増援
「おかしい」
伊藤の口からそんな呟きが漏れた。
「敵艦隊はなぜ出てこないのだ」
いくら夜間の奇襲という形を取ったとはいえ、敵の一大拠点を至近距離から砲撃したのだ。敵空母や戦艦の数隻、出てきてもおかしくは無い。いや、出てこないほうが不自然なのである。
既に、東の空は白み始めている。
「観測機からは何も言ってきておらんのか」
艦長として有賀は尋ねた。
「はっ、今のところは何の報告もありません」
確かにおかしい、そう思って有賀はテニアン島方面に目をやった。「伊勢」「榛名」はどうしているだろうか、そろそろ作戦を完了して戻ってきてもいい頃だが……
と、有賀の目が稲光のような閃光を捉えた。
咄嗟に見張り員に尋ねる。
「おい、今閃光が見えなかったか」
「はっ、確かにテニアン方面に閃光を確認しました」
そしてまた、光る。
直後に通信兵が電文を持って駆け込んできた。
「『伊勢』及び『榛名』から緊急電!我、敵戦艦部隊ニ遭遇、現在交戦中。敵艦隊ノ兵力ハ戦艦7、大巡6、ソノ他多数。至急、増援ヲ求ム」
直後に観測機からも同様の報告が入った。
ここには若干の日米の認識の違いがある。
日本軍の接近を感知した米軍は早急に戦艦部隊を派遣した。B29による夜間の航空攻撃は不利との判断によるものである。
だが米軍が向ったのはサイパンではなくテニアンであった。米軍からすればテニアンこそ最優先に防衛すべき軍事秘密の塊であったのだ。しかし日本軍はそんなこととは知らずにサイパンこそが米軍の中心拠点であると判断し、サイパンに主力を振り向けていたのである。
「伊勢」「榛名」の両艦からすればとんだ災難であった。その上日本軍としては戦力の分散となり、各個撃破の機会を米軍に与えてしまったのだ。これらの報を受け、第2艦隊は即座に第1艦隊に支援を要請した。
「全艦最大戦速!至急テニアンに向え!」
「大和」「長門」が回頭し、鹵獲艦、僚艦が続く。
主力が増援に向っている間「伊勢」「榛名」も全力で主力部隊との合流を目指していた。
「目標『ミズーリ』主砲、撃ち方用意!」
艦橋に「伊勢」艦長、牟田口格郎大佐の声が響く。「伊勢」「榛名」はテニアン島を右舷、敵艦隊を左舷後方に見る形で北方へと退避している。
「撃ーッ!」
「伊勢」の36cm主砲4基8門が一斉に火を噴く。続いて榛名の主砲(同様に36cm4基8門)が火を噴いた。激震が「伊勢」の古びた艦体を震わせる。
牟田口は双眼鏡を覗き込んだ。直後、米戦艦の正面に爆炎が湧き出した。
「命中!」
砲術長が報告する。
「よくやった!続けて撃て」
牟田口が上機嫌に命じたとき。「ミズーリ」が爆煙を抜けた。
「なっ!?」
牟田口ら艦橋に居た者は言葉を失った。
「ミズーリ」は、無傷だった。命中箇所と思われる主砲防盾こそ煤け、塗装が剥がれてはいるものの無傷だった。40cm砲に対応する「ミズーリ」の正面装甲は、「伊勢」「榛名」の36cm砲を易々と弾いたのだ。
そして「ミズーリ」の主砲が「伊勢」を照準に収める。
「面舵いっぱい、急げ!」
牟田口が叫ぶように命じる。直後、主砲発射とは異なる激震が「伊勢」を襲った。
「被害報告!」
「機関室に被弾、機関出力低下!」
続いて新たな敵弾が命中する。夜が明けきらない状況では電探射撃が可能な米軍側が圧倒的に有利だった。
今度は喫水線付近を貫通したらしく、艦が左に傾斜するのが感じられた。
「右舷注水区画に注水!」
その間にも「伊勢」への砲撃は続き、続いて飛行甲板に被弾した。飛行甲板に待機していた彗星艦爆が空中に吹き飛ばされた。
「伊勢」の惨状は目も当てられないものだったが、「榛名」は全くと言っていいほど攻撃対象から外れていた。「榛名」が米艦隊から見て「伊勢」の陰に入っていたことに加え、最初の被弾によって発生した火災が「伊勢」を目標として目立たせていたためである。
そしてまた、「伊勢」に敵弾が命中する。
「右舷注排水ポンプ破損、注水できません!」
悲鳴のような報告が入る。
ここで牟田口は重大な決断を下さなければならなかった。このまま低速航行しか出来ない「伊勢」と共に行動すれば「榛名」までも失う可能性がある。敵戦艦は今のところ7隻。ここで「榛名」までをも失うことになれば日本側は僅か2隻の戦艦で立ち向かわなければならなくなるのだ。それだけは避けなければならない事態だった。そしてここで沈めば、多くの乗員が死ぬ。彼らはこれからの日本に必要不可欠な若者たちであった。
そして導き出した結論を、牟田口は苦しげに航海長に告げた。
「面舵いっぱい。艦をテニアン島周辺に、座礁させろ」
航海長も覚悟はしていたのだろう。静かな口調で、だが力強く伝声管に告げた。
「面舵いっぱい。艦をテニアン島に向けろ」
「伊勢」は炎を背負ったまま大きく右へと舵を切った。
「『榛名』に信号、貴艦ハ『大和』『長門』ニ合流サレタシ。武運ヲ祈ル」
「榛名」から了、と信号が送られた。
少し進んだあたりで、艦底に衝撃を感じ、艦の行き足が止まった。
「手空き総員上甲板!島からの攻撃に備えろ!」
機関室、操舵室といった、航行関係の部署や、陸戦隊、炊事班など、元来手空きの部署の要員が小銃や拳銃、軍刀や短剣などを持って上甲板に駆け上がる。彼らは島側を向いている機銃座や高角砲座に身を隠し、敵陸上部隊の接近に備えた。
その間にも「伊勢」の主砲は射撃を続ける。そのうち一発が「ウィスコンシン」の艦橋基部を直撃した。「ウィスコンシン」の艦体が大きく傾ぐ。「伊勢」に継戦意思があると見た米艦隊は再び「伊勢」に砲撃を加えた。
再び「伊勢」の艦体を激震が襲う。
「まだまだ!」
牟田口の口から怒鳴り声とも絶叫ともつかない咆哮がほとばしった。その声に呼応するように「伊勢」の主砲が火を噴く。
陸に乗り上げた「伊勢」は機動力を失う代わりに、大きな強みを手に入れていた。沈まない、ということである。海に浮かぶものは沈めばそれまでだが、今の「伊勢」の砲撃を止めるには主砲を完全に破壊しなければならない。航行中の米艦隊からすればこれほど厄介なことも無かった。
しかし日本側の主力でも、機動力を失った艦があった。
「機関故障、出力低下!」
機関長の声に有賀は耳を疑った。
「どうした!?」
「応急修理の箇所が破断しました。速度の出し過ぎに無理があったようです」
「こんな時に……」
有賀は頭を抱えた。「大和」は房総沖海戦の際に破損した機関を応急修理した上で前線復帰したのだが、長距離の航海と最大戦速には耐えられず、蒸気が噴出したのだ。
「どのくらいで直せる?」
「2時間あれば20ノットは出して見せます」
「1時間でやってくれ」
「はっ、1時間でやります」
機関長の復唱を聞いてから有賀は伊藤に尋ねた。
「『長門』を向かわせますか?」
だが伊藤は首を縦には振らなかった。
「敵に各個撃破の機会を与えるだけだろう。それよりも『大和』『長門』の砲で遠距離から攻撃できないのか」
「できないことはありませんが命中は難しいかと思われます」
「構わん、やれ」
「はっ、観測機を出せ!」
「大和」から観測機が射出される。
だが観測機は驚くべき状況を報告してきた。「伊勢」は座礁し、「榛名」のみが撤退中であるというのだ。
事態は伊藤らが思っていたよりも悪化していた。
「長官、やはり『長門』だけでも向かわせたほうが」
「致し方ないか……」
伊藤が命令を下さんとしたその時、
「後方より不明機多数接近……友軍機です!友軍の攻撃隊です!」
見張り員の歓喜した声が響いた。
直後、力強い爆音を轟かせ、烈風、紫電改を先頭に流星、天山、彗星からなる攻撃隊が、第2艦隊の頭上を通過した。続いて97艦攻、99艦爆からなる攻撃隊が、サイパン島に向かった。
テニアン島方面から爆発音が聞こえてくるまで、そう時間はかからなかった。
沖合には第1艦隊と輸送船団の姿が点々と見え始めていた。




