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Snow Days

Snow Days

作者: ケヤキ

 雪が降って来た。

 毎年やってくるこの季節には、いつもたくさんの雪が降る。

 雪の日は何かと憂鬱だ。寒いし、道は凍るし、歩きにくいし、露出している肌が痛い。主に顔だが、凍っているのかと思うくらいだ。

 今日も雪の降る中歩いて学校に向かっているわけだが、もう帰りたくなってきた。風も強いし痛い。同じように学校へ向かう生徒の姿もちらほら見られるが、誰もが俯き気味で歩いている。

 雪が降る日はみんなそんなもの。足元を見るから自然と俯きがちになる。気をつけないと滑って尻餅をつく羽目になるし、雪の積もっている中で転んだりしたらコートだけじゃなく制服も荷物も雪だらけで真っ白になってしまう。ついてしまった雪を払うのも一苦労、いろいろと面倒なのだ。

 だから、好き好んでこんな雪の中を転げまわる奴なんていない。

 いるわけがないのだ。

 

「……なんだありゃ」

 

 思わずそう呟いていた。無意識のうちに足も止まっていた。

 その光景に、俺はただ呆然となって見つめることしかできなかった。

 

 同じ高校の制服を着た女子生徒が、笑顔で雪の中を転げ回っていたのだ。



* * * * *



「よぉ、トシ。おはよう」


 教室に入ると、幼馴染のカズが声をかけてきた。軽く手を振って答え、席につく。窓に目を向けると、先程外にいた時よりも風が強くなったようで、窓の外は吹雪で真っ白だった。

 俺の前の席に座っているカズは、背凭れを抱くように座り直して、今日の雪はいつもながらすごいなとか、宿題写させてとか、当たり障りのない会話をして、俺は思い切って尋ねてみた。


「なぁ、お前見たか?」


 そう尋ねる俺に、カズは眉を寄せて尋ね返す。


「何を?」

「……いや、見てないならいい」


 その時、朝のホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴った。


「おはよー、さっさと席に座れよー。今日は欠席いないよなーいないなー」


 担任教師が教室に入って来て、教卓に名簿を置くなり、気だるそうに口を開いた。そんなやる気のなさはいつものこと。

 連絡事項をいくつか話した後、担任は一旦クラスの喧騒を鎮めて、話し始めた。


「最後に、今日お前らに紹介しないとならない奴がいるから紹介するぞー。ほら、入って来い」


 そう言うと、教室のドアが開いた。クラス中の視線が集中する。教室に入って来たのは、女子生徒だった。


「今日からこのクラスに転校してきた子だーみんないじめんなよ。じゃあ適当に自己紹介して」


 促されて、その女子生徒は一礼して微笑んだ。

 真っ黒い髪は濡れているがストレートで、肌は雪のように白かった。


如月(きさらぎ )ユキノです。よろしくお願いします」


 クラスから拍手が起こった。拍手が止み、クラス中がざわざわとしている中で担任が転校生に席を指定している時、カズは俺の方に振り向いた。


「転校生だってさ、かわいい子来たじゃん。でもなんであんな濡れてんだろうな。吹雪にやられたにしては濡れすぎ……ってあれ、どうした?」

「い、いや……なんでも」


 言い淀んだ俺を見て、カズはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「はっはーん、一目惚れ?」


 とりあえず一発殴っておいた。非難の声を上げるカズを放っておき、俺は転校生を見た。

 確かにそうだ、間違いない。俺は確信する。

 今日の朝に俺が見た雪の中を転げ回っていた女子生徒は、きょろきょろしながら指定された席について、落ち着かない様子で座っていた。



 その日の放課後、俺はカズとじゃんけんで負けた結果、職員室掃除のゴミ捨てを押し付けられていた。ゴミ捨て場は雪が降る季節はみんな行きたがらないので、じゃんけんで負けた奴が行くことになっている。当然のことながら女子は除外。なんだか不公平だ。

 みんなが行きたがらない理由は単純。

 寒いからだ。

 屋根はあるもののシャッターもドアも何もないゴミ捨て場は、容赦なく雪が入り込んでくるのだ。俺が寒いのを我慢して教室に戻ってくると、カズはもう帰ってしまっていた。用事があるとか言っていた気がするが、薄情な奴め。

 それにしても、なんだか妙に寒い。廊下へのドアは閉め切っていたはずなのに、なぜ暖房を聞かせている教室が寒いのだろうか。教室を見回すと、その原因が分かった。

 転校生がこの雪の降る中、窓を開け放っていたのだ。

 俺は何も言わずに歩み寄ると、背後からその頭を軽く一発叩いておいた。


「あいたっ!」

「このくそ寒いのに何をしているんだお前は」

「誰だ君は! 何をするぅ!」


 頭を押さえて振り返った転校生は涙目になっていた。


「雪が入ってくるだろ、あと寒い」

「あぅ、ごめんなさい」

「何見てたんだ?」

「な、なんでもない、です!」


 窓を閉めた転校生は誤魔化すようにわざとらしく笑って、余ったセーターの袖をひらひらさせた。サイズが合っていないのか、随分袖が余っている。もともと、学校指定のセーターは、袖が長めに作られているのだが、それにしてもやけに長い。


「えっと、トシキ君?」

「何で俺の名前?」

「授業で当てられて発表してるの見たから……」


 転校生は笑って言った。朝見た時に濡れていた髪はもう乾いていた。俺はふと思い出して、今朝のことを尋ねてみた。


「お前、今日の朝校庭で転がってなかったか?」


 それを言った瞬間、転校生の笑顔が引き攣った。


「……え?」

「いや、今日の朝校庭で――」

「……見たの?」

「じゃあ、やっぱりあれって」


 お前だったのか、と言いかけてその言葉を飲み込んだ。転校生が顔を真っ赤にして俯いていたからだ。


「……どうした?」

「だ、誰かに言った?」

「え?」

「誰かに言った? 私が雪の中で転がってるの見たって言った? 言ってないよね? 言ってないよね!」


 なんだか凄い剣幕で迫られて、俺は何と言っていいかわからなくなった。心なしか、涙目になっているような気がする。


「……言ってないよ」

「ほ、本当に?」

「言ってない」

「ま、まじですか?」

「まじっす」


 カズに言うところだったとは言わなかった。

 転校生はしばらく俺を涙目で睨んでいたが、不意に視線を外して俯いた。


「だ、黙っててくれる?」

「別にいいけど、なんであんなとこで転がってたんだ?」

「あぅ……あの、その」


 転校生は答えに詰まっていたが、やがて呟くような声で答えた。


「雪……こんなに積もってるの初めて見たから」

「初めて?」

「うん、雪国の子って雪の中を転がったりするものだと……」


 なんだそりゃ。

 どこでそんな偏見を得たのか知らないが、雪の中を転がって遊ぶのはせいぜい小学生までだ。中学生でも登下校中に雪玉投げ合って遊んでたりするけど。


「そ、それに、あんなにまっさらだとついつい足跡つけたくなるっていうか……転がってみたくなるっていうか」


 足跡をつけたくなる気持ちは分からなくもないが、転がってみたいとまでは思わない。


「それにしたって、登校する時にしかも制服でっていうのはどうかと思う」

「あぅ……仰るとおりです」


 転校生はがっくりと項垂れた。たぶん、職員室でも何か言われたんだろうな。


「まぁ、いいけど。お前、コートも着ないで外出ると風邪引くぞ。持ってないなら買っとけよ」


 俺は自分のコートを着て鞄を探り、マフラーを取り出した。朝からの吹雪は、今では大分弱まっているようだった。帰るなら今の内だ。俺はマフラーを首に巻いて鞄を肩に掛けた。


「じゃあな、また明日」

「あ、うん……また明日」


 転校生は小さく手を振った。と言っても、セーターの袖を振っているようなものだったが。

 外に出ると、雪が少しちらついている。風はそれほど強くはなかったが、相変わらず凍りつくように冷たい。

 ふと、俺は校舎を振り返った。丁度俺のクラスの教室は校門から見える位置にある。窓のところに転校生の姿が見えた。もう窓は開けていないようだった。こちらに気づいたのか、小さく手を振っているのが見えた。俺は少し迷って、軽く手を挙げてそれに答えた。



* * * * *



 次の日も相変わらず雪が降っていた。

 昨日のように風は強くはないが、降ってくる雪の量が多い。傘に積もった雪でだんだん腕が痛くなってきたので、少し傘を傾けて雪を道端に落とした。

 校庭にさしかかった時、昨日転校生が転がっていたところに何気なく目を向けた。さすがに昨日の今日だ。もう転がってはいないだろう。


「……なんでだよ」


 いるはずがないと思っていた人物がそこにいた。

 転がってはいなかったが、こちらに背を向けてしゃがんでいる。俺はしばらく迷ってから、校庭に積もった雪についている足跡をなぞってそこに向かった。

 近づくと雪をかき集めて何かをしていたのだとわかった。足音に気づいて振り向いた転校生の雪の積もっている頭を一発、昨日よりは少し強めに叩いておいた。


「あいたっ」

「何してるんだよ」

「何をするぅ!」


 昨日もこんなことを言われた気がする。振り返った転校生の傍には小さな雪の山があった。


「……雪を固めようとしてたのか?」


 転校生は弾かれたように俺を見た。


「なんでわかるの!?」

「いや、なんとなく」

「……雪だるま、作れるかなって」


 コートもマフラーも手袋もないまま雪遊びをしようとしていたのか、しかも朝から。


「今日の雪は固まらないと思うぞ」

「え? 雪っていつも同じじゃないの?」

「雪って言ってもタイプがあるんだよ。今日の雪は乾燥してるから固まりにくいと思うけど」

「そうなんだ、物知りだねー」


 一体どれだけここにいたのか、転校生の手は真っ赤になっていた。そういえば、昨日は見えなかった手が見えている。ブレザーの袖が膨らんでいたので、腕捲りをしているようだった。こいつは寒さを感じないのか、見ているだけで寒い。


「とりあえず、早く行こうぜ」

「え?」

「いつまでもここにいたってしょうがないだろ」

「……えっと、もうちょっとここにいるよ!」


 転校生は笑って手を振った。俺はため息をついて、ポケットを探った。


「ほら、これ」


 俺が差し出したのはポケットカイロだった。


「素手で雪触ってたら手痛いだろ」

「おぉ……あったかい」


 転校生はカイロを握りしめて顔を綻ばせていた。


「じゃあ、ホームルームに遅れるなよ」


 俺は来た時と同じように足跡を辿って道に戻った。そして教室に入って早々、クラス委員長のヒョウカに呼び止められた。俺やカズの幼馴染でもある。幼稚園からずっと一緒なので、ここまでくると腐れ縁だ。


「あんた今日の日直になったから」

「今日はカズだろ?」

「カズは今日休みだって。メール来てないの?」


 そう言われて携帯を取り出すと、確かにカズからメールが来ていた。今日は休むから今度ノートを写させてくれという内容だった。


「めんどくせー」

「そう言わないの。じゃあ、ホームルームの前に職員室行って、先生の教卓から日誌持って来ておいて。あの先生、忘れたからって持って来てくれないからね」

「へいへい」


 俺は適当に返事をして席に鞄を置いた。あと十分でホームルームが始まるから、今の内に行ってしまおう。

 暖房の効いた教室を出て、寒い廊下に出た。咄嗟にポケットに手を入れるが、そういえばカイロはあいつにあげたんだったと思いだして、足早に廊下を進んで職員室へ向かった。職員室の前に立って、ドアの小窓から中を除くと、まだ担任は来ていないようだった。


「……失礼します」


 一礼して職員室に入る。いつもながら、この一連の動作が面倒くさい。職員室に入る時の決まりごとって、無駄に多いような気がする。

 職員室に入ると、いつものコーヒーの臭いが鼻をついた。コーヒーが苦手な俺には近づきたくない場所だ。俺は軽く息を止めながら一直線に担任の教卓に向かい、日誌を持って踵を返した。一刻も早くここから出ようと足早に出口に向かい、その途中で相談室に担任の姿を見つけた。担任の隣には転校生もいる。足を止めると、二人の話が少しだけ聞こえてきた。


「わざわざ朝に悪いなー如月。話ってのは、面談したいと思ってるんだよ。他の奴らの予定もあるから、一応親御さんに希望の予定聞いて来てもらえると嬉しいんだけど」

「……どうしても、保護者が必要ですか?」

「そりゃそうだよ、三者面談なんだから」

「えっと、母は忙しくて、来られないかもです」

「……とりあえず、用紙渡しておくからなるべく早めに持って来てくれ。どうしてもこの期間に予定が合わなかったら別の日も考えるから」


 話が終わったようだ。俺は慌てて職員室を出て、そのまま柱の陰に隠れた。なんで隠れるんだ、俺。

 少し遅れて、転校生が職員室から出てきた。手には一枚のプリント。転校生はそれをしばらく見つめた後、いきなりくしゃっと丸めて近くのゴミ箱に捨ててしまった。転校生はそのまま小走りに教室へ走って行った。

 その後、予鈴が鳴ったので教室に行こうとした担任が俺を見つけるまで、俺は動くことができなかった。



 その日の放課後、カズが休んだせいかまた俺が職員室掃除のゴミ捨て当番に当たってしまった。二日連続だなんてついてない。

 ゴミ捨てを終えて、俺は自分の鞄と日誌を持って教室を出た。さっさと担任の教卓に日誌を置いて帰ろう。そこで職員室の前まで来た時、入口に誰かが立っているのが見えた。

 あの転校生だった。

 ゴミ箱をじっと見下ろしている。俺は思わず立ち止まったが、すぐに入口の横に鞄を置いて職員室へ入った。職員室内に鞄は持ち込めない決まりになっているので、みんな入り口横に鞄を置く。テスト前なんかは山のように鞄が積まれていたりするのだが、今日は俺の他に二つあるだけだった。

 担任の教卓まで行くと、担任がお茶を啜っていた。コーヒー派の多い職員たちの中で珍しい緑茶派の担任。俺が来たのに気づくと、担任は湯呑みを置いてイスを回転させて俺に向いた。


「よぉ、霜原(しもはら )氷谷(こおりや )の代わりに日直ご苦労さん。これやる」


 そう言って担任は教卓の引き出しから小さな包みのお菓子を俺に差し出した。

 この担任は仕事をした生徒にたまにお菓子をくれるのだが、俺としてはなんだか餌付けされている気分だ。実際そうなのかもしれないが。

 俺はお菓子と入れ替わりに日誌を渡した。


「はあ、いただきます。あ、先生。三者面談の希望の紙、まだ残ってますか?」

「残ってるけど、お前はもう出しただろ?」

「無くした奴がいて、そいつに頼まれたんで」

「あぁ、パシリか」

「違うっす」


 即答した俺を担任は笑った。


「まぁ、見当がつくよ。あんな目の前で捨てられたら、嫌でも目につくっての。捨てるならもっと目立たないところでなってあいつに言っとけ。あと、そこに突っ立ってるの怪しいぞってな」

「はあ、言っときます」


 俺は適当に返事をして紙を受け取った。ついでにもう一つお菓子を受け取った。

 あの担任、案外抜け目がない。

 コーヒーの臭いが立ち込める職員室を出てみると、転校生はまだ立っていた。今にもゴミ箱をひっくり返しそうな様子だが、すでにその中のゴミは俺が捨てている。


「おい」


 俺は転校生にさっき担任からもらった紙を差し出した。


「え?」


 転校生はキョトンとして、俺が持っている紙を見た。


「ほら、なくしたんだろ」

「えっと……」

「いいから持ってけ」


 転校生に紙を押し付けて、俺は入り口横に置いた鞄を持った。転校生は混乱しているようだった。


「あ、あとこれ。担任から」


 小さな包みのお菓子を差し出すと、転校生はおずおずと手というか袖を差し出したので、掌の上と思われる場所に乗せてやった。転校生はますます混乱した様子でお菓子を見つめている。


「えっと、なんで?」

「担任から伝言。捨てるなら目立たないとこで。あと、そこにずっと突っ立ってるのは怪しいぞってさ」

「え……え、え、あの、な、なんで」

「じゃあな」

「あ、待ってよ!」


 歩き始めた俺を追って転校生が走って来たが、途中で足音が止まり、何か打ちつけるような音が背後で聞こえた。振り返ってみると、転校生が転んでいた。


「お前は……」


 思わずため息が出た。そのまま放置して行くのも気が引けたので、歩み寄って手を差し出した。


「ほら、いつまでも転がってんなよ」

「あぅ……顔打った」


 顔を片手で押さえながら、転校生はもう一方の手で俺の手を掴んだ。そのまま引っ張って半ば強引に立たせた。


「危なっかしいな、お前。なんだよ、何か用か?」

「あぅ……その、どうして?」


 転校生は目を泳がせながら尋ねてきた。俺は何と答えるか迷って、切れ切れに答えた。


「今日の朝、日直で日誌取りに来て、たまたま、捨てるとこ見てたから……」

「……なんでとか、聞かないの?」

「別に。聞いていいことじゃないと思うし、それはただの俺のお節介。迷惑なら、また捨てればいい」

「……ありがとう」


 転校生は渡した紙を丁寧に折り畳んで、鞄の中に入れた。俺はもういいだろうと思って踵を返した。階段を下りている途中、上から声が降って来た。


「あ、あの!」


 見上げると、転校生が手すりから顔を出していた。


「何?」

「えっと……朝の、カイロも……ありがとう!」


 転校生はそう言うと笑って手を振った。その手は、袖の下に隠れてもう見えなかった。俺はしばらく何も言わずに見上げていたが、手を振り返して階段を駆け降りた。

 早く外に出ようと思った。なぜか妙に顔が熱かったから。



* * * * *



 相変わらず雪の降る中登校し、教室に来るとカズがいつものように俺の席の前に座っていた。


「悪かったな、休んじまって」

「悪いと思ってるなら、今度ゴミ捨て当たったらお前が代われよ」

「へいへい、わかってるよ。あ、生物のノート見せてくれね?」

「あぁ、ほらよ」


 俺はカズにノートを渡した。


「うわぁ、相変わらずすげぇ量だな」


 ノートをパラパラと見たカズが嫌そうな顔をした。

 このクラスの生物を担当する教師の授業は、一時間の授業で板書する量が半端なく多い。普段ろくにノートを取らない奴は確実に腱鞘炎になる。普段から真面目に授業を受けているヒョウカでさえ、手が痛いとぼやいていた。


「あ、あと古文の宿題あった?」

「いや、予習してこいってだけ。つか、お前今日当たるぞ」

「うげ、まじで!? なぁ、お前やってきた?」

「一応。でも合ってる自信ない」

「まじかー……あ、ヒョウカ!」


 カズは教室に入って来たヒョウカに助けを求めた。


「何?」

「今日の古文の予習見せて!」

「いいけど、合ってるかわからないわよ?」

「全然大丈夫! ヒョウカなら信頼できるから」


 ヒョウカはやれやれと肩を竦めてため息をつき、自分の席に向かった。


「やっぱ持つべきは友だよなー」

「都合のいい奴」


 俺もため息をつきつつ、教室を見回した。

 そこで、ふと転校生の姿がないことに気がついた。


「あれ?」

「どうした?」

「いや……別に」


 言葉を濁した俺を見て、カズも教室を見回して俺を見た。その顔には嫌な笑顔があった。


「ははーん、もうすぐホームルームの時間なのにユキノちゃんの姿がないですなぁ」

「……そういえばそうだな」

「照れちゃってー素直に惚れたって言っちゃえばいいぼごぁ!」


 ヒョウカが戻って来たので、俺は咄嗟にカズの首を絞めた。


「あんたたちはいつも馬鹿やってて楽しそうね」


 ヒョウカは呆れたように言って、カズの机にノートを置いて自分の席に戻った。その後、すぐに担任が教室に入って来たので、俺はカズの首から手を離す。苦しそうに咳き込んでいたが無視した。


「はい、おはよーさん。出席取るぞ。お、今日は氷谷来てるな、大丈夫か?」

「げほっ、大丈夫っす」

「本当に大丈夫か? まぁ、いいけど他はいないかーじゃあ休みは如月一人だな。今日は連絡するようなことないからホームルームはこれで終わりな」


 担任が教室を出て行き、クラスがざわつき始めた。いつもの休み時間の風景だ。


「あの子が休みだから気になるだろ?」

「そんなんじゃねぇよ」


 ニヤニヤしながらカズが言うので、俺はため息をついて答えた。


「トシちゃん素直じゃないねー」


 本気で殴りたくなった。



 

 放課後、じゃんけんで負けた俺はまた掃除のゴミ捨て担当になってしまったので、さっそくカズに押し付けた。渋々ゴミ捨て場に向かったカズを見送った後、今度は担任に呼び止められた。


「悪いなーせっかくゴミ捨て役回避したのに。茶飲むか?」

「いや、別にいいっす」


 職員室で担任は傍らに立つ俺にそう言ってきたので、俺は首を振った。担任は隣のクラスの担任がいないのをいいことに、俺に隣の席の椅子に座るよう勧めてきたので、遠慮がちに腰を下ろす。

 放課後の職員室には生徒の姿もちらほら見られた。部活が始まっているので、顧問になっている職員の姿はない。


「呼んだのはちょっと頼まれて欲しいことがあるんだよ」

「何すか?」


 担任は教卓の上の封筒を俺に差し出した。封筒には転校生の名前が書かれてあった。


「それ、如月の家に届けてほしいんだ。早めに届けた方がいい書類でさ。今日、風邪で数日休むみたいな連絡が来たらしくてな」

「はあ。でも俺、あいつの家知らないっすよ」

「住所書いた紙を渡すよ。お前の家の近くだったから、頼もうと思って」


 担任から紙を受け取って見ると、確かに俺の家の近くの住所が書かれてあった。


「じゃあ、渡してきます。今日中の方がいいっすよね?」

「助かるよ、褒美にいつもより多めにお菓子をやろう」


 そう言って担任は、ビスケットの箱を差し出してきた。多めというレベルじゃない。


「いや、こんなにはいらないっす」

「まぁ、いらなかったら、如月に食わしてやってくれ。じゃあ、頼んだぞ」


 担任はそう言って手を振った。俺は軽く一礼して職員室を出た。ビスケットの箱と封筒を持って教室に入ろうとした時、丁度ゴミ捨てから帰って来たカズに遭遇した。


「よっ、先生なんだって?」

「ただ届け物頼まれただけ。今日の帰りに届けてくれって」

「ふーん、誰に?」


 俺は少しだけ言おうか迷って、結局言うことにした。


「転校生。俺んちの近くに住んでるんだって」

「ほほぉ」


 聞いた途端、カズはまたニヤニヤしだした。


「チャンスじゃん」

「……何が?」

「この野郎、わかってるくせにぃ!」


 そう言ってカズは俺の肩に手を回した。

 やっぱり言うんじゃなかった。

 俺はしつこくくっついてくるカズを引き剥がして、荷物を持った。これ以上カズの相手をするのは面倒だ。さっさと帰ろう。


「じゃあな」

「おう、ユキノちゃんによろしくな!」

「うっせ」



* * * * *


 

 転校生が住んでいるらしい住所のアパートと俺の家の間には、一軒の空き家があるだけだった。思ったより近いことに驚いた。朝、登校する時に会わなかったのが不思議なくらいだ。

 部屋の番号を確認してドアの前に立つ。なんとなく緊張しながらインターホンを押した。部屋の中から小さくベルの音が聞こえて、しばらくは何の反応もなかった。もう一度インターホンを鳴らそうと手を伸ばした時、ドアのカギが開く音がした。手を止めてドアを見ると、ドアがゆっくりと少しだけ開いた。


「あの……どうしたの?」


 中から転校生が小さく顔を出して掠れた声で言った。心なしか、顔色が悪く見える。


「届け物頼まれた、担任から」

「先生から?」

「なんか早めに渡さないといけない書類だってさ。お前、しばらく休むって連絡したんだろ? それで頼まれた」

「そ、そう……あ、よかったら入って。お茶とか」

「別にいいよ、ただ届けに来ただけだし」

「してもらってばかりで悪いし、それにわざわざ寄ってもらったし、ね?」


 食い下がる転校生に根負けする形で俺はお邪魔することになった。病人の家にお邪魔するのはなんとなく気が引けたが、いくら断っても食い下がってきそうな様子だったので、ここは大人しくしておくのが無難だろう。

 玄関を抜けてキッチンを通った奥に、八畳ほどの居間があった。円形の小さなテーブルと収納家具が置かれているだけの部屋で、窓際に布団が敷かれていた。隅には段ボールと鞄が置かれ、壁には制服が掛けられていた。

 俺は少しの間突っ立っていたが、転校生に促されて座った。傍には、小さな電気ストーブが置かれている。少しして転校生が湯気の立つマグカップを一つ持ってやって来た。

 どことなく足元が覚束ないように見えるのは気のせいだろうか。


「お茶、どうぞ」

「悪いな、病人なのに」

「い、いいよ、気にしなくても」

「あ、これ。届け物」


 俺は封筒を差し出すと、転校生はおずおずと封筒を受け取った。


「……ごめんね。わざわざ」

「別に、家近いし」

「え、そうなの?」

「二つ隣」

「ま、まじですか?」

「まじっす」


 数日前と同じようなやり取りをして、俺はそういえばと鞄の中から担任にもらったビスケットの箱を取り出した。


「あと、これも」

「え?」

「それも担任から。悪いな、俺も何か見舞いのもの持って来れたらよかったんだけど」

「い、いいよ! そんな気を使わなくても」


 慌てたように言った拍子に、転校生は苦しそうに咳をした。


「寝てなくて平気なのか?」

「うん、熱は下がったから」

「飯とか薬はちゃんと飲んでるか?」

「……う、うん」


 答えるまでの間が気になった。


「本当か?」

「あぅ……ほ、本当だよ!」


 なんだか怪しい。

 この様子だと、本当に熱が下がっているのかさえ怪しくなってきた。


「正直に言えよ、別に怒らないから」


 そう言うと、転校生は俯いたまま小さく首を横に振った。俺はため息をついて、転校生の頭を一発、病人なのを考慮して軽く叩いた。


「あいたっ」

「お前、ちゃんと飯食べて薬飲んで寝てないとダメだろ」

「なんで叩くのよぅ!」

「熱は?」

「あぅ……えっと」

「本当に下がったのか?何度だ?」


 転校生はしばらく黙っていたが、ぽつりと呟くように答えた。


「……三九度七分」


 もう一発叩いた。


「あいたっ」

「熱下がってないじゃないか」

「お、怒らないって言ったのにぃ!」


 頭を押さえて転校生は涙目で訴えたが、俺は知らないふりをした。


「そういえば、お前の親は?」

「え?」

「いくらなんでも、風邪引いてる子供放置して出て行かないだろ。ご飯とか薬置いて行ってくれなかったのか?」

「……あの、お母さん、忙しいから」

「忙しいにしても」

「私が一人で大丈夫って言ったから!」


 急に転校生が声を上げたのに驚いて、俺は少し言葉に詰まった。


「……何か気に障ったこと言ったなら、謝る」

「あぅ……えっと、なんでもないの。ごめんね」


 そう言うと、転校生は俯いて黙ってしまい、俺はさらに困ってしまった。


「なんか……よくわからないけどさ。お前無理してないか?」

「……」

「……とりあえず、食べるものは何かあるのか?」


 話題を変えようと尋ねると、転校生は俯けていた顔を上げてキッチンの方を見た。


「……えっと、ご飯冷凍してあるのが冷凍庫に、あと野菜とかが少し冷蔵庫に入ってるかな」

「今日は、何か食べたか?」


 もう夕方だ、さすがに何かしら食べているだろう。だが、転校生は首を小さく振った。


「何も、食べてないのか?」

「……だるくて、ずっと寝てたから」

「薬も……飲んでないよな」

「あぅ、ごめんね」


 項垂れた俺を見て転校生は申し訳なさそうに謝った。


「とにかく横になってろ。迷惑じゃなきゃ何か作ってやるから、それ食って薬飲んで寝ろ」

「え!? そんな……悪いよ」

「病人は遠慮するな。味なら心配ない、家で飯は作ってる」


 それから転校生を無理やり布団に寝かせて、俺はキッチンに立った。材料はあるようだから、雑炊でも作るか。


「お前、何か食べられないものとかないよな?」


 聞くと、布団の中からひょっこり顔を出した転校生が頷いた。


「なんか……トシキ君ってさ」


 転校生が何か言いかけたので、振り向いた。


「俺が、何?」

「……お母さんみたい」


 なぜかすごく嬉しそうに転校生は笑った。




 出来上がった雑炊をテーブルに置いて転校生を見ると、布団を深く被っていて顔が見えなかった。寝たのだろうか。


「起きてるか?」

「……起きてりゅ」


 口が回ってない。


「できたぞ。あと、薬はあるのか?」


 転校生はのそのそと布団から起き上がって、部屋の隅の鞄を引きずり寄せて小さな箱を取り出した。よく薬局に売っているタイプの風邪薬だった。


「薬あるんならいいや。じゃあ、食っちまえ、食わないと薬飲めないし」

「……いただきます」


 転校生は遠慮がちに手を合わせて、ゆっくり食べ始めた。


「味、薄かったりしないか?」

「ううん、美味しいよ」


 その答えに俺は少し安心した。

 心配ないとは言ったものの、家族以外の人に料理を一人で作るのは初めてだった。


「トシキ君って料理上手なんだね」

「いや、これぐらいは上手いって言えないだろ」

「そんなことないよ、美味しいもん」


 そう言いながら、転校生はのんびり雑炊を消費していく。


「そういえば、トシキ君はこの時間までいても大丈夫なの? お家の人心配しない?」


 時計を見ると、六時半を指していた。


「別に俺んちは平気。お前の方こそ、親帰ってきたりとかしないか? 迷惑なら俺もう帰るけど」

「ぜ、全然迷惑とかないよ!」


 転校生は慌てたように答える。

 迷惑だったとしてもそんなこと面と向かって言う奴はいないし、病人の家に長居するのは悪い。せめて薬を飲ませてから帰ろう。


「ごちそうさまでした」


 しばらくして、食べ終わった転校生は、手を合わせた。


「お粗末さま」


 俺は水の入ったコップを薬と一緒に差し出した。


「片付けとくから、飲んで寝ろ」

「なんか……いろいろごめんね」

「気にすんなって」


 俺は食器を持ってキッチンへ向かった。さっさと洗い物を済ませて居間に戻ると、転校生は薬を飲み終えていた。俺はコップの横に水差しを置いた。


「喉乾いたら水分取っとけよ」

「本当にごめんね、お手数かけます」

「別にいいって、早く寝とけ」


 布団に入るよう促して、転校生は布団を深く被り直した。


「あの……もう帰る?」

「そのつもりだけど」

「もうちょっと……いてもらってもいい?」


 一瞬言葉に詰まった。


「……別に、いい……けど」

「……ごめんね」


 俺は布団の横に胡坐を組んだ。


「あの……トシキ君、聞いてもいい?」

「あー……トシでいいよ。なんか呼ばれ慣れてないから変な感じがする。で、何?」

「……えっと、トシ君はなんで私に声かけてくれたの?」

「え……」


 無意識に両肩が強張った。


「転校初日で、しかも朝に変なことしてるの見てたのに」


 雪の中を転げ回っていたことを言っているのか。確かにあれは忘れようとしても忘れられないような光景だったけど。


「普通なら変な子だと思って引いちゃうんじゃないかなって、ずっと不思議だったの。それに、転校してきてすぐでほとんど話したことないのに、お見舞いきてくれたし」

「なんていうか……気になったから」

「引かなかった?」

「別に」

「……トシ君はいい人だね」


 転校生はそう言って笑った。俺は咄嗟に目を背けた。


「……別に」


 その時、ポケットの携帯が鳴った。カズからのメールだった。


『ユキちゃんとは何か進展あったか?(笑)』


 あの野郎、明日学校であったら一発殴ってやる。

 俺がメールの返信を止めて携帯を閉じた時、服を引っ張られた。見ると、転校生が俺の服の袖を小さく掴んでいた。

 今度は全身が強張った。


「っ!」

「……ありがとう」


 そう言うと、転校生は目を閉じた。俺はしばらくそのまま固まっていたが、やがて転校生の寝息が聞こえてきた。


「……寝たのか」


 俺はため息をついたが、体の力は抜けなかった。手を離そうとしたら起こしてしまいそうで動けない。


「参ったな……」


 とりあえず、親の携帯に遅くなるとメールを送っておいた。どうせ近いんだから、少しくらい遅くなってもすぐ帰れるだろうし。携帯から視線を外して、転校生を見るとよく寝ているようだった。

 しばらく静かな部屋の中で、転校生の寝息を聞いていたらこっちも眠くなってきた。寝たらまずいなと思いつつ、俺は目を閉じてしまっていた。



 どれくらい経ったのか、不意に覚醒した。座ったままで船を漕いでいたようだ。


「やべ……寝てた」


 そう呟いて、布団を見ると転校生はまだ寝ていた。袖を掴んでいた手はもう離れていた。

 そこでふと、肩に何かが乗っているのに気づいた。見ると、毛布がかかっていた。


「あれ……?」


 俺はぼんやりした頭で考えた。掛けた覚えはないし、転校生も起きた様子はない。

 そして気づいた。

 俺が来た時についていなかった部屋の明かりがついている。振り返ると、キッチンに誰かが立っていた。


「あら、おはよう」

「……えっと、おはようございます」


 とりあえず俺は小さく頭を下げた。

 エプロンをつけた女の人は洗い物をしていたらしく、タオルで手を拭きながら歩いてきた。


「ごめんなさいね。仕事でさっき帰ったところなの。起こしちゃったかしら?」

「いや、こっちこそ勝手に上がっちゃって、しかも寝ててすいません」


 すると、女の人は笑いながらエプロンを外し、テーブルを挟んで向かいに座った。


「いいのよ、ユキのお見舞い来てくれたんでしょう? ありがとう」

「お見舞いってほどのことは……ただ担任から届け物頼まれたついでで」


 そこまで言いかけて、突然袖が引っ張られた。見ると、また転校生が俺の袖を掴んでいる。まだ起きてはいないようだった。そんなに袖が好きなのか。


「同じクラスの子かしら? お名前聞いてもいい?」

「えっと、霜原トシキです。如月とは同じクラスで、近所に住んでます」

「あら、そうだったの。ごめんなさいね、転校してこの子すぐ風邪引いちゃったから。この子、そんなに体弱くないはずなんだけど」

「……まぁ、この季節は風邪引きやすいですし」


 朝に雪の中を転げ回っていたからだろうなんて言えない。


「聞いてもいいかしら? この子、学校ではちゃんとやってる?」

「はぁ……ちゃんとやってると思います。普通にクラスの奴とも話したりしてましたし」

「そう? それならいいんだけど……この子私に心配かけないように無理する時があるから。仕事で忙しくてなかなか家にいてあげられないのもあるんだけど」

「……そうなんすか」


 あいつが面談希望書を捨てたのはそのせいか。


「でも、よかったわ。トシキ君みたいにお見舞いに来てくれる友達ができたなんて。これからもこの子と仲良くしてあげてね」


 こう言われると、こっちとしては反応に困る。なんとなく気恥ずかしい。


「ところで、時間は大丈夫? お家の人、心配しない?」


 言われて時計を見ると十時を回っていた。大分寝ていたらしい。


「あ……そろそろ帰ります」


 さすがにもう居座るわけにはいかない。袖から転校生の手を静かに引き離して、玄関に向かった。


「今日はありがとうね。気をつけて帰ってね」

「お邪魔しました」


 一礼をして、俺は転校生の家を出た。

 外は晴れていて星がよく見えた。冬は一年の中で一番星が綺麗に見える季節だとか聞いたことがある。俺にはよくわからないけど。

 そうして空を見上げながら歩いて家に着いた俺は、家に入った途端父親にこっぴどく叱られる羽目になった。



* * * * *



 その次の日、教室に入るなりカズに捕まり、発展はなかったかだの、何をしてきたんだのいろいろ聞かれたが、とりあえず鬱陶しかったので一発殴っておいた。

 当然ながら、その日転校生は来なかった。

 その次の日も転校生は来なかった。

 そうして日曜が過ぎ、月曜日がやってきた。週明けの日は朝からなんとなく憂鬱になる。雪は降っていなかったが、空はどんより曇っていた。

 家を出て学校へ向かう途中、転校生のアパートの前を通った。なんとなく気になっていたが、あれ以来見舞いには行っていない。今日は来るだろうか。


「……なんでこんな気になってんだか」

「何が?」


 つい口から洩れた独り言に対する声があって足が止まった。アパートの前に、コートとマフラー装備の転校生が立っていた。


「お前……もういいのか?」

「うん、ばっちりです!」


 転校生は笑って敬礼をした。相変わらず、セーターが長いせいで手が見えない。防寒のつもりなのか、あまり意味はないと思うけど。


「えっと……この前はお見舞いありがとう、あのまま寝ちゃってごめんね」

「いや、病人は寝ないとダメだろ」

「あぅ……でも、本当にありがとう。風邪の時に一人って寂しかったから嬉しかった」

「いや、別に……早く行くぞ」

「え、一緒に行ってもいいの?」

「……別に」


 そう言って歩き出すと、転校生は少し後ろをついて来た。


「……なんで後ろ?」

「あぅ、えっと、なんとなく」


 隣を歩かれるのも恥ずかしいが、これはこれで恥ずかしい。

 しばらく二人で無言のまま歩いていたが、校庭が見え始めた頃、転校生が口を開いた。


「あ、あの、私が休んでる間、何かあった?」

「何か?」

「えっと……何か……うーん」


 転校生は考え込んでしまった。聞き返したのがまずかったか。


「特に何も……授業なら残酷なほどに進んだけど」

「うぅ……今度ノート見せて下さい」

「別にいいけど、俺よりヒョウカの方がいいんじゃないか?」

「ヒョウカちゃんに悪い気がして……」

「俺ならいいのかよ」

「あぅ、そういうことじゃなくてね!」


 転校生は慌てたようにセーターの袖を振って駆け寄って来た。走ると転ぶぞ、と言おうとしたその時、転校生の足が雪に取られた。


「っ!」


 俺は咄嗟に転校生の手を取った。こっちも一緒に転びそうになって、引っ張って無理やり体勢を立て直させた。朝から雪まみれだなんてごめんだ。


「大丈夫か?」

「あぅ、ごめんね」

「普通の道だと思って歩いてると転ぶぞ、今みたいに」

「き、気をつけます」


 そこで手を掴んだままなのに気づいて、慌てて離そうとした時に後ろから肩を叩かれた。


「朝からお熱いですねー」


 振り向いた先にはカズのニヤニヤしたあの顔。


「なっ……!」

「早くもユキちゃんと一緒に登校ですかー? 羨ましい限りですねートシもなかなかやりますなーごゆっくりー」


 そんなことを言いながら、カズは信じられない早さで足場の悪い雪道を駆けて行った。


「ちょ、待て、カズ!」


 叫ぶが、時すでに遅し。

 カズの背中は角を曲がって見えなくなってしまっていた。あの野郎……。


「えっと、トシ君?」


 呼ばれてハッとした。まだ転校生の腕を掴んだままだった。


「あ、悪い」

「いや、むしろ悪いのは私で!」


 転校生はまた袖を振った。


「悪いな、あいつに言っとくから、というか口封じしとくから」

「え?」

「……誤解されたら、迷惑だろ?」


 あいつのことだ。付き合ってるの何だのと言い触らすに違いない。転校して早々そんな噂を流されたら大変だろう。


「あ、あの!」


 転校生は突然声を上げた。驚いて見ると、片方のセーターの袖から手を出して俺の方に差し出していた。


「め、迷惑とか、思ってないから! あ、あの……よかったら、と、友達に、なってくだしゃい!」


 どもりながらそう言った転校生の顔は真っ赤だった。おまけにちゃんと言えてなかった。俺が言ったことをちゃんとわかっているのだろうか。というか友達って、今更な気がする。


「……べ、別に、いい……けど」


 俺までどもった。気のせいか顔が熱い。


「……やっぱりトシ君っていい人だね」

「……別に」


 差し出されていた転校生の手を取った。凍っているのかと思うくらい冷たかった。手袋ぐらい着けたらいいのに。


「トシ君の手温かいね。やっぱり心が温かい人は手も温かいんだね」

「逆じゃないか、それ?」

「そんなことないよ」


 転校生はそう言って笑った。


「じゃあ、学校行こう」

「あ、おい!」


 手をつないだまま歩き始める転校生の手を引いて立ち止らせた。


「どうしたの?」

「いや、どうしたのじゃなくて……」


 すぐそこの角を曲がれば学校前の通学路。今の時間なら生徒がわんさか歩いている。


「早く行こうよ、トシ君。遅れるよ?」


 急かすように手を引く転校生を見ていて、なんだか一人で気にしているのが馬鹿らしくなってきた。


「手、外に出してたら寒いだろ」

「トシ君の手が温かいから平気だよー」


 俺の手はカイロじゃないんだが。


「病み上がりなんだから無理すんな」


 俺はそのまま転校生の手ごとコートのポケットに手を突っ込んだ。中にはカイロ入り。冬の間の小さな要塞、登下校の味方だ。


「おぉー温かい」


 転校生は顔を綻ばせて呟いた。呑気な奴。


「今度ポケットにカイロ入れとけよ、あると大分違うから」

「そうだね、これなら外で雪触っても平気だよね」


 風邪を引いて尚雪遊びをするというのかこいつは。


「今度雪だるま作りたいなー。トシ君、一緒に作ろうよ」

「何で俺が」

「じゃあカズマ君とヒョウカちゃんも誘おうよ。私、二人ともお友達になりたいな」

「……じゃあ、今度な」

「あ、それからお友達記念にひとつお願いがあるです」

「何?」

「私のこと名前で……あ、ユキって呼んで欲しいです」

「え……呼んだことなかったっけ?」

「ないよ! お母さんにも如月ってしか言ってなかったでしょ?」

「あー……そうだっけ」

「お友達記念に名前で呼んで欲しいな、駄目かな?」

「……別に呼び方なんてどうでもいいだろ。ほら、早く行くぞ。遅刻する」

「あぅ……なんでよぅ」


 俺は転校生の手を引っ張るようにして足を速めた。

 二人分の手を突っ込んだポケットの中には、カイロの温かさと握った手の冷たさがあった。

 いつもなら歓迎しない冷たさが、今はなんだか心地よかった。

 雪が降り始めた空を見ながら、俺は氷のように冷たいユキの手をぎゅっと握りしめた。

2009.9 大学サークルの文化祭時発行の合同誌『桜葉紅雪』掲載。

2012.3 一部修正。


テーマ【冬】

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