまったのだろう。
「お前は誰だ? なぜそこにいる?」
私は応えられなかった。恐ろしかった。前に髪を垂らしているのを見つけられたときは、髪を切られてしまった。今度は窓を塞がれてしまうのだろうか。それとも、外を見られないように目を潰されてしまうのだろうか。
だって、私は呪われた子だから、外の人に見つかってはいけない。
ましてや、返事を返したら相手も呪われてしまう。
私はその人が行ってしまうまでずっと隠れていた。
それから少し経って、突然人がたくさんやってきた。
今まで一度も開いたことのない扉が開かれて、私は外へ引き出された。何が起こるのかわからなくて怖かった。眩しくて目が痛かった。きっと恐ろしいことが起こるに決まっていると思った。
私は呪われた子だから、とうとう、呪いを消すために消されるんだと思った。
「今まで知らずにいた。すまなかった」
そうしたら、いつか聞いた、その人の声がした。この人はいったい何を言ってるんだろうと思った。
「取り換え子が呪いをもたらすなど、迷信だ。君の母方の血筋には妖精がいる。それがたまたま君に出てきただけだというのに、何年も閉じ込めてないものとして扱ってきた。
ほんとうにすまない」
その人はお城の騎士で、お家の当主で、私の王子様だった。
もちろん、今までみたいな偏見が消えたわけでもなく、私は相変わらず陰で忌子だと言われ続けたし、話をしてくれる人もいなかった。けれど、少なくとも、表立って私に何か言う人はいなかった。
私はいつか王子様の役に立ちたいと思っていた。
けれど、ただ塔に閉じ込められていただけで何もしていなかったし、出てからも何も教えてもらえなかったので、何もできることはなかった。
忌子のほかに、役立たずというのも、私を表す言葉になった。
そしてさらにある日、家にお姫様が来た。
とてもきれいで、ああ、これがほんとうのお姫様なんだと納得した。私が塔から助けてもらえなかったのは、お姫様じゃなかったからなんだなと納得した。
私もお姫様に紹介された。私は、王子様の「異母妹」だった、らしい。
お姫様は、私を見て「まあ、かわいらしい」と言って微笑んでくれたけれど、私は恥ずかしくてまともに顔が見られなかった。
お姫様はたびたび「お忍び」でやってきては、私に珍しいお菓子を振るまい、いろいろな話をしてくれた。ほんとうにきれいで優しくて、でも、私はお姫様の前では一言も口を利くことができなかった。
……迷信だと言われても、私が何か話してお姫様が呪われてしまったらと思ったら、とても怖かった。
お姫様が来るようになってしばらくたってからまたある日、王子様が魔王討伐に行くのだという話を聞いた。王子様がお姫様と結婚するためには、魔王を討伐しなきゃ認められないのだと。
お姫様も王子様もお似合いで素敵な2人だったのに、なぜそんなことをしないといけないのか、わからなかった。もしかしたら、私の呪いのせいで魔王を討伐しなきゃいけなくなったんじゃないかと思った。
魔王はとても強いから、国一番の騎士である王子様でも勝てるかどうかと皆が言っていた。
……王子様はもっと強いと思うけれど、万が一魔王に負けてしまったらどうしよう。死んでしまったらどうしよう。そう考えたら、居ても立ってもいられず、母さまからもらった指輪を持って魔の森を目指していた。魔の森は恐ろしい場所で魔物がたくさんいると聞いていたけれど、不思議と何かに出会うこともなく、魔王のところへたどりつくことができた。
* * *
「騎士への恩返しとはいったいどういうことなのか」というわたしの質問に対する合いの子の話を聞き、なるほど、そういう育ち方をするとこうも後ろ向きで根暗な子供に育つのかと、非常に納得した。
この卑屈さは一筋縄ではいかぬと思ったが、幼少時からの繰り返しによるものであったというわけか。
「なるほど、つまりお前は、生まれたての雛鳥が初めてみた親鳥を慕うように騎士を慕っていたというわけか。ふむ」
すばらしい刷り込みぶりだな。感心したぞ。
「……お前の生家が非常に狭量で迷信深い、そのうえ無知なものばかりが揃った家なのだということがよくわかったよ。なるほどな。
それにしても、よくもまあ妖精の報復を受けずに済んだものだ。人間ばかりの町中であったことが幸いして、たまたま妖精たちが気づかなかっただけであろうな。妖精は血族に対する愛情が非常に深い。血族に連なるものを虐げれば必ず手酷い妖精の報復がなされるのだ。知っていれば、妖精の血筋のものを虐げるなど、恐ろしくてできなかったはずだよ」
わたしは肩を竦めて続ける。
「もう一つ。お前は何も教えてもらえなかったと言ったが、それは何の教育も受けていないということか? 文字の読み書きも? そういえばお前の言葉は歳のわりにずいぶん幼いと思ったが」
合いの子はふるふると首を振る。
……なんということだ。心底呆れたぞ。どうりで、あの突拍子もない“お願い”をおかしいとも思わず、寿命の半分についてろくに考えもせんまま即答できるわけだ。
「つまり、あの騎士カーライルは、塔から出したあとのお前のことを人任せにしたままだったということか。ずいぶんと浅慮なことだ。それまで家の者たちがお前にどんな対応をしていたか知らなかったわけでもあるまい。見かけによらず、能天気な人間なのだな」
「でも、マナーとかは少し教えてもらったし……」
「わたしが見たところ、ほぼ知らぬも同然だな。
……お前に足りぬのは自信であると思ってはいたが、そこまで無知であれば、自信を持てといっても無理な話であったか。
お前、歳はいくつになる?」
「ええと、たぶん、13くらい?」
ふむ、そのくらいであれば、まだまだどうとでもなるな。
「おもしろい。ならば、エルよ、わたしがお前を教育してやろう。まずは3年で基礎を学ばねばならぬ。少々出遅れてはいるが、まだまだ取り返せる年齢であろう。
あと、そうだな、魔法も学んでもらおうか」
合いの子は青い顔をして目を見開いている。
「これから100年、お前にいろいろと役立ってもらおうと考えているのに、何も知らぬできぬというのではわたしが困るのだ。
……そもそも、妖精は優秀な魔法使いとしての素養を持っているのだぞ。その血を引くお前に、魔法の素養がないはずがなかろう。
わたしがじっくりと手取り足取り、お前に魔法を手解きしてやる」
「む、無理です」
「無理なわけがあるか。
お前はこれまであまりに悪いことを言われすぎて前を向けなくなったのであろうが、これからはそうやって逃げてはおれぬよ。
……そうだな。やはり、ただだらだらとやるだけではつまらぬ。目標が必要であろう。
何がよいか……自信をつけるにあたり、お前が魔法で名を挙げることが一番手っ取り早いと思うのだが、どのような方法をとれば良いかな……」
ううむ、やはりわたしが知っている時代とは勝手が違っているだろうな。少し調べねばわからぬ。
「いずれにせよ、きっちり学ぶのであれば、新たな拠点として腰を落ちつけられるような場所が必要か。……人間の住む町中がよかろう。ならば、準備と元手が必要となるか。
よし、森を出たら少し寄り道をするとしよう。まだ荒らされてなければよいが」
森を離れて先、どうしたものかと考えてはいたが、おもしろくなってきたぞ。
「おお、そうだそうだ。お前にもう一度これをやろう」
わたしは合いの子が持ってきた指輪を出し、その指にはめてやった。
「この先もし何かがあったら、この指輪に向かってわたしの名を囁くといい。お前がどこにいても、必ずわたしが迎えにいってやろう」
何しろ100年付き合ってもらわねばならぬのだからな、と魔王は笑った。