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【お見舞い編】孝司×鈴 『熱を帯びる』

「おい。入っていいか?」

「は! はい。ちょっとお待ちください」


 声を掛けると、中から少しだけ掠れた鈴の声が返事をし、ごそごそと動く気配がした。


「孝司くん。もう入って大丈夫です、どうぞ」


 鈴が声を掛けてきたので、孝司はゆっくりとドアを開けた。


「ああ、着替えたのか」

「はい、先ほどはお見苦しいものをお見せしてしまってすみませんでした」


 鈴はベッドの上に上半身を起こしていた。間接照明の淡い光に黄色とオレンジのストライプのパジャマ姿が浮かんで見える。


「……あんなもん、ただの事故だろう」


 先ほど事故で見てしまった着替えシーンを思い出して、孝司ははあとため息をついた。

 胸元を大きく開いたシャツから見えたレース地のヒラヒラがまだ目に焼き付いているような気がする。もともと低い判断能力がさらに低下した鈴がぼんやりしているので、後ろを向かせて対処をしたのだが。ボタンをしめようとしたのが間違いだったのか。タイミング悪く部屋に来たシオンに、孝司が彼女を抱きしめたと勘違いされてしまった。

 もちろんすぐに誤解は解いたが、「女の子の部屋に入る前は必ずノックと声掛け」だと延々説教されてしまった。本当に怒っていたのか、嫉妬からくる苛立ちをぶつけられていたのかは分からない。


「おれが悪かった、ってことにしとけ。……これ、シオンの作ったメシだから」

「わ! すごいです。これ、ぜんぶシオンさんが?」


 シオン特製のにゅうめんとフルーツシェイクをベッドサイドに盆ごと置くと、鈴は驚いたようにまじまじと観察した。


「んー、まあ。……ほとんどアイツかな」

「でも、みなさんで作って下さったんですよね。ありがとうございます」


 一口、そうめんにのった野菜を食べた彼女の顔がふにゃふにゃと緩み、自然に「おいしい」という言葉がこぼれた。孝司はシオンに言ってやればいい、と言いそうになって、ぐっと言葉を飲み込んだ。それこそ、ただの嫉妬だ。


「ん――」


 にゅうめんをすすった鈴が突然、口を覆って身体を折り、ごほっごほっとなにか喉に詰まったような咳をした。


「大丈夫か。無理するな」

「ご、ごめんなさい……。大丈夫……、です」


 鈴は強がったが、しばらく咳がおさまらなかった。孝司は鈴の背を撫で、その手から漆器を取りあげた。

 鈴の背は小さくて頼りなく、その身体は片腕で押さえこめてしまえそうだった。孝司は手をさまよわせ、そっと腕を回した。


「お前、身体……熱いな。熱あるんだろう」

「あ」


 取りあげた漆器をベッドサイドテーブルに置き、孝司は鈴の額の髪を掻きあげるように手を当てた。


「こ、孝司くん」

「あ? なんだよ」

「……な、なんでもないです」


 孝司が顔を寄せると、鈴が恥ずかしそうに目を伏せた。咳のせいなのか、熱のせいなのか、彼女の頬が赤らみ、瞳が潤んでいる。彼女の隣に腰を下ろし、抱き寄せるような格好になっていた孝司は、ぎくりと動きを止めた。背中に回した腕に、薄い布地一枚を隔てて柔らかい肌の感触がある。

 鼻先が触れ合いそうなほどの距離で、はずみでキスしてしまいそうだ。孝司がふっと身動ぎしただけで、彼女の肩が緊張で強張る。

 ふるふると震える鈴の睫毛が間近にあって、まるで孝司を誘うように見えた。


「……ないな」

「え?」


 孝司はぐっと奥歯を噛みしめて、身体を離した。


「ひどい汗だな、って言ったんだ。辛いんだろう、無理すんな。これだけでもいい。飲んで寝とけ」


 孝司は視線の先にあったグラスを手にし、鈴に手渡した。マンゴーやリンゴといったフルーツの新鮮な匂いのする、喉越しのいいシェイクだ。これもシオン特製だが、フルーツをカットしたのは孝司で、ミキサーにかけたのは美有貴である。どうでもいい情報なので口にはしなかったが。


「は、はい。ありがとうございます」


 顔をあげた鈴が残念そうに見えたのは、孝司の勝手な思い込みだろうか。ためらうような沈黙のあと、彼女が再び口を開く。


「あの、孝司くん。ご、ごめんなさい。わたし、ゆっくり食べたら大丈夫だと思います。さっきは焦ってしまっただけで。優しくしていただいて、申し訳ないくらいです。孝司くんも、みなさんも、お忙しいのに色々させてしまって」


 鈴の言葉に、孝司は一瞬あっけにとられた。ごめんなさいと謝られる理由がすぐに分からなかったからだ。


「お前さあ……。どうしてそういう発想ができるんだよ。謝られるためにやってんじゃねえんだよ」

「えっ、あっ、ご、ごめんなさ……」

「ああ、わかったわかった。もういいから黙れ。具合悪い奴が喋んじゃねえ」


 謝ることを禁じられた鈴が、申し訳なさそうに眉を垂らし、ぷるぷると震えた。また謝ろうとしたんだろう。孝司はため息をついて、じっとグラスを見つめて飲むように催促する。

 鈴は太めのスムージー用ストローを口に含み、ちらちらと孝司の様子を伺ってきた。位置関係からか、上目遣いの顔を見せつけられているようでうろたえる。


 これがすべて天然なのだから困る。


 先ほどの話でもそうだ。鈴にとっては孝司たちは仕事で付き合いのある相手、あるいはパートナーとしてしか思っていないのだろう。

 手を出してしまいそうになって、孝司があぶないところで踏みとどまるのは、彼女があまりにも無防備すぎるからだ。

 男四人を家に簡単にあげてしまうことだって、本来ならあり得ないことなのだ。信頼されているせいなのか、病で判断力が低下しているせいなのか、男女の関係になるなんて思ってもいないせいなのか。

 彼女を知れば知るほどに、危なっかしくて目が離せなくなり、それと同時に手を出せなくなる。彼女の気持ちが分からないから。


「お前さ、おれたちが……いや、おれが、心配になって家に来る、つー状況、他であり得ると思ってんの」


 思わず問いかけると、鈴はストローをくわえた口元を手で隠しつつ、わずかに首を傾げた。孝司が続きを話すのを待っているようだった。


「おれは、どうでもいい奴のとこには、来ないんだよ」


 あまりにも婉曲的な物言いに、鈴は考えこむように眉を寄せた。そんなに考え込まれるほどのことでもないのだが。

 孝司は恥ずかしくなって、ちっと舌うちして鈴の額にデコピンした。ストローをくわえたままだった彼女は、思わぬ攻撃に、息苦しそうに口をはなす。


「ふは。吹くなよ。汚えな」

「こ、孝司くんが叩くからっ」

「悪かった、悪かった」


 鈴に睨まれ、孝司は熱を帯びた額をなだめるように撫でた。乱暴な手つきにならないように、額から頭頂部を手のひらでなぞる。反論しそうになっていた口がきゅっと閉じられ、睨む目が伏せられる。

 すっかり大人しくなってしまった彼女に、孝司は病人相手に話しすぎたな、と思った。


「疲れたんだろう? もう、寝とけよ」


 でも、と反論しそうになった彼女の声はもう力がない。孝司がグラスを奪い取り、布団に寝かせると、横になったとたん、瞼が自然におりたほどだ。

 しばらくして寝息が聞こえてきて、孝司はもう一度だけ、彼女の頭をゆっくりと撫でた。

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