始まり
登場人物などなど全てフィクションです
特定の人物、団体とは一切関係はありません。
月日は百代の過客にしてー。
この序文から始まる紀行文は学生時代に一度は国語の時間で学習するだろう。
そして今まさに、国語の古典の時間でそれを教えられている。
黒板の前に立ってカツカツと音を立てながらチョークの粉をそれに擦りつけている先生。
何人かの生徒は先生の大きな背中で肝心な部分の黒板が隠れて板書できないようで、
上半身を傾け、首を傾げ、何とかそこを見ようとしている。
また、その必要がない生徒達も私語をせずせかせかとこれまた鉛筆の先っちょの黒鉛を
紙に擦りつけている。静かな空間である。
これがあるべき授業風景ではないだろうか。
そんなことはないだろうか。
十分ぐらい眺めていた。
そこで一人、(他にもいるかもしれないが)板書をしているフリをしている青年を見つけた。
その青年は明らかに鉛筆の先の軌道がおかしかった。
彼の左手がゆっくりと円を描く。
ケシゴムを使う。
また同じように手を動かす。
ケシゴムを使う。
放っておけばいつまでもそうやっていそうな彼を見つけ、
おやおやそぞろ神にでも憑かれたかーと思った、その時だった。
出席簿で彼の頭を叩く、先生。頭を叩いた出席簿はまだ頭上にあった。
先生は手首を少し返してまた出席簿で彼を叩いた。
乾いた二つの破裂音は、板書中の生徒の視線をその発生源に集めた。
俯きがちに写していた生徒も。
三十九人の生徒は反射的に破裂音に反応し一人の青年と一人の教師を見た。
それらの視線もまた、乾いていた。
青年の顔は少し赤かった。開いていたページをそっと閉じようとしたが
先生のチョークでよごれていない指先がそれを制した。
「これは何だ、秋本。」
この青年は秋本というらしい。
秋本は視線を上げないままわからないと答えた。
「分からないわけがないだろう秋本が書いたんだから。」
秋本は最前列の中央座席なのに落書きをしたことを心の底から後悔しているように見えた。
先生が気付かないわけがないではないか。
それに教室内ではほとんど空気的な、人畜無害 そうな彼なのに目立ってしまったからであろうか。
ムードメーカーのような人ならこんな状況はおいしいのだが、
秋本は外見とか、雰囲気からしてそういう類の人ではなかった。
ちなみに落書きの内容はホントに落書きであった。
楕円だとかいびつな円だとか乱雑に交差する線だとか、
これもまた一種の芸術だと言えなくもない代物だった。
秋本は、本当にすみません、無意識に書いてましたと言った。
もとい、言ったが伝わらなかったらしい。
「ん?なんと言ったんだ?」
反射的に聞き返す先生に悪意はない。すると秋山は
「すみません。」と
もっとも端的な言葉で済ました。
これ以上痴態をさらす時間が延びるのはごめんらしかった。
三十九人の生徒の視線が針のようにさくさくと刺さるのは嫌だろう。
このあとも少しの間やりとりが続いた。
先生はやりとりの終りにオチのつもりかボケた。
生徒達の何人かは含み笑いや、苦笑をしていたが
これは滑っていた。
ー何もなかったかのように先生は授業を再開した。
秋本は先生に悪い事をした、と落書きを消しながら思った。




