騎士の挑戦/前篇
子鹿のように怯えているかと思えば、 不意に意思の強さを見せたりと、かの姫君は会えば会うほど私の知らなかった彼女の一面を明らかにし、私を惹きつける。
「“ギャップ萌え”と言うのですわよ、お兄様。普段の印象と、それとはまた違う振る舞いとの差異をたまらなく素晴らしいと感じる心を、ギャップ萌えと呼ぶのですって」
アウレーリアが、おそらく侍女から教えられたと思われる言葉を使い、私にエリアンナ姫の素晴らしさを語る。
「またそのような言葉を覚えて、ユリアに知れたら叱られるぞ」
「まあ、でも、エルにこれ程ぴったりくる言葉はほかにないとは思いませんこと、お兄様?」
アウレーリアはうっとりとした表情で、彼女のことを、あの日の地下室での出来事を思い起こす。
「あの地下室で、わたくし本当に恐ろしくて、泣いて震えることしかできませんでしたの。エルも最初はとても頼りなげに見えて、わたくしたちふたりとも、あの悪党にこのままなす術もなく攫われて、二度とここに戻れないのだと覚悟しましたわ。
けれど、エルは勇敢にも“一緒にここを出よう”とわたくしの手を取って、あの暗くて恐ろしい場所から連れ出してくれたのです。出口を目指す間も、怯え震えるわたくしを励まし、導いてくれたのですわ。
恐ろしい魔法に囚われた時でさえ、エルはわたくしを庇い矢面に立ってくださいました。
エルは、真実、わたくしの騎士ですのよ」
ほう、という溜息の後、「ですから」と言ってリアは私をキッと睨みつける。
「お兄様、もし単に“どストライク”だからなどと半端な気持ちでエルにちょっかいを掛けようというのでしたら、わたくし、絶対にお兄様を許しません」
妹の口から不意に出た強い言葉に、苦笑してしまう。
「そんなことはしないよ、リア。エリアンナ姫は可憐で美しく、しかも芯の強い素晴らしい姫君だ。半端に彼女に近づくなど、天が許さないだろう」
「なら、良いのですけど」
そして当日、ごとごとと馬車に揺られ、ようやく目的地へと到着した。
盛夏のエシュヴァイラーの別荘は少々自慢しても構わないだろうと思えるくらいに素晴らしい景観をたたえている。今日までに、姫君を迎えるべく入念な準備もされているはずだ。姫君は気に入ってくれるだろうか。
「姫君、足元に気をつけて。よろしければ、お手をこちらへ」
「あ、あの、ありがとうございます」
おずおずと差し出される手を取り、別荘の正面玄関へと誘う。彼女は高貴な血筋であることに奢らず、常に謙虚な姿勢を崩さない。
後ろには彼女の世話役であるという黒い妖精が続く。正直、彼のことは少々苦手だ。穏やかに見えて底の知れない微笑みと隙のない物腰が、彼はおそらくかなりの歳を経た妖精なのだろうと思わせる。
時折、姫君が彼を伺うように見ることも気になり、もしかして姫君と彼は公称している“姫君と世話役”だけに収まらない関係なのではと、私の胸を騒つかせる。
──いつか姫君は私に彼女の秘密を打ち明けてくださるのだろうか。私は姫君のお眼鏡に叶うことができるだろうか。
「長い時間馬車に揺られてお疲れでしょう。部屋の支度はできておりますから、ゆっくりとお休みください」
「ありがとうございます。……あの、私、王都からお出かけしたの初めてで、こんな素敵なところがあるなんて知りませんでした。ご招待ありがとうございます」
この湖畔のようすに目を輝かせる彼女からこぼれ出る笑顔を見て、招待してよかったという喜びをひしひしと感じる。
「お気に召したようなら幸いです。周囲の案内は、明日にでもゆっくりいたしましょう」
「あの、ぜひお願いします。とても楽しみです」
あくまでも控えめに、けれど何時にない熱心なようすに胸が熱くなる。
「どこか行きたいところなどございましたら、遠慮なさらずに仰ってくださいね」
「はい!」
翌朝、まだ夜も明けきらぬ頃に起き出した。
近衛騎士たるもの、たとえ休暇中であっても鍛錬を疎かにして腕を落とすようなことがあってはならないのだ。昼間は姫君をご案内する以上、鍛錬はその他の時間に行うことになる。夜明けの空の美しさは格別だ。私は好んで深夜よりも早朝に鍛錬を行うようにしていた。
片手に剣を下げ、庭へと続くテラスの窓を開けると、冷んやりとした空気が室内へと流れ込む。朝の空気を味わうように深呼吸をひとつしてから外へと踏み出すと……人の気配がした。
「誰だ」
まだ暗い闇の中を透かすように見咎めると、思ったよりも小柄な人影がびくりと立ち止まり、こちらを振り向いた。
「あ、あの……ごめんなさい」
「……姫君?」
人影はなんと姫君だった。まるで少年のような動きやすい男装で、髪をざっくりとひとつにまとめている。
「いったいどうなさったのですか? その格好はいったい?」
「あの……あの……魔法使いは、体力が必要だから、その、毎日走らないと、体力が落ちちゃって、魔法使い様に、怒られちゃうんです」
驚く私に、姫君は真っ赤になった顔で落ち着きなく説明をする。
「あの、お姫様らしくなくて、すみません」
「いえ……驚きましたが、姫君、そうは言ってもまだこんなに暗いのに、ひとりで走るおつもりだったのでしょうか。このあたりは別荘地とはいっても森の中でもあります。獣などに襲われては危険ですよ」
「あの……お屋敷の周りだけのつもりだから、大丈夫かなって。走るのさぼると、体力が落ちちゃうし」
「……わかりました、姫君。私もお供いたしましょう」
「え、でも、ディートリヒ様も、何かするつもりだったのに」
「はい、私も鍛錬をするつもりで外に出ましたから。走るのも鍛錬のうちです。お付き合いしますよ」
ようやくほっとしたような顔になった姫君が出した魔法の灯りを頼りに、彼女に並び、彼女のペースに合わせて走り始めた。意外にも姫君はなかなかの健脚で、かなりハイペースで長時間走っても大丈夫なほどの体力の持ち主でもあった。
「姫君、毎日走る必要があるのでしたら、私にお声掛けください。お供しますから」
「え……いいんですか?」
「はい、喜んで。私自身の鍛錬にもなりますし」
「ありがとうございます。それじゃ、お願いします」
それから、昼間はリアやユリアを交えて別荘の周辺を案内したり湖にボートを浮かべたりという貴族らしい遊びを行い、早朝は姫君が魔法の訓練を行う横で私が騎士としての鍛錬を行うということが、別荘での日課となった。
ぽつりぽつりと話もするようになり、聞けば姫君は寝る前にも魔法の教えを受け、訓練を行っているのだという。意外どころか、努めて生真面目に訓練を行うようすに感心していたのだが、これほどまでとは。
そして、姫君の魔法の師がカルシャ殿であると聞き、なるほど、師弟関係でもあったのかと、姫君の彼に対する態度にも幾分か腑に落ちるところがあった。多少なりとも安心したことは確かだ。
そうやって、毎日、だんだんと私という存在に慣れてきたのか、最初は人見知り気味に言葉少なかった姫君は、いろいろなことを話すようになっていった。普段、茶会などであまり話をしないのは、どうやら妹たちの話す勢いに押されてのことだったらしい。
以前にも増しておしゃべりの多くなった姫君との早朝の時間は、私にとってかけがえのないものとなっていった。