鳴神シオン×鈴 『逃がさないよ』
目覚めてすぐに目にしたのは、光を遮る白、ライトアップされた白だった。現実なのか夢なのかわからない。瞬きを繰り返し、ようやく朝が来たことを理解する。思い切り腕を振り上げて視界を覆う白いシーツをめくれば、趣味じゃないカーテンがほんの少しだけ開いていて、そこから朝の太陽光が漏れているのだった。
鳴神シオンはどこのホテルだったか、と部屋を見回しながらぼんやりと思う。
シオンが寝ていたのはツインの窓際のベッドで、隣を見れば分厚い布団がこんもりと丸く盛り上がっている。大柄な男の脚先だけがなぜかこちらに向けて伸びている。同室の男は大きな身体を器用に曲げておかしな格好で寝ているのだ。
「宗、朝だよ、朝。適当にカーテン引くんじゃないよ」
身体を起こし、髪を手櫛で直しながら声を掛けたが、反応はなかった。今すぐに起きなければ困るということでもないので放っておく。
秦宗佐はシオンと同じアイドルグループ『KISSME』のメンバーだ。全国ライブツアーの大阪公演は三日間行われるため、KISSMEのメンバーやスタッフは昨日からホテルに宿泊しているのだった。
シャワールームに向かい、寝汗を流して顔から首、脚を重点的に温め、凝り固まった筋肉をほぐしていく。
シオンが朝に必ずすることは、身体の調子を確かめることだ。自分がどれくらい動けるか。どんな顔つきをしているか。どんな印象を相手に与えているか。鏡をじっくり眺め、それらを把握していないと落ち着かない。
今日は公演の二日目だ。昨日の疲れはほとんど残ってはいないようだったが、気分もあって、いつもよりも念入りにフェイシャルマッサージを施し、化粧水と乳液を塗る。
髪を乾かしバスルームを出て、時計を見れば、時刻は七時半を過ぎたころだ。朝食はホテルのバイキングで摂ってみようかと思いつく。どうせシオンはどこへ行っても気づかれるから、今さら人目を気にする必要もない。黒ぶちの大きなメガネだけを掛けておく。
「オレ、朝メシ食べに出てくから。……はい、返事ナシ」
普段よりはゆるいパーカージャージを着て、財布とスマホだけを手にした。もう一度宗佐に声を掛けてみたものの、やはり返事はない。返事は期待してなかったので、そのまま部屋を出た。
「おはようございます、鳴神さん」
「おはよう。いい天気だね。ライブ日和だ」
「はは。またまた。雨降ってようが、満員になりますよ」
「それはもちろんね。気分的な問題、あとは公共機関のハナシ」
エレベーターに乗り合わせたスタッフと世間話をして、レストランに向かえば、ちらほら一般客が混じってはいるものの、ほとんどスタッフばかりだ。これでは混乱が起きる要素もないだろう。
シオンは小柄な女性の姿を見つけた。傍に寄り、コンコンとテーブルを叩いて注意を引く。
「おはよう、鈴ちゃん」
「シオンさん! おはようございます。早いですね」
「目が覚めちゃったって感じだよ。宗佐がカーテンをきっちりと閉めてなかったみたいでさ、眩しくて眩しくて――隣、いい?」
「はい、どうぞ」
鈴の座っていた場所は丸テーブルの四人席だ。柱が向かい側にあって、四つの椅子は等間隔に並んでいない。正面に座ることができないから、シオンは彼女により近い位置にある左隣を選んで座った。
「ラジオ、終わり遅かったんですか?」
「そ。二時くらいかな。帰ってきて、そのままベッド直行。あの時カーテンちゃんと閉まってるか確認すべきだったよ」
「仕方ありませんよー。お疲れだったんでしょうから」
鈴のテーブルには、飲みかけのアイスコーヒーのグラスとスマートフォンがある。グラスの表面にはびっしりと水滴がつき、コーヒーの氷は融けて小さくなっている。
「鈴ちゃんは、もう食べたの? 誰か待ってるとか」
「いえ、もう食べたんですけど。このレストランが閉まった後に、場所をお借りして朝会を行うんです。スタッフの」
「ああなるほど。だからこんなに、見慣れた顔が多いわけね」
「はい。みなさん待ってるんだと思いますよ。一度部屋に帰るのって案外面倒ですから。わたしもそのクチなんですけど。……シオンさんはまだ朝食摂られてないんですか?」
「そう。入り口からすぐこっちに来ちゃったからね。時間があるなら、食べてる間話にちょっと付き合ってもらっていいかな」
「はい。ぜひ。嬉しいです」
シオンは、一度席を離れトレーを持って戻ってくる。
「バイキングって助かるね」
「え、どうしたんです?」
「いやね。きっちり体重制限してるわけじゃないんだけど。自分で摂れる分をコントロールできるって嬉しい。好き嫌いも勿論あるしね」
「シオンさん嫌いなものあるんですね。イメージないです」
「そう? オレ結構あるよ。レバーとかホルモンとか、内臓系。数の子とかイクラとかキャビアとか魚のタマゴ。あとは虫」
「む、虫?」
「イナゴの佃煮を子どもの頃祖母の家で食べてね……感触がトラウマ」
思い出して、シオンは口を歪ませた。味が甘くておいしいのも、噛み潰して中身が飛び出る様も、細く硬い脚が口に残るのも、鮮明に覚えているのがくやしい。虫系の食べ物を特集した番組で試食NGを出したこともある。仕事に支障が出るとは思わなかった。
ふっとため息をつき、殻付きのゆで卵をスプーンで叩く。
「卵、いくつか種類がありませんでした? ゆで卵選ばれたんですね」
「そうだね。他のはどんな味かわからないし」
「味がわからないというのは?」
「ダシ入りなのか、塩コショウなのか、砂糖なのか。サラダ油なのかオリーブオイルなのか」
「う、うーん? 洋風レストランですから、塩コショウにオリーブオイルじゃないでしょうか」
「だと思うよ。オレ出し巻き派だからね。やめといた」
「へえ。じゃあ、朝ご飯はお米派なんですか?」
「時間があるときはねー。雑穀米炊いて食べてる。まあ、時間無かったら菓子パンで済ませちゃうこともあるけど」
意外だな、と鈴は思った。トーストしたナッツ入りのパンにサニーサイドアップの卵焼きを乗せて食べる、とか、シリアルにカシューナッツとドライフルーツを入れてミルクをかけて食べる、とか呪文めいたオシャレ朝食をしてそうなイメージだった。
シオンはゆで卵の殻をすべて剥いたあと、ぱかりと半分に割って、塩をつけて食べている。
シオンのトレーに乗っているのは、ゆで卵のほかは、刻みキャベツにトマト、ブロッコリー、ホウレンソウのおひたし、沢庵。ゴマを振ったご飯。味噌汁。残りはメロンやリンゴ、モモやパイナップル、イチゴといった季節感ばらばらの果物の山だ。
「朝ご飯だけは、必ず摂るようにしてる。スイッチが入らないし」
「なるほどー。朝のこだわり、ってありますよね。一時間……二時間くらい前ですかね。一階ロビーで霧森さんとすれ違いました。朝のランニングに行かれるそうで」
「ああ、あいつ今日もやってんだ。よく飽きないよね。オレは無理」
「絶対無理、バレて走るどころじゃないし」、とつけたし、シオンは味噌汁をすすった。
鈴は苦笑した。確かに、帽子を目深に被りスポーツジャージ姿になった孝司と、メガネを掛けラフな格好をしたシオンは同じようで全く違う。
『目を引くが、どこかにいそうなランニングをする男性』になれる孝司と違い、シオンは『ラフな格好をし、顔を隠しているシオン自身』にしか見えない。
シオンは身体、髪型、顔つきどれも華やかで目立ちやすい。先天的に手に入れていた肉体の魅力を最大限引き出すためにシオン自ら計算し、努力のもとに手に入れたものだ。それは彼がアイドルとして輝くための武器であると同時に、自分を制限する鎖にもなっていた。
シオンはどこにいても『鳴神シオン』のままだった。どこにいても、なにをしても、彼は彼として認識される。
「孝はいーとして、みーくんと宗は昼過ぎまで寝てるかもね」
「あはは、ですねえ。美有貴くんはたまにすっごくはやく起きたりしてますが、宗佐くんはずっと寝てますし」
「ああいうのは一種の才能だよね」
羨ましいとシオンは思う。他人の目を気にせず自分らしくいられることの難しさを彼はよく知っていた。他人の目に魅力的な自分を見せることは、裏を返せば自分自身を『作って』いることに他ならない。より魅力的に映るように。より好ましく映るように。
悪いことでは決してない。それが仕事であったし、自ら望んでいることでもあったから。自分の存在意義だったから。自分自身の外見以外で武器をつくることなど、今さら考えられない。
「早めに起こしとけばマシなんだろうけど。みーくんをまず起こして、みーくんに宗任せればいーか」
「? どういうことですか」
「いやね、宗、オレの声眠くなるって言うんだよ。だから起きれないって」
「ただの言い訳では……。確かに、シオンさんの声は素敵ですけど」
「ステキ? ホントにそう思ってる?」
「えっ? お、思ってますよ。ホラ、ええと、朗読番組やってらっしゃいますし。朗読CDも出されてますよね」
「結構黒歴史なんだけど、朗読CD」
「ええ!? 結構売れたって聞いてますよ。シオンさんの声がいい声なのは認知度高いと思うんですが」
「なんかダサいよ、朗読CDってネーミングがさ。内容もただ喋ってるだけになってて。マジ録り直したい。今だったらもうちょっとマシなの出せると思うんだよね」
「なるほど、そういう意味でしたか。黒歴史っていうから、消したいくらい嫌なことがあったのかと思いました」
鈴はほっと胸をなでおろす。衣装のない仕事の現場は、鈴にはよくわからない。CDやオーディオコメントのみを録音するスタジオには入ったことがないし、そもそもどこにあるかも知らなかった。話に聞いたり、映像を見て後から知るのだ。
シオンや他のKISSMEメンバーが気持ちよく仕事が出来るよう心がけている鈴としては、自分がいない現場とはいえ、仕事に不満があると言われれば不安になってしまう。今回は、技術力が足りないことを反省しているということだったらしい。それは今になって言えることであって、当時のシオンにとってはベストだったのかもしれない。それが分かるということは、今のシオンは成長をしている、ということなのだろう。
「ひとりの仕事って、いかがです? 緊張したりとか、雰囲気違ったりとか」
「ま、全然違うよね。四人とはね。物理的にさ、控え室とかもスッキリするわけだし。昨日一昨日の仕事も一人だけゲストに呼ばれたわけだけど。ひとりで相手に分かってもらうように話すのって難しいからさ。誇張しすぎて『嘘言ってんじゃないの』って思われても勿体ないし……、みーくんや宗のボケがないだけ心のゆとりはあるんだけど」
「一昨日の情報番組は、ついていけなくてすみませんでした。大きな問題はなかったって聞いていますが」
「トラブルはなかったよ。うん、大丈夫」
トラブルはなかったけれど、モチベーションは違ったな、とシオンは思い返す。
大阪でのライブ前日、シオンだけが昼の情報番組にゲスト出演した。衣装担当として鈴の先輩である平良という男性がついて、彼女がいないのに、彼女の選んだ衣装を着る、という奇妙な体験をしたのだった。
もしも平良が選んだ衣装だったなら、そこまで違和感を覚えなかっただろう。だが衣装だけがそこにあって、彼女がいないことがおそろしく不安だった。ずっと落ち着かなくて、マネージャーとしてついてくれていた岡部に声を掛けられたほどだ。
彼女自身がそこにいて、「大丈夫だ」と言ってくれることが、シオンにとってどう作用していたのか、よく分かる。
シオンが自分自身をよりよく『魅せる』ためには、鈴の衣装と、彼女自身が必要なのだ。
まるで彼女のために魅力的になろうとしているのではないかと錯覚するほどに、シオンにとって必要不可欠なものとなっていた。
いや、錯覚ではない。彼女によく見られたいと思う自分がいるのを、シオンは否定できない。
「やっぱね。一人だと誰にどう見られたいのか、超考えちゃうよね。ライブをしててもそうだけど。衣装を着て、メイクをして、ステージに立って、さあオレを見ろ。それだけでいい、なんて思えない」
「えっ」
「うーん、なんていうか。よりよく見せたいんだよ、オレ。アイドルとして夢中にさせる、って恋と同じだ……って、何回も言った気がするけど。恋して欲しいんだよね。そういうつもりでアイドルやってるから。そういう意味では、四人で歌ってるときよりか、ソロの歌の時のほうが、アイドルしてるなあオレ、って思うよ。誰に見られたいのか。どう魅せようとパフォーマンスをするか、超考えてアピールしてる。自分のやりたいことと求められてることは同じかな、どうかな、って毎回不安だよ」
「シオンさんが不安、ですか」
ライトアップされたシオンはそれだけで、アイドルとして成り立っているように鈴は思っていた。パフォーマンスの指先の動きをひとつとっても、華やかで美しく、女性を惹きつけてやまない魅力を放っている。
「なに、オレだって不安になることあるんだよ」
鈴が意外そうな顔をしたので、心外だなとシオンは笑った。彼女のなかで自分はどれだけ自信過剰なナルシストになっているのだろう。
「オレは完璧じゃないよ。まだまだ足りない。夢中になってもらうには……ね」
シオンはすっかり朝食を食べ終え、果物だけが皿の上にそのまま残っていた。
ざくりとメロンにフォークを刺す。それは小型キューブにカットされていて、まさに一口サイズだ。薄く色づいた果肉が歯に力を入れるまえに潰れ、甘く瑞々しい果汁が口いっぱいに広がった。
ちらりと目線を隣に向けると、鈴が変わらぬ笑顔でこちらをじっと見つめている。食べている姿を見られているだけ、というのはなんだかずるいなとシオンは思った。
「食べる? ほら」
「えっ」
「おいしいよ。みずみずしくて、果汁がね、すごく甘いから」
はい、と差し出され、鈴は逡巡する。
他者の目のあるところで、シオンが行うにしては無邪気すぎる行動だ。鈴が意識をしているだけなのかもしれないが、優しく微笑んで差し出す顔が、まるで恋人を甘やかすときの表情に見える。自分でも頬が熱くなっているのが分かる。
ドラマや実際のカップル同士を見ていて、羨ましいなどと思ったことなどなかったのに、シオンにされたとなるとなぜかどきどきしてしまう。
「ほら、口あけて。あーん」
「あ、あーん」
ためらいのあと、小さくひらいた鈴の口に、ぐっと入れてやる。慌ててがぶっと噛みついてくるのがおもしろい。じゅっと果汁が弾ける音が聞こえ、鈴が驚いたようにこちらを見てくる。んーんー唸っているところを見ると相当おいしかったらしい。
「おいしいでしょ?」
「んんん! 甘っ、おいしいです。久しぶりに食べました」
「久しぶりか。それはよかった。はい」
「えっ、んん!?」
反論される前に、次々と果物を放りこんでいく。わんこそばならぬわんこメロン状態である。律儀に噛んで食べながら、うらめしそうに見てくるが、笑顔で黙殺した。
口いっぱいに広がる果汁を零さないように口をすぼめているのがたまらなかった。何度繰り返しただろう。じゅっ、と果汁が潰れた音の後、彼女の口元からつっと一筋しずくが垂れた。
「ほら、垂れてるよ」
直接舐めたい、と一瞬思ってしまった自分をセーブするのが大変だった。手を伸ばし、指ですくってやるのがギリギリだ。
顔を真っ赤にさせてすみませんと謝ってくる鈴に苦笑する。もとを辿れば謝らなければならないのはシオンのせいなのだ。無理矢理食べさせたのだから。
彼女の気持ちはシオンにはよく分からない。それはこういう何気ない反応にも、裏が見えないからだ。恥ずかしいとか申し訳ないとか、表に出る感情そのまましかないように見える。
シオンが知りたいのは、彼女が自分をどう思っているか、ただそれだけに尽きるのというのに。
「少し服にも垂れちゃったかな」
「このくらいなら、大丈夫です。大丈夫ですから。あの……」
ぐっと近くに顔を寄せて、シオンは鈴を見つめた。
鈴はうろたえて目線を泳がせる。それがどういう感情からきた動きなのか。都合のいいようにとろうと思えばとれるけれど、どうにも確証がない。
「アイドルとさ、恋の違いは。ひとりじめ出来るってことだよ。もしもひとりだけに自分を見てもらいたい、と思ったら、それが恋だと思う」
「は、はい……?」
シオンの答えはもうこころの中にある。
夢中になって欲しい――自分だけを見て欲しい。シオンが強く思うのは、彼女にだけだ。自分のものにしたいと思っている。そして、相手にも自分がそうでありたいと思っている。彼女にとって自分は魅力的だろうか。分からない。だから不安なのだ。
あとは彼女の気持ちさえ測ることができれば、恋は実りスタートラインに二人揃って立てるのに。
もしも鈴の望む自分になれたら選んでくれるだろうか、と考えて、違うだろうとシオンは否定する。彼女には自分自身を、そのままの自分を、好きでいてもらいたいのだった。
「……鈴」
耳元で低く囁かれ、ぞくりと肌が粟立った。シオンが鈴のことを呼び捨てで呼ぶのは初めてのことだ。
テーブルの下で手を捕まえられ、するりと撫でられてびくりと身体を震わせる。
「逃げないで。逃がさないよ」
「逃げるって……?」
シオンは喉奥でくつくつと笑った。
「オレに、本気を出させないで。その前に、気づいて」
シオンはそれだけをいい残し、トレーを持って去っていった。いつの間にか、レストランの営業時間は終わっていたのだ。鈴の心のざわめきはいつまで経ってもおさまらなかった。




