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第二章『屋上にて――天才と秀才の邂逅』

放課後のチャイムが鳴った瞬間、悠真は欠伸をひとつ噛み殺した。


机の中のメモを指先で弄ぶ。氷室環奈の几帳面な文字。インクの太さが均一で、筆圧のブレがない。これだけで書いた人間の精神状態が読める――冷静で、迷いがなく、覚悟が決まっている。


つまり、逃げても無駄だということだ。


「悠真ー、帰りにコンビニ寄ってかね?」


田中が鞄を肩にかけて声をかけてきた。


「ああ、悪い。今日ちょっと用事」


「用事? お前に用事なんかあんのかよ」


「ひでぇ言い草だな……」


平凡テンプレートD――困惑と苦笑の混合。田中は笑いながら「じゃーなー」と教室を出て行った。


悠真は教室に残る生徒たちが疎らになるのを待ってから、静かに席を立った。


屋上へ続く階段は、夕方の斜光が差し込んで埃が金色に舞っていた。


重い鉄扉を押し開けると、春の風が正面から吹きつけた。


フェンスに背を預けて、氷室環奈が立っていた。


制服のスカートが風に揺れている。西日を受けた黒髪が、昨日と同じ琥珀色の光を帯びていた。しかし昨日と違うのは、その表情だった。廊下で見せたメスのような冷徹さではない。どこか――熱を孕んでいた。


知的好奇心という名の、純度の高い炎。


「来てくれたのね」


「メモまで残されたら、来ないわけにいかないだろ。無視したらしたで、教室まで追いかけてきそうだし」


「正解。そうするつもりだった」


環奈は一歩、悠真に近づいた。


「昨日の続き。単刀直入に聞くわ」


風が止んだ。


屋上が、一瞬だけ真空になったような静寂。


「あなたは、何者なの?」


その問いは、弾丸のようにまっすぐだった。


悠真は黙って環奈を見つめた。彼女の瞳の奥で、好奇心が白熱している。学年一位の才媛。全国模試で偏差値七十八を叩き出す頭脳。その頭脳が今、全力で悠真という謎を解こうとしている。


――悪くない。


だが、だからこそ。


「氷室さん」


悠真は一歩、後ろに下がった。フェンスに手をかけ、空を仰ぐ。平凡な少年の表情を完全に脱ぎ捨てた、素の顔。感情の読めない、凪いだ瞳。


「好奇心は猫を殺す、って言葉……知らないわけじゃないだろ?」


「……何が言いたいの」


「そのままの意味だよ」


悠真はフェンスから手を離し、環奈に向き直った。


「俺をあまり探りすぎると――ケガするかもしれない」


声のトーンが変わっていた。昨日の放課後、仮面を外した時と同じ低い声。しかし今日のそれには、昨日にはなかった重みがあった。冗談ではなく、比喩でもなく、純然たる事実としての警告。


環奈の肩がかすかに強張った。


本能が告げている。この言葉は真実だ、と。目の前の少年は、平凡を装った天才などという生温い存在ではない。もっと深い、もっと暗い、もっと危険な何かだ。


普通の人間なら、ここで引き返す。


氷室環奈は、普通ではなかった。


「……ケガ、ね」


環奈は強張った肩を意識的にほぐし、髪を耳にかけた。その指先はわずかに震えていたが、瞳の炎は消えていなかった。


「あのね、榊原くん。私は六歳の時に大学の教授が解けなかった整数論の問題を解いて、八歳で英語とドイツ語とロシア語を独学で習得して、十二歳で国際科学オリンピックの金メダルを取った」


環奈は一歩、踏み込んだ。悠真との距離が縮まる。


「私がなぜ、こんな普通の高校にいると思う? 飛び級も、海外留学も、全部蹴ったの。理由は単純よ。退屈だったから。どこに行っても同じ。誰も私に追いついてこない。誰の目にも、知的な輝きが見えない。十六年間、ずっとそうだった」


環奈の声が、わずかに震えた。それは恐怖の震えではなかった。


「でも――あなたは違う」


環奈の瞳が、真正面から悠真を射抜いた。


「平凡を完璧に演じられるほどの知性。この十六年間で初めて出会った、私より上にいるかもしれない人間」


風が環奈の髪を攫った。


「ケガするかもしれない? 上等よ。知りたいという欲求の前では、恐怖なんて変数のひとつに過ぎない」


悠真は、黙っていた。


環奈を見つめるその瞳の奥で、何かが動いた。微かだが、確かに。


――退屈な世界に、二人目の「面白い」が現れた。


悠真は長い沈黙の後、大きく息を吐いた。


天を仰いで、目を閉じる。そしてゆっくりと瞼を開けた時――その口元に浮かんでいたのは、降参の苦笑だった。


「……参ったな」


「参った?」


「いや、正直に言うと――止めても無駄だって、わかった。その目は引き下がる人間の目じゃない」


悠真はフェンスに肘をかけ、沈みゆく夕陽を眺めた。


「いいよ。探りたいなら、勝手にどうぞ」


環奈が目を見開いた。


「……教えてくれるの?」


「教える、とは言ってない。止めない、と言っただけだ。自分で調べるなり、推理するなり、好きにすればいい。ただし――」


悠真は環奈に視線を戻した。


「何が出てきても、自己責任だ。それだけは、覚悟しておけよ」


環奈は数秒、悠真を見つめ返した。


そして――微笑んだ。氷の才媛と呼ばれる少女が見せた、年相応の、無防備な笑み。


「覚悟なら、とっくにできてる」


悠真はその笑顔を見て、心の中で小さく呟いた。


――面白い。


この少女は、面白い。天叡結社≪エデン・オルド≫の連中とは別の意味で。才能や異能ではなく、純粋な知性と意志の力だけで、世界の真実に手を伸ばそうとしている。


「ま、精々頑張れよ、優等生」


悠真は鞄を肩にかけ、屋上の扉に手をかけた。


「あ、榊原くん」


「ん?」


「明日の英語の小テスト、また平均点ぴったりにするつもり?」


悠真は振り返らずに、片手をひらひらと振った。


「さあな。気分次第」


鉄扉が閉まる。


屋上に一人残された環奈は、夕陽に染まった空を見上げた。


「……気分次第、か」


風が彼女の髪を巻き上げた。


胸の奥で、十六年間ずっと凍りついていた何かが、かすかに軋みを上げて融け始めていた。それが何なのか、偏差値七十八の頭脳を持ってしても、まだ名前をつけることができなかった。


* * *

同時刻。地下四十七階。


天叡結社≪エデン・オルド≫の会議が終わり、十二の椅子から次々と人影が消えていく。テレポート、ホログラム解除、純粋な退出――それぞれの方法で、序列保持者たちは闇の中に溶けていった。


最後に残ったのは、小柄な影だった。


序列第七位《No.7》――万象の簒奪者≪オムニ・テイカー≫遠山紅音。


赤い瞳。短く切り揃えたプラチナブロンドの髪。齢十六。人形のように整った容貌。しかし今、その美しい顔は怒りで歪んでいた。


紅音は無人になった会議室の椅子を、蹴り飛ばした。


金属の脚が床を引っ掻き、甲高い音が空間に反響する。


「あいつ……っ!」


もう一脚、蹴った。


「勝手に離脱するなんて……ふざけないでよッ!」


声が地下施設の壁に跳ね返る。エコーが何重にも重なって、紅音自身の怒声が四方から彼女を責めるように響いた。


紅音は荒い息をつきながら、倒れた椅子を睨みつけた。


脳裏に浮かぶのは、一年前の記憶。


あれは、悠真が天叡結社に招かれて三ヶ月が経った頃だった。


入隊初日に序列保持者三名を模擬戦で沈めた怪物。史上最年少で十三席≪No.13≫を与えられた異端児。組織内では畏怖と好奇の入り混じった視線で見られていた少年。


紅音も――好奇心を持った一人だった。


年が近い。紅音が十五歳、悠真が十六歳。結社の中では珍しく、同世代と呼べる存在。


それに加えて、紅音にはどうしても気に入らないことがあった。


悠真の態度だ。


誰に対しても同じ。飄々として、どこか上の空で、何にも本気にならない。序列上位の実力者と話す時も、下位の構成員と話す時も、全く同じトーンで、同じ温度で、同じ距離感。


まるで――全てがどうでもいいと言わんばかりに。


それが、紅音には我慢ならなかった。


だから、こっそり勝負を挑んだ。


地下施設の訓練フロア。深夜、誰もいない時間帯。


「勝負しなさい、榊原悠真」


紅音は腕を組んで、悠真の前に立ちはだかった。


悠真はポケットに手を突っ込んだまま、心底面倒くさそうな顔をした。


「……なんで」


「なんでも何もないわよ。入隊三ヶ月で十三席? あなたがどれだけのものか、この目で確かめたいだけ」


「別にいいだろ、確かめなくても。俺もお前も同じ組織の仲間じゃん」


「仲間ですって?」


紅音の赤い瞳が鋭くなった。


「あなたには仲間意識なんてないでしょう。いつもその顔。誰に対しても同じ。上も下も関係ない。つまり――誰のことも見ていない」


悠真は少しだけ目を瞬いた。


紅音は一歩、踏み込んだ。


「私を見なさい。私と戦いなさい。そうしたら――少しはその退屈そうな目、変わるんじゃないの?」


悠真は数秒、紅音を見つめた。その視線を受けて、紅音は僅かに胸が跳ねるのを感じた。初めて、彼がこちらを「見た」気がしたから。


しかし。


「やめておいた方がいい」


悠真は、静かにそう言った。


拒絶ではなかった。忠告だった。それが余計に、紅音の神経を逆撫でした。


「その余裕ぶった態度よ!」


紅音の声が訓練フロアに響いた。


「私のこと、ただのかわいい女の子だと思ってない? 年下だから、女だから、戦っても意味がないって?」


「いや、別にそういうわけじゃ――」


「黙りなさい!」


紅音の赤い瞳が、異様な光を帯びた。


万象の簒奪≪オムニ・テイク≫――発動。


あらゆる才能を「視る」だけで複製する異能。テレビで見た。動画で見た。資料映像で見た。世界中のトップアスリート、格闘家、軍人、学者――人類が到達した全ての頂を、紅音は自分の中に複製してある。


他人にできて、遠山紅音にできないことはない。


コピーさえしてしまえば、全ての分野で、人類のトップオブトップと互角。


つまり――誰にも負けない。


「天叡結社十三席の力……思い知らせてあげる!」


紅音の身体が弾けた。


まず呼び出したのは、陸上競技男子百メートル金メダリストの走力。女性の小柄な体躯から放たれたとは思えない爆発的な加速。訓練フロアの床を蹴る音が砲声のように響く。


悠真との距離、十五メートル。〇・八秒で詰まる。


そして紅音は、走りながら才能を切り替えた。


ボクシング、ヘビー級世界チャンピオン。百十キロの巨体が放つ破壊力を、五十キロに満たない少女の拳に圧縮して叩き込む。技術の完全複製――フットワーク、体重移動、インパクトの瞬間の拳の回転、全てが世界王者と同一。


右ストレート。


悠真の顔面を正確に捉える軌道。回避不能のタイミング。


(――驚きなさい! 慌てなさい! その余裕の仮面を、剥がしてやる!)


紅音は確信していた。


だが。


「やれやれ……仕方ないな」


悠真は、ポケットから右手をゆっくりと抜いた。


その手を、無造作にかざした。


虚数演算イマジナリー・カリキュレーション≫――発動。


紅音の周囲の空間が、歪んだ。


視覚的な変化はない。音もない。光もない。ただ――世界の確率そのものが、書き換えられた。


紅音の右足が、床の微細な凹凸を踏んだ。


本来なら無視できるはずの、〇・三ミリの段差。金メダリストの走力があれば、そんなものは存在しないに等しい。しかし――≪虚数演算≫の下では、あらゆる事象の確率が、悠真の望む形に収束する。


「〇・三ミリの段差を踏んで、バランスを崩す確率」が、百パーセントに書き換えられた。


紅音の足が、もつれた。


「わっ――」


全力疾走の慣性が、そのまま前方への転倒エネルギーに変わる。立て直そうとした左足が、これもまた「最悪のタイミングで最悪の角度に着地する確率」に支配されて、空を切った。


「きゃあっ!!」


派手に転んだ。


顔面から。


訓練フロアの硬い床に、まともに突っ込んだ。鈍い衝撃が頭蓋に響き、視界に火花が散る。


「う……っ」


鼻の奥がツンとして、鉄の味が口に広がった。鼻血だ。


そして――追い打ちのように、どこからともなく風が吹いた。


訓練フロアは地下施設の密閉空間だ。風など吹くはずがない。だが≪虚数演算≫の世界では、「密閉空間で突風が発生する確率」もまた、操作対象でしかない。


ふわり、と。


紅音のスカートが、めくれ上がった。


床に突っ伏した姿勢。顔面を打ちつけて鼻血を垂らし、両手を床についた四つん這いに近い体勢。そのスカートが背中の方まで翻り――


白い下着に包まれた、小振りで形のいいお尻が、天井の蛍光灯に照らされて無防備に晒された。


清潔な白。少女らしい柔らかな曲線。太腿の付け根の、きめ細かな肌。


悠真はそれを見て、気まずそうに視線を逸らした。


紅音の時間が、止まった。


一秒。


二秒。


三秒。


状況を理解するのに要した時間。天叡結社の序列第七位――万象の簒奪者≪オムニ・テイカー≫遠山紅音が、状況の認知に三秒もかかったのは、生まれて初めてのことだった。


「――――ゆ、悠真ぁーーーっ!!」


紅音の絶叫が、地下施設全体を揺るがした。


涙目。鼻血。めくれたスカート。震える両手でスカートの裾を必死に押さえながら、紅音は立ち上がった。


顔が、耳まで真っ赤だった。怒りと羞恥で、赤い瞳が潤んでいる。


「あ、あんたっ……今の、わざと……!」


「いや、風は偶然――」


「嘘つきっ!!」


紅音は叫びながら、残った理性のかけらを総動員した。感情を殺せ。分析しろ。お前は≪オムニ・テイカー≫だ。あらゆる才能を複製できる。ならば――


異能を発動した。


呼び出したのは、世界最高峰の頭脳。理論物理学の歴代最高知能指数保持者。量子力学、場の理論、確率過程論――人類が到達した知性の極致を、自らの脳にインストールする。


そして、解析した。


虚数演算イマジナリー・カリキュレーション≫。


たった数秒の交戦で得られたデータは少ない。しかし、世界最高の頭脳をもってすれば、断片的な観測からでも理論を構築できる。


紅音の脳内で、分析結果が組み上がっていく。


(……あれは空間そのものに干渉して、確率を操作する能力。量子レベルでの波動関数の収束を、意志ひとつで制御している。マクロスケールの事象――人間の動作、気流の発生、物体の挙動――その全ての確率分布を、リアルタイムで書き換えられる)


紅音の顔から、血の気が引いた。


(フィジカルでは覆せない。速さも、力も、技術も関係ない。どれだけ完璧な動きをしても、「その完璧な動きが失敗する確率」をゼロから百に書き換えられたら――絶対に当たらない)


勝てない。


残酷な結論が、世界最高の頭脳から即座に導き出された。


そして――もうひとつの結論が、紅音の背筋を凍らせた。


(しかも……彼が本気になれば)


紅音は、自分が転んだ瞬間を脳内で巻き戻した。


顔面から床に突っ込んだ。鼻血は出たが、骨折はしていない。打撲すら軽微だ。全力疾走からの転倒で、この程度の怪我で済んだということは――


(……手加減された)


心臓が、握り潰されたように軋んだ。


(彼が本気になれば、バランスを崩した私が、首から落ちて――頸椎を折って死ぬというシナリオさえ、実現可能だったはず。転倒の角度を数度変えるだけでいい。それすらも、確率操作の範疇に収まる)


つまり、悠真は紅音を「殺さないように」転ばせたのだ。


鼻血とパンツで済むように。


紅音は愕然と悠真を見た。少年はポケットに手を戻し、いつもと変わらない飄々とした顔で立っている。息ひとつ乱れていない。


「言っただろ。やめておいた方がいいって」


その声に、嘲りはなかった。優越もなかった。ただ純粋に、「忠告を聞いてくれなかったな」という事実を述べているだけの、平坦な声。


それが――何よりも、紅音の心を抉った。


怒ってくれた方がましだった。見下してくれた方がましだった。何か感情を向けてくれた方が、まだ救いがあった。


なのにこの男は、紅音を倒した後も、やっぱり全てがどうでもいいような顔をしている。


紅音は鼻血を拭いながら、唇を噛んだ。


赤い瞳から、悔し涙が一筋、零れた。


……誰にも負けたことのない、無敵のお姫様。


あらゆる才能を複製し、あらゆる分野で人類の頂と並び立てる異能の持ち主。生まれてから十五年間、「敗北」という二文字を知らずに生きてきた少女。


その少女が味わった、唯一の、そして完膚なきまでの敗北。


しかも——鼻血を垂らし、パンツまで見られた状態での。


あの日以来、遠山紅音の中に、ひとつの炎が灯った。


いつか。


いつか必ず、榊原悠真を負かしてやる。


あの飄々とした顔を歪ませて、「参った」と言わせてやる。


虎視眈々と、機会を狙っていた。次こそは。次の対戦こそは。


それなのに。


「『弱い方についたほうが面白そうなので辞めます』」


紅音は、無人の会議室でその一文を反芻した。


声に出すと、余計に腹が立った。


「面白そう……? 面白そうですって……?」


蹴り飛ばした椅子の残骸を踏み越えて、紅音は拳を握りしめた。小さな拳が白くなるまで。


「私との決着もつけないで……私に勝ち逃げしたまま……組織を辞めて、普通の高校に通ってるですって……?」


赤い瞳が、暗闇の中で燃え上がるように光った。


「とことん……ふざけてるっ!!」


紅音の怒気を含んだ叫びが、地下施設の壁を震わせた。


反響が消えていく中、紅音は荒い息をつきながら天井を睨みつけた。


あの日の記憶が蘇る。


床に突っ伏した自分。鼻血。めくれたスカート。白い下着。悠真の気まずそうに逸らされた視線。


顔が熱くなる。怒りなのか、羞恥なのか、それとも――。


「……絶対に許さないから」


紅音は小さく呟いた。


その声は、先ほどの叫びとは違って、静かだった。しかし静かであるがゆえに、底知れない執念が滲んでいた。


「待ってなさい、榊原悠真。あんたがどこに逃げようと、私が追いつかない場所なんてこの世にないんだから」


万象の簒奪者≪オムニ・テイカー≫は、あらゆる才能を複製できる。


つまり――あらゆる手段で、追跡できるということだ。


紅音はポケットからスマートフォンを取り出した。呼び出した才能は、世界最高の情報分析官のスキル。指先が画面の上を走る。


「公立高校……二年生……ふうん」


赤い瞳がディスプレイの光を反射して、妖しく揺れた。


「見つけた」


* * *

翌朝。教室。


悠真がいつも通りの顔で席についた時、背筋に微かな違和感が走った。


気のせいではない。≪虚数演算≫に頼らずとも、悠真の研ぎ澄まされた直感が告げている。


誰かに、見られている。


監視衛星の電磁波パターンに変化はない。米軍の定点観測も通常通り。内閣情報調査室の尾行チームのローテーションにも異常なし。


ならば、これは――もっと近い場所からの視線だ。


悠真は平凡な顔のまま、教室を見渡した。


窓の外に目を向ける。校門の前の通り。


一瞬、プラチナブロンドの髪が視界を掠めた気がした。


「……まさかな」


悠真は呟いて、教科書を開いた。


その口元に、かすかな笑みが浮かんでいた。


第三章『転入生――万象の簒奪者、現る』 に続く

――天才が凡人を演じる学校に、知性で真実を暴こうとする少女がひとり。


そしてもうひとり、怒りと執念を燃料に追いかけてくる少女が、すぐそこまで来ている。


退屈な日常が、音を立てて壊れ始めていた。

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