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孝司とシオンと鈴 『どっちが好き?』

 ドアのノック音に、霧森孝司は気がつかなかった。音楽を聴きながら、雑誌記事原稿の執筆に集中していたからだ。


「はい」


 鳴神シオンが孝司の代わりに返答した。雑誌を読みながら声を出しただけの適当な返事だったが、訪問者には分からないだろう。


「おはようございます、石川です」

「鈴ちゃん? どうぞ」

「あ? いきなり立ちあがって、どうしたんだ、シオン」


 雑誌を放り出すように立ちあがったシオンに、孝司はぎょっとして顔を上げた。素早く視界を横切ったシオンの姿を目で追う。


「いいよ、入って」


 おずおずと顔を出した鈴の肩に、シオンは腕を回して部屋の中にエスコートした。


「おはようございます、シオンさん」

「うん、おはよう」

「あの、近くないですか?」

「そうかな? この位がいいと思うけど」

「そ、そうですか……?」


 孝司はまたかとため息をついた。

 シオンは最近、彼女をからかうのが一番のお気に入りだ。彼女は孝司とシオンが属する『KISSME』という男性アイドルグループの衣装を担当しており、二人と接する機会も多かった。いつからだったか、シオンが彼女をからかうのが日常になっていた。

 シオンが他人をからかうのは珍しいことではない。男女を問わず、からかいがいのある人間を気に入って、『おもちゃ』にするのだ。おそらく彼にとってはコミュニケーションであり、ストレス解消法なのだろう。からかわれる方にしてみれば迷惑この上ない話ではあったが。

 つまるところ、彼女はシオンの機嫌を上げるための、いい生贄なのだ。

 シオンの機嫌がいいのはグループとしては喜ばしいが、孝司個人としては気にくわない。なぜならシオンと彼女の会話をずっと聞いていなければならないからだ。


「霧森さんも、おはようございます。今日もよろしくお願いします」

「……はよ」


 ついでのように扱われ、むすっと返す孝司に、シオンは苦笑した。孝司の機嫌がみるみるうちに下がっていっているのが分かる。かといって、鈴から離れるつもりもない。


「宗佐くんと美有貴くんは、まだですよね」


 鈴は左手首を裏返すようにして腕時計を確認すると、隣のシオンを見上げた。


「そうだね。前の現場が遅れてるって話だったよ」


 問いかけられたシオンは、にっこりとほほ笑みながら頷いた。さもそうであるのが当然のように、肩に腕をまわしたままだ。彼がほんの少し力を入れただけで、抱きよせているように見える。

 孝司は視線を逸らし、書きかけの原稿をクリアファイルに挟んだ。苛立っているせいで、手つきが乱暴になってたらしい。ファイルが机の上のペンに当たってしまう。

 ペンはカラカラと床の上を転がり、鈴のバレエシューズに当たって止まった。


「はい、霧森さん。どうぞ」

「ああ……さんきゅ」


 鈴はしゃがんでペンを拾うと、シオンから離れて孝司に駆け寄った。

 結果的に孝司がシオンから鈴を引き離した形になったが、嬉しくもなんともない。なぜなら、鈴の背後でニヤニヤとシオンが笑いながら孝司と鈴を見ているからだ。


「今の何。孝、わざと?」

「なわけねーだろ。見てただろうが」

「ま、どーでもいーけど。ははは。何怒ってんの?」

「うぜえ、どうでもいいならほっとけよ」


 孝司はちっと舌うちした。シオンのなかでは、孝司自身も『おもちゃ』のひとつなのだろう。


「え? どうしたんですか?」


 鈴は首を傾げて二人を見比べた。孝司はすっと目をそらし、シオンは肩をすくめた。『怒っている』とシオンが表現したとおり、孝司は明らかに機嫌が悪くなっている。


「あの」


 少し声が震えてしまって、鈴はごほんと咳をした。もしかしたら断られるかもしれない、という不安が出てしまったらしい。


「わたし、衣装のことでお話があったんですが……。今、いいですか?」

「オレはオッケーだよ」

「おれも構わない」


 返ってきた答えに、鈴はほっと胸をなでおろした。


「ありがとうございます! じゃ、準備しますね」


 衣装を取りに彼女が一度部屋を出た隙に、シオンが孝司の脇腹をつついた。


「孝、お前なに拗ねてんだよ。ダメじゃん。怯えさせちゃ」

「はあ? どこが」

「それだよそれ。それが怖いっつーの。やさしくしてあげてよ」

「うぜえ。無理。何が悪ぃのかわかんねえ」

「うーわ、引くわ。嫌われても知らねーよ?」

「テメーは好かれてる自信でもあんのかよ」

「あるね。あるある、超ある。あるに決まってんじゃん」

「うっぜー、きめぇ、滅べ」


 鈴がカラカラとハンガーラックを引っ張って戻ってきたので、そこで言い合いは途切れた。


「ご説明はこの間の会議の時にしたのとほとんど同じです」


 今日、『KISSME』が撮影するのは、新しいシングルのミュージックビデオだ。

 片想いをする男性の心情を表現した歌詞に、切なく激しいロック調のメロディーが特徴的だ。孝司が主演を務めるドラマの主題歌になることが決まっている。

 『時計』『過去』『記憶』をコンセプトに、廃工場ロケでのダンスパートと、小部屋で佇む歌唱パートと2パターン撮影があり、衣装も二種類用意している。

 始めに撮影するのはスタジオでの歌唱パートだ。ゴシックめいたシャンデリアや燭台、鏡、暖炉、絵画が飾られた中世的な印象のセットに対し、四人はシンプルな衣装でメリハリをつける。孝司とシオンはノーネクタイのスーツ姿、秦宗佐と大伴美有貴はジャケットの代わりにベストを羽織って、それぞれ四人の個性に合わせたシックなスタイルだ。

 鈴はひとつひとつ衣装を取りだして見せていく。


「ただシックなだけでは面白くないですから、一人一人ビビッドカラーの小物を持つんですね」

「おれが、……確か、ハンカチだったか」

「はい、そうです。霧森さんのものがこちらで、シオンさんがこっちの、ハットですね。お好きなのを選んで頂いて構いません」


 歌唱パートは個人のバストショットが多いため、アクセントになる『ビビッドカラーの小物』は上半身にまとめられている。配色は四人のメンバーカラーで、孝司が青のハンカチーフ、シオンが赤のハット、宗佐が緑のネクタイ、美有貴が黄色のシャツだ。


「じゃあ、まず着替えるか。シオン、おれ先に着替えていいか?」

「そーね、いーんじゃない。オレはこっちでハット選んでるし」

「霧森さん、わたし、お手伝いしましょうか?」

「ああ。……後で頼む」

「分かりました」


 孝司は机に並べられた自分のスーツを手に、部屋の奥にある簡易更衣室に向かった。

 机の上に並べられた五種類ほどのハットをじっと見つめていたシオンは、ふと顔を上げて、ねえ、と鈴に声を掛けた。


「コレ、全部鈴ちゃんが選んだの?」

「あ、わたしだけがチョイスしたわけじゃないんですが」

「だよね。鈴ちゃんぽくないのまじってると思った。これとこれでしょ?」

「えーっ!? なんでわかったんです?」

「あはは、どーしてだろうね」

「シオンさんにお似合いだろうな、ってわたしも思ったんですが」

「やっぱね、分かるヤツには分かるんだよ。じゃオレ、これね」


 シオンが選んだのは鈴の選んだ、つばが外に跳ね上がるようなデザインの厚みのあるハットだ。


「すごい、ほんとに分かるんですね。わたしの一押しです」

「あはは。だってこれに一番似合うのはこれじゃない」

「すごいです。やっぱりシオンさんに選んでもらうのが一番ですね。わたしも自信がつきますしっ」


 鈴が興奮したように拍手したので、シオンは堪え切れずに吹きだした。彼女の選び方はシオンの好みも鑑みたものだから、シオン自身には分かって当然だった。


「わー、かっこいいです!」


 ハットを被ったら被ったで、彼女は褒め言葉を連発した。小物自体かシオンに対してなのかはっきりしない、幼稚な褒め言葉がおかしくてたまらない。見極めが難しいところだ、とシオンは思った。

 シオンと鈴が楽しげに会話している声は、もちろん更衣室の中まで届いていた。孝司はイライラがぶり返してきて手元が乱暴になっていくのを自覚する。シャツのボタンを適当に留めると、スーツのジャケットを羽織って、鏡を一瞥して出た。


「着替えたけど」

「わ、霧森さん、お似合いです。格好いい」

「どーも」


 声を掛けると、鈴はぱっと振り向いて笑顔を向けてきた。孝司は視線を逸らし、不機嫌さを滲ませる低い声で返事をする。

 孝司は十八歳という若さでも背伸びしている雰囲気も感じさせずにスーツを着こなしている。腰の位置が高い孝司に合わせたスラックスは、つっぱらない程度にタイトめにデザインされていて、より長い足が強調されるようになっていた。シャツのボタンを一番上まで留めてぴしりと背筋を伸ばした姿は、一等地オフィスのデスクに座っていてもおかしくない。


「すごいです。仕事のデキる男って感じです!」

「はぁ? なにそれ」

「仕事しかしてないヤツみたいってことでしょ」

「うぜえな、シオン。絡んでくんな」

「ガキかよ」

「テメーだろ」


 孝司は苛立つ気持ちをぐっと押さえ、冷やかに返した。

 シオンと孝司は六歳違いだが、芸歴は一ヶ月ほどの差しかなく、芸能界で見てきたものはほとんど同じだ。得意分野こそ違うが、力量も経験も対等なつもりだ。年齢だけで差がつくとは、孝司にはどうしても思えない。


「はいはい。オレがガキね、それでいーわ、ばーか。じゃ、オレも着替えてこよーっと」

「さっさと行けよ」


 ひらひらと手を振って、シオンは衣装を持って更衣室に消えた。


「霧森さん、襟、失礼します」

「あ?」


 シオンの背中を睨みつけていた孝司は、伸びて来る鈴の手に気づかなかった。

 鈴は孝司の正面に立って曲がったシャツの襟を掴んで引っ張ってくる。背伸びして左右の角度の違いを確認している顔が近くて、孝司は思わず顔を背けた。


「キツいところはないですか? 見た感じ変な皺もないですけど」

「いや、ダンス踊れって言ったらちょいキツいけど、座ったり歩いたりなら平気かな」

「わかりました。じゃ、これで完璧ですね!」

「あ、そう。ハンカチは?」

「はっ。完璧じゃないですね。すみません。こっちです。選んじゃってください」


 孝司のツッコミに、鈴は恥ずかしそうに顔を伏せた。慌てて机の向こう側に行き、手を広げるようにして、孝司に四種類のハンカチーフを示してくる。


「どれがいいですか? ポケットに入れてしまいますから、形はあまり関係がないです。色味と素材で選んでいただけるといいと思います」

「ふーん。……ま、これかな?」


 孝司が手に取ったのは、表面にうっすらとラインが入ったように見えるハンカチだ。織り方の違いでそう見えるだけで、実際にプリントされたものではない。


「こんだけ薄かったら見えづらいだろーけど、おれはこういうのが好きかな」

「引きでは映らないかもしれないですね。寄った時に分かるかな? くらいの」

「ふは、なんでそんなん用意したんだ、お前。まあいいや。これこのままつっこんでいいの?」

「あ、ええと」

「違うなら、もうお前やってよ」


 鈴はジェスチャーで説明しようとしたが、孝司からハンカチを押しつけられて動きを封じられる。簡単だと言っても孝司は取り合わない。


「うーわ、孝、何、甘えてんだよ」

「っせーな、確実だろ。何度も直されるよか合理的だ」

「そゆことにしておこうか」

「うぜえ」


 更衣室から出てきたシオンが、胸ポケットにハンカチを入れてもらっている孝司を見て、呆れたような声で非難した。孝司は顔をしかめ反論したが、シオンが勝手に解釈する以上、どうやら勝ち目はないようだ。


「わあ。シオンさん、いいですね。すごくお似合いです!」

「うん、ありがとー」

「想像してたよりずっと格好いいです」


 鈴はスーツ姿のシオンをまじまじと見つめ、感嘆のため息を漏らした。

 シャツのボタンをふたつほどわざと開け、首元と鎖骨を晒したシオンは、夜の雰囲気を漂わせている。ジャケットはシオンの細い腰が隠れないようデザインされていて、全体的に細身のシルエットだ。貧相な印象はまったくなく、シックななかに彼らしいセクシーさを覗かせたスタイルにまとまっている。


「たくさん女の子を連れて、おしゃれなバーとかにいそうですね!」

「あはは。きみ、それ、褒めてないよね?」

「歩くワイセツ物ってことじゃね?」

「孝、怒るよ」


 ここぞとばかりに反撃してきた孝司に、シオンは笑顔のまま、こめかみを引きつらせた。そんなつもりじゃとかなんとか鈴が言い訳しているのは耳に入らないようだ。


「わかった、じゃあ、決めようか」

「決める?」

「オレと孝、どっちが格好いいか、だよ」

「どうやって決めるんだよ、そんなの……って、ああ、そうか」


 シオンの視線の先にいる女性を見て、孝司は納得したように頷いた。


「ねえ、鈴ちゃん」

「はっ、はいっ!」


 鈴はびくりと肩を震わせた。なぜだか悪寒がする。


「きみ、孝もオレも格好いいって言ったね」


 シオンがにっこりとほほ笑みかけてきて、鈴は思わず後ずさった。笑顔がこわいと思ったのは初めてだ。


「は!? はい、言いました。あの、本当に格好いいと思ったので……」

「そうだね、きみがそういう子だってのは分かってるつもりだよ。でもね、世の中にははっきりさせなきゃいけないこともあると思うんだ。平和解決でまーるく収まることじゃないんだよね、これは」


 シオンはそこで言葉を区切り、ふっと肩をすくめるような仕草をした。


「ね、オレと孝、どっちがより格好いい?」

「お前が選べよ」

「えっ!? なんでそうなるんですか!?」

「何いってんだよ、お前が発端だろ?」

「身に覚えがないですっ」

「ふはは、嘘つけよ」

「どっちが好きか、でもいいよ。ちゃーんと考えて、選んでね。後悔しないように」

「え、ええー!? 選べないですよっ!」


 スーツ姿の二人に見下ろされ、鈴はうろたえた。

 どちらも鈴が二人のためにデザインした一点もののスーツだ。頭で描いていたよりも、遥かに二人にしっくりときていた。彼らの魅力を引き出しているという自負もあり、鈴にとってはどちらも思い入れのあるデザインだ。

 さらに言えば、孝司とシオン、それぞれの魅力はタイプが異なっていて、比べようもなく、どちらがより素晴らしいとも言いきれない。ビジネスマンのイメージなら孝司のスーツが合うのだろうし、大人の社交場のイメージならシオンのそれのほうがよりマッチしているだろう。


「ふふふ、あははは。すっごい顔」

「ふはは、マジになってやんの」

「え? 何、どうしたんですか?」


 頭を抱えていた鈴は、上から降ってきた笑い声にはっと顔を上げた。

 こわい顔のシオンも、無表情の孝司もそこにはなく、二人は口元に手を当ててこみ上げてくる笑いを堪えていた。


「あの……シオンさん? 霧森さん?」

「そんなに怯えないで。おれがさっきみたいなので怒るわけないじゃない」

「ふは、いや、ありえそうではあっただろ」

「そうかな。ごめんね、遊んじゃって。真剣に選ぼうとしてくれたのは嬉しかったよ」

「おれもからかって悪かった。シオンのお遊びに乗っかったんだ」


 謝罪されたものの、鈴には何が何だか分からない。頭の中は疑問符でいっぱいだった。


「え? えーと? ということは?」

「選ばなくていい。お前にとっては『どっちも格好いい』んだろ」

「かわいいなあ、あはは。ごめん、笑っちゃだめなんだろうけど……ふふふ」


 説明されても、鈴にはよくわからなかった。どういうことだったんだろう、と疑問が深まるばかりだ。ただ、説明された字面の意味だけは理解する。


「えーと、じゃあ、お二人とも怒ってなくって、わたし、どちらか選ぶ必要がないと」

「そう」

「はあ、……そうですか。よかったあ」


 鈴は、ほっと安堵のため息をついた。


「よかったあ。わたし、どっちのデザインのスーツも好きなんです!」

「……は?」

「……スーツ?」


 鈴の言葉に、笑っていた二人がぴたりと動きを止めた。

 なにか、自分たちと、彼女の間に、決定的な事実認識のズレがあったような気がする。


「ほら、自分でデザインした服って、自分の子どもみたいなものじゃないですか。自分の子どもに、どっちがいいとか、そんなのないですよ。お二人に着てもらえて本当に嬉しかったし、格好いいなーって思ったし。選べなんて、無理ですよ。だってどっちも格好よくて、似合ってますっ! わたしのデザインしたスーツに!」

「ああ、そう。そーいうこと。本当、鈍感っていうか、ズレてるっていうか」

「マジかよ」


 シオンと孝司はお互いに顔を見合わせ、どちらからともなくため息をついた。

 鈴はまだ喋り足りないのか衣装に対する情熱を語っていたが、二人はもはや聞いてはいなかった。

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