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帝国陸海軍、最終決戦開始ス  作者: かめ
房総沖海戦
3/39

菊水作戦

今回は説明中心となります。

 なぜ日本軍は反抗作戦を企図したのか。それには複数の要因がある。

 ひとつは空母「信濃」の呉への回航成功と、艤装完了である。「信濃」は横須賀から呉への回航中、米潜水艦と見られる艦船の追跡を受けたが、護衛の駆逐艦「雪風」が浮上中の潜水艦を目視し接近、「信濃」艦長の阿部俊雄大佐は自艦の位置が露呈することを懸念し発砲許可を出さなかったが、「雪風」は距離3000mから独断で砲撃を開始し、戦果は不明ながらも潜水艦の駆逐に成功した。その後「信濃」は呉で高角砲等の艤装を完了し、竣工した。これにより海軍は世界最高水準の空母を手に入れたことになった。

 さらに直接的な要因として、昭和天皇のある発言が挙げられる。1945年4月1日、米軍は沖縄への上陸を開始した。陸海軍は全航空機を使用した特攻作戦「菊水作戦」を計画した。その旨を及川古志郎軍令部総長が上奏した際、陛下が

「飛行機だけか?海軍にはもう船はないのか?沖縄は救えないのか?」

との質問をされたため、持ち得る全ての海上兵力を動員した総攻撃を計画、しかし重油の調達が間に合わないうちに沖縄は米軍の手に落ちることとなってしまった。

 しかし海軍はなおも総攻撃の計画を進め、本土決戦の事前攻撃として「菊水作戦」を完成させた。米軍の呉軍港空襲が本格化する前に主力艦艇を能登半島沖に移送、修理が必要な艦艇は呉での応急修理の後に移送し、作戦開始までの間、修理と保全に努めた。

 その成果として空母「鳳翔」「信濃」「葛城」「隼鷹」「天城」「龍鳳」、戦艦「大和」「長門」「伊勢」「日向」「榛名」、その他多数の支援艦艇を作戦行動可能な状態にすることに成功した。

 そして7月には、巡洋艦、潜水艦、輸送船等を用いた大規模な原油輸送作戦「第二次北号作戦」を展開し、軽巡洋艦「大淀」沈没、その他輸送船3隻沈没という損害を出しながらも、艦隊の作戦行動に必要な燃料―1回限りの物ではあるが―の確保に成功した。成果に対して見れば小さな損害であった。

 この作戦においては、既に実質的な解体状態にあった連合艦隊を再編し、連合艦隊司令長官小沢冶三郎率中将率いる「鳳翔」を除く空母を第1艦隊、伊藤整一中将率いる戦艦艦隊を第2艦隊、「鳳翔」及び軽巡「酒匂」を主力とする第3艦隊―大須賀秀一大佐が代将を務める―、古村啓蔵少将率いる巡洋艦、駆逐艦主力の第4艦隊とし、第4艦隊は第4戦隊並びに第5戦隊に分割され、それぞれが第1、第2艦隊の指揮下に入る。

 これらの艦隊を総動員して米艦隊に総攻撃をかけるのが「菊水作戦」の基本構想であった。あえて第4艦隊を設けたのは、作戦終了後の残敵―主に潜水艦や駆逐艦、敗残艦艇―掃討のために巡洋艦、駆逐艦を用いることを決定していたからである。


 余談だが、8月6日に広島、9日に長崎上空で鹿屋の343空の所属機がB29を撃墜している。

若干無理やりな感じになってしまいましたが、架空戦記ということで大目に見て下さると幸いです。

次回から物語に戻ります。

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