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朝に見た奇妙な夢の話

掲載日:2026/10/11

 とある団地の一室で暮らす私が、朝起きてふとベランダの方を見ると、そこに何故か一人の少女がいた。

 見た目は大分若い。まだ学生さんであろうか。なにか不機嫌になることでもあったのか、少女はカリカリした雰囲気を纏ってうちのベランダをうろうろと歩き回っている。


 うちのベランダを、である。


 勿論、私にはその顔に見覚えがない。間違いなく赤の他人である。それがなぜうちのベランダに? と、訝しんでつい見つめていると、見ていることを向こうに悟られてしまったようだった。

 吊り上がる目がキッとこちらを睨みつけ、その口は明確な威嚇の意図の込もった堂々たる舌打ちの仕草をキメた。


 怖い。

 なんだあれ。


 このような時は、とにかく知らんぷりを決め込むに限る。触らぬ神になんとやらの精神で、少女の存在を意識しないよう努めていると、いつの間にかベランダの少女は青い服の警官に取り囲まれていた。


 流石日本の警察は仕事が早い。通報をする前にもう駆け付けてくれた。

 そして国家権力が味方についた以上、最早怖いものはないのであった。

 私は抑える必要のなくなった野次馬根性を大いに発揮し、部屋の中から事の顛末を見届けることにした。


 しかし現れた警官達は、彼らに向かってなにやらギャーギャーとわめく少女を中々連行しようとしなかった。何故だ。公僕ならば職務は可及的速やかに遂行して欲しいものである。事情聴取を行うにしても、うちのベランダでやることはないではないか。


 そこで私は、理由を究明するべく普段することのない頭の使い方をした。つまり推理をしたのだ。

 もしや、あのなにか喚いている少女は、「自分はこの部屋の住人である」とかなんとか出鱈目千万の主張をぶち上げているのではなかろうか。きっとそうだ。だとしたら警察が中々少女をしょっぴかない理由に説明がつく。押しかけた家で無実の家人をしょっぴいてしまったら、桜の紋に疵がつこう。現代日本警察に『疑わしきは罰せよ』式の強権を振りかざす力はないのだ。

 全ての謎は解けた。なので私はベランダの出入り窓を開け、短く一言で事実を告げた。


「その人全然知らん人です」

「なんでそういうこと言うわけ!?」


 秒で少女が矛先をこちらに向けてきたので、私はすぐに頭を引っ込め、出入り窓をピシャリと閉めた。怒る女はおっかない。

 そしてなんと、私の当てずっぽうは正しかったようだ。それが証拠に、程なくして少女と警官達はベランダから姿を消した。なんでも言ってみるもんだ。問題解決。よかったよかった。


 無事に話が片付いて、ベランダはようやくすっかり見通しがよくなったのだが、すると今度はどうにもその先にある向かいの棟の様子が気になり始めた。なぜだろう。

 と、様子をうかがう私の前で、向かいの棟の窓の全てが一斉に開いた。

 そしてなにやら、蟻がうぞうぞと巣穴から湧き出すような具合で、無数の人間が開いた窓から部屋の外に這い出てくるではないか。


 はて、うちの団地ってあんなに人が住んでいたかしらん?


 首を傾げてそれを見守る私の前で、窓の外に出た人々は、まるで組体操のようなことをし始めた。狭い欄干の手すりを平均台の足場のように使って、人の上に人が次々とショルダーオン。人のハシゴは高く高く積み上がっていく。やがて十分な高さになると、それはまるではしご車がはしごをかけるような具合でゆっくりと角度を傾けてきて、ついに向かいの棟とうちのベランダを人のハシゴが繋いでしまった。そのハシゴを伝って、招いてもいない人々がベランダに押し寄せてくる。

 そしてやってきた人々は、動物園の檻でも覗くような態度で部屋の中を覗くと、まるで私に聞かせるような大声でこんなことを言うのだった。


「いやだ。ちゃんと掃除してるのかしらこの部屋」


 でっかいお世話である。そんなことを知らん人達に心配される筋合いはない。

 流石にカチンときてしまったが、しかし言い返すより先にひとまずやることがあった。窓にちゃんと鍵がかかっているか確かめなければならない。

 百歩譲ってベランダから好き勝手言われるのにはまあ目を瞑るとしても、この無礼で非常識な人々に部屋の敷居を跨がれるのだけは絶対に御免であった。

 そして確かめてみると、やはりというか、窓は施錠されていなかった。というか施錠された窓がなかった。部屋が三階ということもあり、そもそも窓に鍵をかけるという習慣が元から存在しないのだ。

 私は手早く全ての窓をしっかりと施錠した。どうだ。これでもう入っては来られまい。

 これで安心。


 と、思うと同時に。


 窓に鍵がかかっていなかった、という事実は、私に新たな不安を抱かせた。

 不安は、すぐにベランダにいたあの少女の形をとった。

 

 もしや、あれはすでに私の部屋に上がり込んだ後だったのではないか。部屋はすでに見知らぬ他人に上がり込まれていたのではないか。

 昨晩から今朝起きるまで、私が呑気に寝ている横で、あの少女は私の部屋を無料ホテルよろしく好き勝手に使っていたのではあるまいか。


 そんなことを疑いだすと、突然今まで気にもしていなかった部屋の様子に、自分以外の人間の痕跡が残っているような気がしてくる。

 よもやよもやだ。

 まさか現金始め、家にあるなけなしの貴重品を、あの少女がアメニティよろしく好き放題に持って帰ってしまったなんていうことは――

 


 と、慌て始めたところで、私は目を覚ました。

 話の頭ですでに断っているように、ここまではまったく奇妙な夢の話である。


 そして、起き抜けにそんな奇妙な夢を振り返った私の寝ぼけ頭は、妙な方向へと推理力を働かせ始めるのだった。


 最初ベランダにいた少女。

 あの少女はもしや、寝ている人にエロい夢を見せるということで有名な、サキュバスという妖怪ではなかったのだろうか。


 なぜ思考がそんなところに繋がったのか、理由は自分でも定かではない。

 しかしそう考えてみると、夢の少女のあの獰猛なイラつき具合になんとなく説明がつくような気がするのだ。


 恐らくサキュバスは、私をちょろい獲物と見て夢に現れた筈である。

 その観察眼は全く正しい。

 自慢ではないが、私は今でも手を握られるだけで「はーんコイツ私に気があるな?」というハッピーな勘違いをできるタイプの純情派である。おかげで世の中が生き辛くて仕方がない。

 そんな私であるから、きっと本来その籠絡は赤子の手をひねるが如く容易なものであったろう。普段ならば。


 時期が悪かった。


 昨今のニュースで連発される、個人情報の盗難事件。それに影響を受けて、私の無意識は恐らく警戒心を高めてしまっていたのだ。そしてその警戒心は夢に窓という敷居を作り、サキュバスの侵入を防いでしまったのではなかろうか。

 だからこそあのサキュバスの少女は、忌々しげな顔をしてベランダをうろつくだけで、それ以外にはなにもできなかったのであろう。


 いや、そうに違いない。

 なぜならそう思った方が夢が楽しくなるからだ。


 しかし、そう考えると同時に話は少しばかりの世知辛さも帯びる。

 人が夢の中にさえすぐセコムを入れてしまう現代は、その種の妖怪が全く住みにくい時代であるに違いないのだから。


 次来た時は、部屋の中に入れてやろうか。

 などとも思いながら、今私はひとまず今夜からの窓の施錠を考えている。

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