宗佐と美有貴と鈴 『分けて食べる』
フロアの半分ほどを使っているとはいえ、テレビ局の食堂はさすがに利用客が多くお昼どきともなると混雑のピークを迎えていて、空いている席はほとんどない。
「鈴ちー! こっちこっち」
食堂用トレーを持ち、辺りを見渡していた鈴は、ふいに声を掛けられてそちらの方を向いた。彼女のことをそう呼ぶ人間は一人しかいない。
「美有貴くん? と、宗佐くんも」
そこには、スポーツ刈りの長身の男と、ボブカットの小柄な少年が四人掛けの席に向かいあって座っていた。『KISSME』のメンバー、秦宗佐と大伴美有貴だ。
鉢合わせするのも当然で、ちょうど彼らと鈴が次の現場に行くまでのインターバルあたるのだった。
美有貴はおいでおいでと手招きをして鈴を呼んだ。
「一緒に食べよう」
「いいんですか。ご一緒しちゃって」
「いいよいいよ。みんなで食べた方がおいしいじゃん。ね、秦っち」
「うん。あなたはここ、座って」
自分が座っている席の隣の椅子を引き、宗佐が誘う。
「いいですよ」
鈴が了承を示すと、宗佐はその手からトレーを取り上げ、自分のトレーの隣に置いた。
「えー、やだやだ、鈴ちーはぼくの隣がいい。ぼくの隣に座って」
「えっ」
美有貴は宗佐がしたのと同じように、自分の隣のイスを後ろにひいてアピールした。促されるまま座ろうとしていた鈴の腕を強く引っ張った。まるでおもちゃをねだる子どものようなわがままだ。
「あの、わたしはどちらでもいいんだけど」
「ぼくはいやなのっ。どっちでもいーならいーじゃん。ぼくの隣で」
「それはそうですね。じゃあ、宗佐くん、わたしあっちに――」
「みー、向かいに座れば鈴の顔が見れるぞ」
美有貴の強い口調に、鈴が頷きそうになったとき、宗佐からすかさず新たな提案がなされた。
「む。むー。そっかー」
鈴の腕を引いていた美有貴の手がするりと抜けた。美有貴がむむむと唸って、腕組みし首をひねった。
宗佐の主張するメリットはたしかに美有貴には魅力的なように見える。美有貴がなにか面白いことを言ったら鈴は笑ってくれるだろうし、その顔が真正面から見れるのはいいことなのだ。近かったら近かったで首が疲れるし、美有貴が見るはずだった鈴の笑顔を宗佐が見ているのもずるいような気がする。
どっちにしろ、鈴は美有貴の隣か宗佐の隣かの二択しかないのだから、どちらかのメリットは必ず我慢しなければならないだろう。
「よーし、わかった。じゃあ鈴ちーは秦っちの隣でいいよ。秦っちに譲ったげる」
「ああ、さんきゅ」
感謝してね! と上から目線で言ってくる美有貴は、宗佐の思うつぼだということは考えなかったらしい。
プライベートも付き合いのある仲だ、宗佐が美有貴の扱い方を心得ているということなのだろう。
「いただきます」
やっとのことで席についた鈴は、スパイシーな匂いにはやる気持ちをおさえ、手と手を合わせた。鈴が選んだのは、ごろごろと大きな具の入った野菜カレーである。
「ん、どーぞ」
「召し上がれー!」
「あはは、ありがとう、二人とも」
二人の芝居がかった応答もあって、さっそくカレーをすくい一口食べる。カレーはスパイスの味がしっかりと感じられたが、野菜の甘みとチキンの油分でずいぶんとマイルドになっているようだ。辛いものが苦手な鈴にはちょうどいい甘さだ。
「鈴ちーおいしそーだね。顔が緩んでるよー」
「は! ほ、本当ですか。間抜けですね、わたし」
「しかめっ面して食べるよりいいよ」
美有貴の言葉に、宗佐は味噌汁を啜りながら頷いた。
二人のトレーにのっているものは、宗佐がヒレカツ定食、美有貴がロコモコ丼だ。それぞれおまけのように、宗佐の前には大盛りのご飯の器が、美有貴の前にはデザートが数点並んでいる。
「お二人は好きな食べ物ってなんですか?」
「肉」
「ぼくはおいしいものならなんでも! 今はご当地B級グルメ巡りにハマってる! 次のコンサートも楽しみだなあ」
「ラム、牛タン、みそカツ、お好み焼き、神戸牛のすき焼き」
「あはは、肉ばっか」
食べることが大好きな二人は、全国各地を巡るコンサートツアーでは、そこでいかにおいしいものを食べるかを重要視しているのだった。
「あとはねー、ファーストフードも食べるよ。ね、秦っち」
「ああ。ハンバーガー最強」
「さ、最強ですか」
「正しくはダブルパティのチーズバーガーにコーラが最強なのだっ」
「おお、支持する」
「うー、おいしそうですけど、太っちゃいそうですね」
「ぼくらその分動いてるから問題ないよっ」
鈴にとっては羨ましい話だ。
鈴が宗佐や美有貴と同じ食生活をして、今の体重を維持するには、毎朝のランニングと週3日のジム通いでも足りないかもしれない。
少なくとも、普段通りの生活では、すぐに服のサイズが変わってしまうはずだ。体型の目立ちにくいワンピースや、ウェストを隠すチュニックにお世話になるのだろう。
「で、でもやっぱり栄養が偏っちゃいますし、カロリーが高いし……」
「あなたが心配してるのは、俺たちの健康のことじゃなくて衣装のことじゃないのか」
「はっ、けしてそんなことは、ななな、ないですよ」
「図星だ」
「図星だねっ」
図星というか、むしろ仮想した自分の心配ですとは言えなくて、鈴は苦笑いした。
鈴が後から合流したとはいえ、二人の食べるスピードは話しながらでも段違いで、鈴が三分の一食べ進める頃にはふたりの器にはほとんど空になっていた。
「はー、おいしかった! ごちそうさまー・あんど・デザートいただきまーす」
どんぶり一杯を食べ終えた美有貴は、四種類並ぶデザート皿に目を向けた。どーれにしようかなーと歌いながら、それぞれを指差していく。これっ、とまず手に取ったのは、生クリームの乗ったカラメルプリンだ。
美有貴はデザートスプーンで生クリームとプリンをすくい、大きくあけた口に放り込んだ。
「ん! おいしー、うれしー、しあわせー」
「ふふ、よかったですね」
「うん。ちょーうれしー。秦っちも食べる? おいしーよ」
「もらう」
美有貴は生クリームの部分をよけて、プリンだけをすくい、はいっと宗佐に差し出した。宗佐の口がそれを迎い入れる。
雛鳥に餌付けする親鳥のようなほほえましいやりとりだ。
「仲良しですね」
「みーと俺は、分けて食べる派だからな」
「そうそう。争うより、セッパン。いーよね、セッパン。平和ってカンジでさ。幸せじゃーん。食べ物に限らずさ、好きなもの大体同じなんだよ、ぼくたち。どっちかが気に入ったら、絶対もう一人も気に入るのが当たり前なの。だから、どーかなっていつも紹介するんだ」
「いいですね」
「えへへ、そーでしょ」
「一人で探すより、二人の方が、たくさん好きなものを見つけられますもんね。アニメとか、マンガとか、今は全部チェックできないくらいありますし」
宗佐と美有貴はちらりと顔を見合わせた。
「ま、それだけじゃないけどな」
「好きなモノ……ってか、ひと、ってか。ま、これは別にいっかー」
言葉を濁した二人に、鈴は首を傾げた。何のことだか分からなかったが、二人にしか分からない暗号のようなものなのだろうか。
「あ。ねえねえ、鈴ちー。午後の撮影ってさ、キミもついてくる?」
ころっと表情を変え、美有貴が話題を振った。
空になったプリンの皿を脇に押しやって、ハーフサイズのチーズケーキをフォークで突き刺し一口で平らげる。リスのように頬をぷっくりと膨らませて咀嚼して、鈴の返事を待っている。
「はい、その予定です」
「俺たちの車に乗るのか?」
「それは分からないですね。何かご用ですか?」
「用ではないな。なあ」
宗佐が同意を求めると、美有貴はごっくんと口の中のものを飲み込みながら頷いた。
「ふっふーん。ぼくと秦っちね、移動中に観るためのアニメDVD持ってきたんだー。だから鈴ちーも一緒にどうかなって思って」
美有貴はケーキのかすを口元につけたまま、胸を反らし偉ぶった。
「飽きた時のトランプ、UNO、携帯オセロ、携帯将棋もある」
手柄を主張してくる美有貴とは違い、宗佐は淡々と誘いの言葉を追加した。
差はあれど、二人はともに鈴を誘うという点で意見が一致しているようだ。
「携帯将棋って、修学旅行みたいですね、楽しそう」
「もし車一緒じゃなくっても、待ち時間とか、暇なとき遊ぼうね。ねっ」
「ふふふ。はい。お仕事がなければ、ご一緒しますね」
「あー。そっか。ぼくらが暇でも、孝ちゃんとかシオちゃんとかの撮影もあるんだ……」
「なるほどな」
目に見えてしょんぼりした美有貴と、無言になって何かを考えている宗佐に、申し訳ないことをしたかな、と鈴は思った。
「俺、園山ディフェンスしようか?」
「じゃ、ぼく越智さんとオカさん説得しよーかな」
だが、次に聞こえてきた台詞に目を丸くする。
「な、なんか話大きくなってませんか!? 岡部チーフにお話するってなんですかっ」
園山は宗佐と美有貴のマネージャー、越智は孝司とシオンのマネージャー、オカさんこと岡部はKISSMEのマネジメントを統括するチーフマネージャーである。つまり、岡部はKISSMEのスタッフの中で一番権限がある人物だ。
「だって空き時間をどー過ごすかって大事だよ?」
「少なくとも俺とみーにとっては大事だ」
「え、ええー?」
やめる気配がまったく見られない二人に、鈴はがっくりと首折れた。カレーは残り五分の一まで食べ進めたが、なんだか胃が痛くなってきて食べる気になれなかった。
そこへ、ぬっと横から手が伸びてきた。
「鈴。……ついてる」
「へ?」
「ここ、カレーのルーがついてる」
大きな手のひらがぐっと鈴の顎を掴んで持ち上げ、親指で鈴の口の端をぬぐった。鈴は硬直していたが、手の持ち主は気にとめなかったようで、ぬぐった親指を躊躇なくぺろりと舐めた。
「あ! 秦っちずるい!」
「ずるくはないな」
「だって隣に座ってさぁ、そんなん、そんなんずるい! ぼく知らなかったよそんなん」
「その話は一度終わった」
むっとしかめ面をした美有貴をまじまじと見つめ、宗佐は首を傾げた。
「みー、お前もついてるぞ? さっきのチーズケーキのかす」
「なっ、気づいてたなら言ってよ!」
トドメのように恥ずかしい事実をつきつけられ、美有貴はかっと頬を染めた。パーカーの袖でぐいぐいと口をぬぐう。
「鈴ちーもだよ! 気づいてたでしょ!」
「ええ!?」
「もー、もー、もー!」
恥ずかしさからか、怒りからか、美有貴は言葉にならない声を発してじたばたした。視界の端に映った新しい杏仁豆腐の器を、衝動的に手に取った。
「じゃ、鈴ちーこれ一緒食べよう」
「え、あ、でも、美有貴くんが頼んだものですよね」
「いーの。はい、あーん」
杏仁豆腐と真っ赤なチェリーの乗ったスプーンが、ぬーっと目の前に差し出された。
鈴は逃げたくなったが、差し出してくる美有貴のイイ笑顔を前に、断るわけにもいかない。ためらいつつも、小さく口を開いた。
「あーん。ね。どー? おいしいでしょ」
鈴は唇ですくうようにして杏仁豆腐を口に入れた。スプーンが離れて行ってすぐ、口元を押さえて素早く頷いた。
正直なところ、正面から美有貴に、真横から宗佐に見つめられているこの状況では、味なんて分かったものではない。期待のまなざしに応えているだけだ。
「これでおあいこね、秦っち」
「おあいこか……?」
ふふんっと挑戦的に笑う美有貴に、宗佐は苦笑した。どちらかといえば、宗佐と鈴が同じ扱いを受けているような気がするのだが、彼のなかではそうではないようだ。
それにしても、と宗佐は思う。隣に座る彼女が頬を赤らめているのは、自分のせいなのか美有貴のせいなのか、どちらなのだろうか。今となっては分からない。