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霧森孝司×鈴  『おれにちょうだい』

 あくびをしながらレッスン室を出た霧森孝司は、右方向から現れた段ボールと紙袋の山を避けることができなかった。


「ってぇ」

「ああ! ご、ごめんなさい、霧森さん」


 右半身に軽い衝撃を受け、孝司が顔をしかめると、彼よりも動転した様子の鈴が駆け寄ってきた。衝突した紙袋と段ボールが廊下に散らばったまま、誰にも拾われていないところを見ると、それの持ち主は彼女らしい。孝司は額に手を当てため息をついた。


「お怪我は? 大丈夫ですか、あの、頭が痛いとか……?」

「あー、ねーよ、ヘーキ」

「本当にすみません」


 鈴は恐縮しきりふかぶかと何度も頭を下げた。孝司は言葉少なく平気だというばかりだ。彼女にとっては不幸中の幸いであったが、孝司にぶつかったのは事実であるためにどれだけ謝っても足りないと思っていた。出入りのある部屋の前で前方不注意だった自分が全面的に悪いからだ。


「これお前の?」


 どれだけ言っても謝るのをやめない鈴に、孝司は面倒くさくなって、散らばる荷物に目を向けた。自分のトートバッグを肩に掛け直し、段ボールを2つ拾い上げた。中身が分からないため慎重に取り扱ったが、それほど重い荷物でもない。ただし嵩があって、積み上げて持つと視界が遮られてしまうのだった。

 よくも一人で一度に運ぼうと思ったものだ、と孝司は思った。台車を使うとか、応援を呼ぶとか、回数を分けるとか、方法はいくらでもあるものだ。彼女はすこし視野が狭くて自分一人で解決しようとするくせがあるのかもしれない。


「すみません。ありがとうございます。持ちますっ」

「いや、これ拾えって」

「は! あ、そうですね」

「どこ持ってくの?」

「えーっと、下に車留めてるので、そこまでです」

「わかった」

「え?」


 孝司に言われ、鈴が廊下に散らばっている紙袋を集めている隙に、彼は段ボールを抱えたままさっさと歩きだしてしまう。制止させる間も与えてはくれない。拾い終わった頃には、彼はすでにエレベーター前で振り返ってこちらを見ていた。


「何してんの、来なよ」

「あああ、すみません。ありがとうございます」


 鈴は申し訳なさに小さくなりながら、小走りで孝司の横に並んだ。エレベーターの階数表示をみると、二人のいる六階のすぐ下、五階が点灯していた。両手のふさがっている孝司はボタンを押せなかったのだろう。

 鈴が下行きのボタンを押すとすぐにエレベーターが到着し扉が開いた。先に乗り込み、開のボタンを押しながら、駐車場のあるB1階を選ぶ。


「霧森さんも地下一階でいいですか?」

「ああ」


 やや斜め後ろに立った孝司を振り返り了承を得たと知ると、鈴はエレベーターの扉を閉めた。操作パネルから離れ、少々間をあけて同行者の隣に立つ。


「あの……本当にありがとうございます」


 鈴が再び礼を言うと、孝司はうっとうしそうに首をふり、眉を寄せふっと息をついた。返事がないことはままあることだが、ぶつかったうえに手伝わせてしまったし、機嫌を損ねてしまったのだろうと鈴は思う。もしかしたら少し嫌われてしまったかなとも思った。

 ちらりと隣を盗み見ると、彼は無表情でエレベーターの階数パネルを見つめていた。そこに疲労の色はない。それにほっとした鈴は、ふと高い位置にある彼のシャツの襟と肩口が濡れているのに気づいた。


「霧森さん。肩のところ、濡れてますけれど」

「あ? ああ……シャワー浴びたから」

「なるほど。ダンスレッスンですか、お疲れ様です」

「そう」

「大変でした?」

「まぁ、新曲もそうだけど、振りの組み換えとかあって、有りもんのが大変かな。ツアー用にテンポと曲調アレンジ入れてる曲もあるから。カウントが変わってたりするんだ」


 そう言う孝司の横顔は真剣そのものだ。完璧主義たる性格ゆえか、仕事に対する情熱がメンバー内で一番高いのは孝司だった。とりわけライブに関する演出や効果などには強いこだわりを見せ、彼自身が指揮をとってやることも多い。ほかの三人よりも適性が高かったのも、自然と彼が任されるようになった理由のひとつかもしれない。


「すごいですね。わたし、ダンスって授業でやったのと、キャンプファイヤーのときの……えっと」

「フォークダンス」

「それです、その、フォークダンスくらいしか思い出ないですよー。あとは小学校のときの学芸会でよさこい踊ったこととか」

「よさこいってダンスか?」

「踊りだからダンスじゃないんですか?」

「ふは、どうだろうな」


 孝司は堪え切れずに笑った。仕事上で知り合った人間とする会話の内容としては、まぬけな会話だと思ったのだ。


「つーか、ダンスの授業って、お前のときもあったんだ」

「それどういう意味ですかー! 年とってるってことですか!?」

「そんなこと言ってねーだろ。ヒガイモーソーやべぇ。自覚あんじゃねえ、オバサンの」

「オバ!? おねーさんって言ってください!」

「ふははは、わかったわかった」


 途中止まることなく目的の地下一階へ辿りつき、エレベーターが小さく揺れて止まった。開ボタンを押したまま鈴が待つと、まだ笑いが治まらない様子の同行者が肩を震わせながら降りて行った。四歳しか違わない相手に向かってオバサン呼ばわりした上に笑うとは、全く失礼な話である。


「で? どこ。オネーサン」

「……こっちです」


 わざとらしくイントネーションを変えた呼び方に、彼女はぴくりと眉を上げたが、何も言わず手で示しながら先導した。その仕草にも、孝司は喉をくくくと鳴らして笑った。彼は笑いのツボに一度ハマるとなかなか抜け出せないのだった。彼女との会話の内容が、というより、彼女自身がおもしろくてたまらなかった。

 孝司は『オネーサン』を存分にからかいながら、彼女が会社に借りたという小型車に荷物を積み込んだ。後部座席を前方にスライドさせてスペースをつくり、奥行のある段ボール箱を庫内に収める。作業自体は数分で終わり、二人揃って身軽になる。


「ふはー、ありがとうございました」

「これでいーの」

「充分ですよー、ありがとうございます」


 鈴は全身を使うようにして荷室のドアを閉め、隣に立つ孝司を見上げた。彼は機嫌が悪そうだったのが嘘のように、柔らかい表情で鈴を見下ろしている。


「お詫びとお礼をしたいくらいですよ。ぶつかってしまったし、手伝わせてしまったし」

「ふーん」


 孝司はにやりと口の端を上げた。彼女の言葉には裏のない感謝の気持ちが感じられたが、どこまで本気なのかは彼には分からない。


「なにくれんの」

「えっ、そういわれると悩みますね……」

「なにしてくれんの?」


 改めて聞かれると困る質問である。相手の厚意に対する感謝の意を示すには、自分がありがたく思っているだけの同等のものを贈るべきなのだが、うまくほかの価値で表すことは難しい。

 例えば孝司が困っているときに自分が率先して手伝うのであれば、交換条件として成り立つだろう。かといってそううまく自分に助けられる問題があるとも限らないし、ここは等価値のなにか別のものを贈るほうがいいかもしれない。

 だが金銭の絡む物品で表そうとするならば、鈴にとって価値のあるものでも、孝司にとってそれが同じように有用であるかどうかは分からない。そもそも厚意を金銭で表そうとすることすら、孝司への感謝の気持ちが伝わりづらいように思える。


「ちなみに、何がいいですか?」

「しらね。考えてよ、おれの好きそうなもの」

「えええ、そんな」


 孝司に突きはなされ、鈴はさらに難しい顔をして考え込んだ。考えれども考えれどもいい案は思いつきそうにない。

 けれども孝司自身も、彼女に何を贈られたら喜ぶのかよくわからなかった。言葉では表現できない何かもやのようなものが、喉奥で引っかかっているようなすっきりしない気分だ。


「じゃあ、そうだな」

「思いつきました!?」


 ぱっと顔を上げ、瞳を輝かせた彼女に、はっきりしない心の霧がもっと深くなったような気がした。なぜ口走ってしまったのか分からない。ただ内心からなにかに突き動かされるように口が動いている。


「お前のだいじなもの、おれにちょうだい」


 感情の赴くままに呟くと、案の定きょとんと鈴が見かえしてくる。その無防備な口の端に、孝司は触れるだけのキスをした。


「そういうことだから」


 顔を真っ赤にして放心している鈴を置いて、孝司は逃げるようにその場を去った。心臓が狂ったように鼓動している。頭で判断するよりも先に行動に移すなんてまったく自分らしくない。

 ただ心の内は晴れやかだった。彼女ひとりがなぜ特別だったのかよくわかったからだ。

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