決号作戦
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豊田軍令部長が提案したマリアナ諸島攻略作戦は、関係各所で検討された後、「決号作戦」として計画された。
作戦の大筋としては、初動として空母艦載機による攻撃を行い、多数存在すると思われる敵艦艇を撃破、突破口を切り開く。その後、陸海軍の爆撃機、陸上攻撃機による航空攻撃と戦艦、巡洋艦による水上攻撃によって飛行場を叩くものとされた。
なお、同時に硫黄島の米軍航空隊に対しては、帰還した伊四〇〇をはじめとする潜水艦隊の航空隊、日本本土からの航空機の夜間爆撃によって作戦期間中の行動を制限する。
参加する兵力は過去最大とも言えるものであり、戦艦は「菊水作戦」と同じく5隻、空母は同じく6隻に追加して、鹵獲した15隻のうち比較的損傷が軽微だった10隻を「鹵一号艦」から「鹵一〇号艦」までの仮の艦名を付けて動員、残る5隻も応急修理の上で支援艦艇として動員する。さらに航空機も艦上機の他に、戦闘機約500機、陸攻約350機、重爆約400機、中爆約200機、軽爆約600機と、日本の持ち得るほぼ全ての機体が動員された。陸攻及び重爆には新たに製造された新鋭機も含まれている。軽爆、中爆、陸上戦闘機は航続距離の不足からマリアナ攻略には参加せず、硫黄島への爆撃に参加することになる。
さらに1500両の戦車と多数の歩兵、砲兵、工兵部隊も洋上で待機し、上陸に備える。
日本軍始まって以来の大作戦であった。そしてこれが、日本軍の持ち得るほぼ全ての兵力であった。
対する米軍は、投下に失敗した2発の原爆に続いて、テニアンに運び込まれた第3の原爆―8月20日前後に投下する予定であったが、立て続けに原爆搭載機が撃墜されたため機密漏洩が疑われ、投下が延期されていた―を警護するべく、房総沖海戦を生き残った艦を含む戦艦22隻、24隻の正規空母―英軍の物を含む―、70隻近い護衛空母に加えて、新造のミッドウェイ級空母2隻を投入。万全の体制を整えていた。
だが日本軍は、そのことを知らない。
決号作戦の決行は、1945年11月1日とされた。




