白の記憶
人の死に初めて触れたのは、私が五歳の時だ。
土曜日だったか、日曜日だったか。
私は保育園に行かない子供だったので、曜日の記憶は曖昧だ。
ただ、祖父の部屋で遊んでいた私を母が呼び出し、白いポロシャツとサスペンダー付きの半ズボンを渡してすぐに着替えろと言った。
私はコレは嫌だとサスペンダーを嫌がったが、「我慢しなさい。すぐだから」と、母に強引に付けられた。
見慣れない黒い服を着た母は何やらひどく急いでいて、何が何やら状況が飲み込めない私を車に乗せた。
一体どこに行くのかと聞いても母は真っ直ぐ前を向いたままで、何も教えてくれなかった。
車はやがて隣町の小さな港の近くに着いた。
堤防がすぐそばにあって、川や橋が近い家だったと思う。家の前にあったのは多分柿の木だ。
そこには母と同じように黒い服を着た知らない大人が大勢いた。
私は小さな部屋で遊んでいるよう母に言われ、その部屋にあったおもちゃで遊んだ。
しばらくして母に呼ばれ、私は手を引かれて大人たちの間を歩いた。
小さな白い箱。
白い花。
中には友達が入っていた。
小さな友達の目を閉じた顔を見て、私は白いなあと思った。
幼かった私は、まだ人の死を理解する事が出来なかったのだ。
私がその時何と言ったのかは覚えていない。
しかし、数年後に私が不意にその時の事を思い出し、母に聞いたところ、私は「なんで起きんがけ? 寝とんがけ?」と友達の棺を覗きこんで言ったという。
その言葉を聞いて、友達の母は「もう起きんげんよ」と悲しげに笑ったらしい。
私が初めて人の死に触れたのは友人の葬儀だった。
友人の名前は忘れてしまった。
名前は思い出せないくせに、彼の顔や彼の好物は覚えている。
友人と知り合ったのは、保育園とか、親同士の付き合いとか、そう言った健全な場所ではなく病院の小児科入院棟だった。
今でもそれほど体が丈夫な方ではないが、当時の私はそれはもう病弱な子供で、すぐに熱を出しては肺炎だの喘息だのをこじらせ小児科入院棟の常連だった。
そんな私と彼が、どんないきさつで知り合ったかは不明なのだが、大方、母親同士が売店か薬局で知り合ったのが先であろうと思う。
彼は六人部屋に入院していた私と違い、小児科棟の一番奥の個室で寝起きしていた。
生まれて初めてバタートーストを食べたのは彼の部屋で、バターの美味しさに感激した。彼はバタートーストが好物だった。
彼はいろんなおもちゃを持っていて、私はそれをうらやましがった。
だが、今なら分かるのだ。
一番奥の個室が割り当てられていたと言う事は、それほど病状が重いという事であり。
たくさんのおもちゃを持っていたと言う事は、それだけ入院生活が長いという事なのだ。
彼はわりと意地悪な奴だったと思う。
印象がうっすらと残っているのでそんな気がするのだが、所詮おもちゃを貸してくれないとか、その程度の事だろう。
覚えているのは、二人でぬり絵をしたり、テレビでアニメを見たりしていた事だ。
ああ。今もう一つ彼の事を思い出した。
彼は吸入器を口につけながらチョコレートを食べていた。
彼のいろんな事を覚えているのに、なぜだろう。
名前だけがどうしても出てこない。
場面を彼の葬儀に戻そう。
私はまた小さな部屋に戻り、彼の遺品となったおもちゃで遊んだ。
しばらくした後、私の母と彼の母が来て、彼の母が「それ持っていかれ」と言った。
ライオンに変形するロボットは、彼のたくさんのおもちゃの中でも特に私のお気に入りで、私はひそかにこのロボットを狙っていた。
私は無邪気に喜んだと思う。
帰り際、私はロボットを大事に抱え、母の車に乗り込んだ。
車が堤防に上がったところで、誰かが追いかけてきた。
「だっか来るよ」
私がそう言うと、母は車を路肩に止めた。
追いかけてきたのは友人の兄だった。
追いついた友人の兄は、私の乗った助手席の窓を軽くノックした。
私の代わりに母が身を乗り出して助手席のハンドルを回して窓を下げてくれた。
友人の兄は、小学校三年生か四年生くらいの年だったと思う。
無言で手を突き出し、私にオレンジ味の棒付きキャンディをくれた。
私は振り返って母を見た。
「ありがとうは?」
「お兄ちゃんありがとう」
友人の兄は何も言わず、そのまま走って家に戻って行った。
季節は夏で、空までも白かった。
「食べてもいいが」
母は「いいよ」と言ったので、私はさっそく透明なビニールを破り、キャンディを口に入れた。
何も理解できない私は、欲しかったおもちゃを手にいれ、キャンディまでもらって上機嫌で家に帰り、今日あった出来事を祖父と祖母に話したのだ。
それから一年後の事だ。
またも私は唐突に母に呼ばれ、ポロシャツとサスペンダー付きの半ズボンに着替えさせられた。
向かった先は、去年友人の葬儀を行ったあの家だ。
あの日のように、私は母に手を引かれ、白い棺の前に立った。
中で眠っていたのは友人の兄だった。
去年、夕方の堤防を走って車を追いかけて、無言でキャンディを渡して一言も交わさずに去って行った友人の兄が、静かに横たわっていた。
私は初めて人の死を知った。
あのお兄ちゃんが、どうして死んだのか私は知らない。
多分、友人と同じく体が弱かったのだと思う。
大きなショックを受けた私は泣きながら母に、
「ボクも死ぬが? お母さんも死ぬが?」
と聞いた。
母がどうやって私を落ち着かせたかは覚えていない。
覚えているのは、その日も友人の葬儀の日のように、空が白かった事だ。
帰り道、去年キャンディをもらったあたりで、私は後ろを振り返った。
あの日、走っていた人は死んでしまった。
その事が信じられなかった。
その日の夕飯はオムライスだった。
それから十五年ほど、私は彼の事も、彼の兄の事も思い出す事はなかった。
私は大学生になり、親元を離れて暮らすようになった。
そんなある日、大学のキャンパスを歩いていて、夏の白い夕暮れを見上げた時、死んでしまった友人の事を思い出した。
私と同い年だった彼も、私と同じく生きていたのならば大学生になっていたのだろうか、と。
その日、私は母に電話をし、名前も忘れた彼の事を話した。
今でも時折、キミの事を思い出す。
きっかけは白い空だったり、オレンジ味のキャンディだったりするが、私の想像の中のキミは、白い病室でもなく、白い小さな棺の中で花に埋もれているのではない。
私と同じように、学校に行き、友人と笑い、将来を探し、恋を知り、額に汗して働く成長したキミの姿を想う。
キミよ。
キミの兄よ。
私はあなた達の事を永遠に忘れぬ証明に筆を執る。
それが私にとって、私が出来る最高の手段であり、今の私を知らせる最良の手段であると信ずるから。
どうか天国で安らかに。
―― 終




