サイパン島撤退
11月5日午前11時
「サイパン島から撤退する!?」
第1艦隊旗艦「利根」の艦橋に小沢の頓狂な声が響いた。
「そうです。これまでの敵の動きから推測するに、敵はサイパンよりもテニアンに防御の重点を置いているように思われます。ここはサイパンを放棄し、テニアンに全兵力を集中することが戦局の転換につながるのではないか、と考えます」
上陸部隊指揮官本間雅晴中将がそう返した。彼は開戦初頭のバターン攻略において不手際があったとして予備役に編入されていた身であったが、本作戦の実行にあったって一戦へと呼び戻されている。
彼以外には名将といえる人材がいないというのが大きな理由であった。同じく開戦初頭を戦った山下奉文大将はフィリピンで抵抗中であり、今村均大将はラバウル防衛の任に就いていた。
「確かに米艦隊もテニアン周辺から離れようとしないところを見ると筋は通っているように見えるが……」
小沢は未だに納得できていない。これまでの米軍の忌まわしい本土空襲は主にサイパンから行われてきたのだ。サイパンこそ米軍の中枢、という考えにとらわれていた。
「サイパンの飛行場の大半は既に我が軍の勢力下にあります。今すぐに飛行場の破壊を命じれば、サイパンの飛行場は数日間使用不能になるでしょう。建設用重機の破壊も行えば更に数週間、これで本作戦の目標はサイパン島に於いては達成できたとみなせます。その間にテニアンを叩きます」
小沢はついに覚悟を決めた。
「よし、だが敵に気付かれないという保障は無いぞ。撤退に気付けば必ず敵は逆襲を仕掛けてくる。そうすれば我が軍は大混乱に陥る」
「敵に意図を悟られぬよう、主力の撤退と爆薬の設置は夜間に行い、撤退完了直前に爆破と工兵の撤退を行います。ですがもし見つかった場合は……」
と本間は小沢に視線を向けた。頼みますよ、とその眼が言っていた。
サイパン島に上陸中の全部隊が撤退に向けた行動を開始した。最初に重砲隊や補給部隊といった移動に時間の掛かる部隊が輸送船に乗船した。続いて歩兵部隊が撤退を開始する。
その間にも工兵が飛行場と重機に爆薬を仕掛け破壊の準備を行い、戦車隊と一部の歩兵がその援護に就いた。
途中までは順調に進んだが、日が昇り始めた時間、とうとう撤退を悟られた。
「滑走路東端に敵歩兵部隊多数!戦車隊の応援を求む!敵兵力は歩兵1個中隊程、支援火砲は見られず」
応援要請を受け福田は即座に行動を開始した。
「小隊全車は滑走路東端に急行、敵歩兵部隊を駆逐せよ」
3式中戦車の統制型一〇〇式ディーゼルエンジンがエンジン音を響かせる。エンジン出力に対して車体が重く、速度が出ないのが3式中戦車の欠点であったが、平地である滑走路における運用に支障が出るほどではなかった。
滑走路東端まで100m程の距離に近づいたとき、銃弾が戦車の装甲を激しく叩いた。
「前方、茂みに敵歩兵多数。無反動砲(通称バズーカ)に注意しろ。」
銃弾の飛来方向と発砲炎から敵の位置を特定すると福田は指示を飛ばした。
「榴弾装填、ちょい左、よし、撃ーッ」
大量の土が巻き上げられ、銃撃が沈黙する。
「排除した。次、3時方向敵歩兵及び小型車両、榴弾装填」
「照準よし!」
「装填よし!」
「撃……」
福田が発射を命じようとした瞬間、福田車を衝撃が襲った。とうとう恐れていたものが来た、と反射的に思った福田は若干狼狽気味の声で叫んだ。
「被害報告!」
「異常ありません!ロケット弾が車体を掠めた模様!」
福田車に向けて放たれたM6ロケット弾は車体後部の泥除けを貫通して後方の地面に突き刺さっていた。
ロケット弾は小型車両の付近から発射されていた。
「全車、目標を小型車両に変更、急ぎ撃て!」
砲弾が殺到し、車両もろとも歩兵を粉砕する。ガソリンが漏れ出したのか、辺りは炎に包まれた。
その時無線が工兵部隊からの通信を受信した。
「爆薬の設置を完了。30分後そちらの周辺に艦砲射撃を行う、急ぎ撤退を開始せよ」
了解、とだけ吹き込むと福田は小隊に命じた。
「全車、砲撃を行いつつ撤退しろ、急げ!」
30分後、第2艦隊各艦から放たれた巨弾が再びサイパンの大地を叩いた。攻撃の意思を燃やしていた米軍部隊はその瞬間、逃げ回る側へと転落した。
同時に工兵隊による破壊が開始された。飛行場各所から殷々と爆発音が響き、飛行場周辺はまさに焦土とされつつあった。
11月6日午前6時、サイパン島からの撤退が完了した。
即座に日本軍各隊はテニアンへと移動を開始したが米軍もまた、その動きに呼応してサイパン島各部隊をテニアンへと振り向けようとした。結果として日米両軍がサイパンからテニアンへと移動する形となり、不幸にも海上で遭遇した両軍の上陸用舟艇や輸送船の船上では、15世紀さながらの接舷による白兵戦が行われることもあった。
ともかくも、主戦場はテニアンへ移ろうとしている。




