大伴美有貴×鈴 『キミが必要』
「おはよーございます。お疲れサマでーす」
スターライト事務所のドアを開けて入ってきたのは、ブレザー姿の大伴美有貴だった。デスクに向かっていた社員たちは一斉に顔を上げて、美有貴におはようと声を掛ける。美有貴はそれをテレビに向けるのと同じ笑顔で受け止めて廊下の奥へ進んでいく。
「お、お疲れ、みゆちゃん。学校帰りだ?」
「あ、越智さん! ちゃっす。行ってきたよー、コーコー。カッコイーっしょ」
「似合ってる似合ってる。チョーカワイー」
給湯室の前を通りかかった美有貴を、部屋の中から声を掛けてきたのは孝司とシオンのマネージャーの越智だった。越智はベリーショートの髪をがしがしと掻いて、コーヒー入りのマイカップを片手に美有貴を見下ろしてくる。
「カワイーじゃないしょ、カッコイーしょ。間違えないでよね」
「いやいや、いやいや。オレ間違ったこと言ったかな」
「ねえ、それよりさ、ぼく打ち合わせにきたんだけどぉ、ドコ行きゃいー?」
「あー、じゃ、応接室Bに行っといて。後で移動してもらうかもしれん」
「リョーカイ。お願いしまーす」
越智に手を振って別れた美有貴は、ほとんどスキップのような軽やかな足取りで、鼻歌を歌いながら廊下を曲がり、応接室が並ぶ区画に入って行った。
「あれ?」
美有貴は応接室Aと掛かれたプレートの前を一度通り過ぎてから、再び引き返してドアに出来たガラス製のスリットの中を覗きこんだ。その中には美有貴のよく知る後ろ姿があった。頭を垂れるようにして、こちらに背を向け座っている。
「……鈴ちー?」
「えっ、あ、美有貴くん」
突然声を掛けられた鈴は、はっとして目元を擦り立ちあがった。振り返ると、美有貴が怪訝そうな顔をしてこちらを見ている。
美有貴は背中で押し込むようにして扉を閉じると、小走りで鈴の傍に駆けよった。
「ねえ。どうしたのさ。どーして、……なんで泣いてんの?」
「な、泣いてたかな。あはは」
鈴よりも身長が3センチ低い美有貴からは、顔を覆いかくそうとする彼女の腕の隙間から赤らんだ目元がしっかりと見えた。美有貴は鈴の手を取り、頬を膨らませて顔を寄せた。
「ごまかさないでよ。泣いてるじゃんかあ。目、擦っちゃだめだよ」
「み、美有貴くん」
「なんか悲しいことでもあったの?」
「それは違うよ。悲しいとかじゃないの」
「誰かにイジめられた?」
「ううん、そんなことされてないよ」
「ふうん。じゃあ、なんで?」
促されるまま、鈴は先ほどまで座っていたオフィスチェアに腰かけた。ぷっくりした手で鈴の手を包み込み、美有貴はその場に両膝をついた。
「話してみて? スッキリするかも」
「え、でも……」
「いーからいーから。ぼく口カタイよ。っていうか、すぐ忘れるし。だから、愚痴でもなんでも、いーよ? ちゃんと、聞いたげる」
「美有貴くん」
「ね」
美有貴は無邪気なふうを装って、にっこりと笑った。幼少の頃から芸能界にいる彼にとって、笑顔は重要なコミュニケーション行動のひとつだった。笑顔の与える効果について彼は周囲の大人の反応から本能で理解したのだった。
「優しいんだ、美有貴くん」
「そうだよ。今気づいたの? ぼく、優しくってカッコイイんだよ」
おどけるようにして美有貴がそう言うと、涙に濡れた鈴の頬がふっと緩み、くすぐったそうに笑った。美有貴はこんなふうに悲しむ人を笑顔にできることが嬉しくてたまらない。
美有貴は、笑顔の女の子が一番かわいいと思う。泣くことだって人間には必要だろうけれど、幸せは笑顔から生まれると思っている。
「わたし、自分が情けなかったの。今回のコンペで全部落ちちゃって……。今回のデザイン、一枚もオッケー出なかった」
「んー、そっか」
「わたし、すっごく自信があったんだ。絶対受かるって思ってたの。わたしの力、こんなもんだったのかなって……思って」
「うん」
「何度も何度もリテイク貰って、出来るのかなって不安になったの。なんにも出なくなっちゃって……情けなくなったの」
美有貴の登場によって忘れていた心の内の重い塊が、再び鈴に圧し掛かる。心の内は黒くどろどろと渦巻いて、息苦しくなった。鈴はくしゃりと顔を歪め、拳をぎゅっと握りしめた。
美有貴の手の中で鈴の手が震えている。この華奢な手が美有貴たち『KISSME』の衣装を生み出しているのだ。美有貴は包み込む手に力を込めた。
「わかるよ、鈴ち」
「美有貴くん」
「でもさ、リテイクってことは、キミならもっとできるってことだよ。キミのつくる衣装が必要なんだもん。だから、みんなキミに頼るんだよ。キミにステキな服を生み出して欲しいなーって思ってるんだよ。みんなキミが必要なんだよ。ぼくもそうだよ。ぼくも、鈴ちーの服すきだもん」
「でも……」
「でもじゃない。すくなくとも、ぼくは鈴ちーの服がすき。ぼくは鈴ちーが必要なの。だから、だいじょーぶなの!」
力強く言い切られ、鈴はあっけにとられて目を瞬かせた。突飛な論理展開について行くことができない。ただ自分を励ましたいという意思だけが、明確に感じられた。
「大丈夫なの?」
「そうだよ」
「ふふふ、変なの」
「変じゃないってば。むー」
美有貴は気にくわなかったのか唇を尖らせたが、鈴がくすくすと笑っているのを見て、すぐつられたように、へらっと破顔した。
「ね、ね、機嫌なおった?」
「うん」
「じゃ、じゃ、後でさ、ショッピング行かない?」
「ショッピング?」
「ぼくと楽しいことしようよ。楽しいことして、笑って、それで、またガンバろ。それでいーじゃん? ショッピングしてぇ、ぼくが鈴ちーにカワイー服選ぶでしょ。カフェでお茶してぇ、ぼくのコーコーの面白いセンセの話するの。で、カラオケ行こ。ぼくとデュエットしよ」
鈴の手をはなし、すくっと立ち上がると、小柄な身体をめいっぱいに動かして、お茶をするジェスチャーやマイクを握るジェスチャーをして、その場でくるっとターンしてみせた。子どもが親に甘えるような口調で、いいでしょと言われると自然と頷きたくなってしまう。
「どうかな? いい案だと思うけど」
「私のためなの?」
「そーだよ。ぼく、鈴ちーがいつもよりもっともっと元気になるまで、家に帰してあげないんだから」
きらきらと目を輝かせる美有貴を見ているだけで、鈴は心のどろどろが洗われる心地がする。
「うん。……ふふふ、美有貴くん、かっこいい」
「でしょ、カッコイーんだよ、ぼく。だから、こんど、ぼくの衣装は超カッコイーの作ってよ」
「それとこれとは違うかなぁ」
「えーっ、なんでだよ」
「衣装だけが格好いいんじゃ、ダメだもの。美有貴くんのいいところがわかる衣装じゃなくっちゃ、わたし、意味ないと思うの。美有貴くん、かわいい服似合うから、着せたくなっちゃうんだもん」
「ぶー。ぼくのことカッコイーって言ったのに。まー、いーけど」
いじわるな口調の鈴に、美有貴がぷくっと頬を膨らませた。
ボブカットのふわふわした髪に、ぱっちり開いた二重瞼、意思の強そうな唇、同年代の中では小柄で筋肉もない美有貴は、実際の年齢よりもどうしても年若い印象を受ける。年長に囲まれ、自分をより子どもらしく見せる行動を無意識のうちにとっていたためか、仕草も幼いのだ。
「ごめんね。男の子にかわいいとか言っちゃった。かっこいいって言ったのは、嘘じゃないよ」
「ん? いーよ、別に。ホントのことだし、ぼくにしかできないことだからね、ぼく、ちっちゃくてカワイーのは、いいことだと思ってるよ。今のぼくにしかできないことでしょ。孝ちゃんみたいに足長くないし、シオちゃんみたいにスタイルよくないし、秦っちとかはデカすぎだし」
そんなのは全然ぼくらしいカッコよさじゃない、と美有貴は言った。
「ぼくはぼくなりに、カワイーとか言わせないくらい、かっこよくなればいーんだ。そーでしょ」
「うん、そうだね」
鈴が肯定したことで、美有貴は満足気に頷いた。腰に手を当て胸を反らし、ごほんと咳払いをすると、まずは、と尊大な口調になった。
「まずはね、ぼくはキミの身長、追い越しちゃいます」
「あはは、そうなの?」
「うん。キミにいっぱい、カッコイーって言われるための第一歩ね」
「楽しみにしてる」
「ぼく、いつまでも子どもじゃないんだよ、鈴ちー。甘く見てたらさ、ダメだよ」
囁くような声で美有貴は言った。鈴は意味をすぐに理解できず、えっと言葉に詰まった。
そこへ、コンコン、と応接室Aのドアがノックされ、応答する前にドアが開かれた。大きな手がぬっと突き出され、美有貴に向かって手招きをしてきた。
「みー。ここにいたのか。会議、始まるぞ」
「あ、秦っち」
ドアの向こうにいたのは、『KISSME』のメンバーの秦宗佐だった。美有貴は宗佐の顔を見るなり、あっと声を上げた。
「そっか、会議の時間だーっ」
「早めに来てたんじゃなかったのか。お前待ちだぞ」
「まじか、やっばい。怒られちゃうかな。じゃね、鈴ちー。ぼく、行くね。後で電話するから、待っててよ」
「うん。じゃあ、またね」
宗佐の後に続いて廊下に出た美有貴は、扉から顔だけ出して手を振ってきた。鈴は手を振り返し、彼を送り出した。無邪気な笑顔の美有貴が囁いた先ほどの台詞が、頭の中に残って、鈴はしばらくその場を動くことができなかった。